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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
1章.ご主人様と眷族の彼女たち
15/321

15. 手を取り合って

前話のあらすじ:

まさかの中ボス、加藤さん

   15 ~リリィ視点~



 加藤さんの扱いを決めるためには、この場を仕切り直す必要がある。


 それは当然、この場を悪戯に混乱させてしまったわたしの仕事だった。


「取り乱しちゃってごめんなさい、ローズ」


 わたしはまず妹分に頭を下げた。


「わたしは冷静じゃなかった。感情に振り回されてた」

「リリィ姉様……」

「あなたには迷惑をかけちゃった。本当にごめんなさい」


 思い返してみれば、ご主人様を拐かされた瞬間から、わたしはあの白いアラクネへの怒りと焦燥とに身を任せるばかりだった。

 いまはどうにか怒りを押さえ込んでいられているが、それまでの間には、随分とローズに迷惑をかけてしまったように思う。


「構いません」


 ローズは気にした様子もなく、わたしの謝罪を受け入れてくれた。


「此処で取り乱されないリリィ姉様のことを、ご主人様は望んでおられないでしょう」

「うん。でも今後はなるべく気をつけるから」


 わたしには、ご主人様に何かあったときに動揺しないでいることは出来そうにない。

 それは、今回の一件でよくわかった。

 わたしはローズのようにはなれない。


 けれど、たとえ動揺していたって、なるべく理性的に振舞うことは出来るはずだ。

 そうあるように努めることは出来るはずだ。


 認めよう。わたしは未熟だった。

 それに気付いたからには、これからわたしは成長しなければいけない。


「それと、此処から先の加藤さんに関する判断は、ぜんぶローズに任せたい。いい?」

「わかりました」


 そう言われることを予想していたのか、ローズはスムーズにわたしの要請を受け入れてくれた。

 わたしたちはほとんど間をおかずにご主人様の力によって生まれた姉妹同士だ。こういう時には、話が早くて助かる。


「いいんですか?」


 口を挟んだ加藤さんに、わたしは肩をすくめた。


「いいの。というより……」

「そうせざるを得ないというのが、こちらの実情です」


 わたしが言い淀むと、ローズがその先を引き取ってくれた。


「あなたはいま、リリィ姉様を『潰して』しまいました。あなたにとって一番の障害だった、疑り深い姉様は、もう自分の判断に確信が持てない。だから、わたしが対応する他ないのです」


 現状、加藤さんに対して抱いている嫉妬心それ自体については、わたしはどうにか受け入れられている。

 これはローズと……ややマッチポンプめいているのであまり認めたくはないのだが、加藤さんのお陰だといえる。


 しかし、その一方でわたしは、『自分の嫉妬心が身勝手な判断を生んでしまうのではないか』という疑いまでは払拭できていない。


 たとえば、此処でわたしが『加藤さんを連れて行かない』と決めたとしよう。

 わたしは『その判断に自分の私情が挟まっているのではないか』という疑いを、どうしても捨てきれないことだろう。

 感情に引きずられてローズに迷惑をかけたばかりのわたしが、そこまで自分を信じられるはずがなかった。


 だから此処は、ローズに任せる。

 口出しくらいはさせてもらうが、最終的な判断はローズに委ねるつもりだ。


 ……これもすべては加藤さんの思惑通りなのだろうか。

 そう考えると、どうも疑り深い性質らしいわたしの中には、どうしても彼女に対する疑いの種が芽吹いてしまいそうになるのだけれど。


「勘違いしてほしくないんですけど」


 そうしたわたしの内面を見透かしたわけでもないだろうが、加藤さんは苦笑の気配が混じる口調で言った。


「わたしは別に、ローズさんの方が甘いと思って、そうしたわけじゃないですからね」


 それはそうだろう。


 わたしが交渉相手では可能性はゼロ。

 ローズならまだ話が通じる。


 そう聞くとローズの方が甘そうに思えるが、現実にはまったくそんなことはない。

 彼女は公平なだけだ。

 彼女ならわたしと違って感情に流されない判断をしてくれる。

 そう信じられるからこそ、わたしだって彼女にこの場を託そうと思えたのだから。


「じゃあ、お願い」

「了解しました」


 わたしは一歩下がって、対峙する二人を見守ることにした。




「加藤さん」


 口火を切ったのはローズだった。


「わたしと交渉すれば、一緒に連れて行ってもらえる可能性がある。あなたのその判断は誤りではありません。実際、わたしは最初からあなたを連れて行く方向に傾いていました。……ですが」


 ローズは一度、言葉を切った。彼女が人間だったなら、溜め息の一つもついていたのかもしれない。


「これはやり方を間違えているのではありませんか? リリィ姉様を退けたにしても、その結果としてわたしがあなたの敵に回ってしまっては意味がないではありませんか」


 いまは平静でいるようだが、ローズはわたしが加藤さんにやりこめられるのを見て、明らかに怒りの感情を覚えている様子だった。


 木製人形であるローズは基本的に理性的であり、人間の感情の機微に親しくない。

 たとえば、ご主人様が苦しんでいることはわかっても、何が彼をそこまで苦しめているのかが理解できない、といったように。


 だが、かといって彼女自身に感情がないわけではない。

 打ちのめされたご主人様の姿を直接見たわたしほどではないにせよ、過去に彼のことを傷つけた人間という存在に悪い印象を抱いているし、仲間であるわたしがいじめられれば怒りもする。


 下手を打てば、加藤さんはこうしてローズと交渉することさえ出来なくなっていたかもしれない。

 だから、手段を選ばないその必死さをローズは咎めた。


 ある意味で、いまは加藤さんのために、ローズは怒っているのだ。

 ローズの誠実さは人間と眷属とを問わずに向けられている。

 こうした怒りのかたちは、人間を敵視しているわたしにはないものだ。わたしとはまた違う視点で、彼女は加藤真奈という人間を捉えているのかもしれない。


「他にもっと穏当な手段があったはずです。加藤さんになら、それを選択することも出来たのではありませんか?」

「たとえば、ローズさんを梃子にして、リリィさんを説得する――とかですか?」


 加藤さんが例をあげると、ローズはそれに頷きを返した。


「姉様は頭に血が昇っていましたから、わたしの言うことなど聞き入れてくれなかったかもしれません。……いいえ。ほぼ間違いなく聞き入れることはなく、わたしとの問答に痺れを切らして、一人で飛び出して行ってしまったことでしょう」


 そこまでは酷くない。


 ……とはいえないか。

 わたしは完全に理性を失っていたし、あのまま五分と話を続けていたら、たとえ一人でもご主人様のもとへと向かっていたことだろう。


「リリィさん、いまにも飛び出して行ってしまいそうな顔をしていましたからね」


 加藤さんも同意見だったらしい。

 そこまでわかりやすかったかと思うと、わたしは少しへこんだ。


「あの白いアラクネのもとに、リリィ姉様を一人だけで向かわせるわけにはいきません。わたしもすぐに姉様のあとを追ったことでしょう。ただ、そうなったとしても、わたしが加藤さんを抱えて追えば済むだけのことでした。わたしは姉様ほどあなたを疑っていませんし、ご主人様の命令を違反するつもりもありませんでしたから」

「そうですね」


 ローズの話に加藤さんは首肯を返した。


「そうなる可能性は高かったでしょうね。あなたたちについて行きたいなら、わたしはもっと穏当な手段をとるべきだったかもしれません」


 加藤さんはローズの言い分をすべて認めた。


「でもそれじゃあ、先輩は救われません」


 認めた上で――その選択肢を否定したのだった。


 それはつまり、ローズが言ったことは最初から全部わかっていて、それでも、あえてそうしなかったのだということだ。


「わたしがついて行くことだけなら、ローズさんの言う通り、穏便に頼むことも出来ました。わたしだって、何も好き好んでリリィさんのことを傷つけたくなんてありません。……だけど、それだけじゃ駄目じゃないですか。先輩を助けられなくちゃ意味がない。違いますか?」

「それは確かに……その通りですが」


 ローズの声には困惑が透けていた。


 ご主人様を助けられなければ意味がない。

 ああ、それはその通り。加藤さんの言っていることは正しい。しかし、それがどうして数分前の彼女の攻撃的な行動に結びつくのか。それがローズにはわからないし、わたしもそれは同じだった。


 不理解を示すわたしたち眷属に対して、加藤さんは自分の胸に手を当てて告げた。


「わたしには戦う力がありません。だから、真島先輩を助けることが出来ません」


 加藤真奈は戦う力のないただの人間だ。

 まさか唐突にチート能力に目覚めるなんてご都合主義は起こらない。

 ただの人間でしかない彼女には、何も出来ない。


「でも、それって、いまのローズさんたちだって同じですよね?」


 自分の弱さを認めた上で、加藤さんは一つの事実を指摘した。


「白いアラクネ。あれは以前に言っていた、ハイ・モンスターなんでしょう? 戦ってはいけない。逃げられるかどうかも運次第。絶対に敵わない化け物。そう言ってましたよね。――玉砕覚悟はいいですけど、そうすることで目的が果たせないのなら、それはただの犬死にじゃないですか」


 加藤さんの言い分はまったく反論のしようもないものだった。


 わたしたちがいくら意気込んだところで、実力が足りなければご主人様を奪還することは出来ない。

 気持ちだけではどうしようもない部分というのが、この残酷な世界には存在するのだ。


「ローズさんたちには、真島先輩は助けられない。それじゃあ、戦う力のないわたしと何も変わりません」


 たとえば、ついさっきまでわたしが息巻いていたように、白いアラクネに特攻していたなら、わたしたちは為す術もなく蹂躙されてしまっていたことだろう。

 ご主人様を助けることなど、勿論、出来ずに。

 それは文字通りの犬死にだ。


 わたしたちの無力を指摘した上で、加藤さんは続けた。


「だけど、わたしとローズさんたちでは違うところもあります。ローズさんたちには戦う術があります。到底敵わないにしても、戦えます。戦えるのなら、やり方次第では真島先輩を助けられるかもしれません。……ただし、それはあくまで、闇雲に特攻しなければの話です」


 これもまた、耳の痛い指摘だった。

 実際、わたしたちは強大な力を持つことがわかっているあの白いアラクネ相手に、無策で挑もうとしていた。


 冷静になって考えてみれば、それは、ちょっと有り得ない。

 どうかしている。


 しっかりと助けられるだけの算段を立てるのが当たり前で、それが無理なら、少しでもその可能性をあげる努力をするのが普通だろう。

 それが出来なかったのは……これはもう、完全にわたしの落ち度だ。


 冷静ではなかった。頭に血が昇っていた。


 そんなわたしを見て、加藤さんはどうするべきか迷ったはずだ。


 冷静になるように諭せばよかった? ……いいや。それも望み薄だった。

 既にローズが何度も冷静になるように言っていたところに加藤さんが少しくらい口を添えたところで、何が変わるはずもない。そもそも、あと数分もすればわたしは一人飛び出していってしまっていたのだ。説得するための時間さえ、彼女にはなかった。


 言ってしまえば、わたしたちは『川に落ちた子供を助けようとするパニックに陥った母親』みたいなものだったのかもしれない。

 泳げもしないのに荒れ狂う川に飛び込もうとしている。説得できないどころか、そもそも話が通じない。それどころか、いまにも飛び込んでしまいそうだ。一緒に飛び込んであげたところで、死体が一つ増えるだけ。

 だったら、もう後ろから頭でも殴りつけて止めるしかないだろう。


 思えば、ローズはそうしたわたしの危うさに気が付いていたのかもしれない。

 だが、彼女には『わたしの頭を殴る』という選択肢が思いつかなかった。これは仕方のないことだ。人間らしい心の機微がわからない彼女には、どうしてわたしがそうなっているのかが理解出来ないし、従って、どうすればいいのかもわからなかっただろうから。


 その一方で、ただの人間でしかない加藤さんには、わたしたちを殴るだけの腕力に欠けていた。

 だからわたしのことを煽って、耳を傾けさせ……その上で、弱点を突く言葉で叩き潰したのだ。


 そう考えれば、理解は出来るし納得もいく。

 ……実際に叩き潰された身としては、もやもやとしたものを胸に感じないでもないけれど。


「わたしがただついていくだけでは何も変わりません。あなたたちに冷静さを取り戻してもらわなければ、先輩を助けることは絶対に出来ないと思いました。そこが最低限のラインでした。その結果、お二人の機嫌を損ねて、此処に置き去りにされることになっても、そこは譲れなかったんです」


 感情を排除したなるべく公正な視点で判断するなら、加藤さんの取った行動はベストではなかったかもしれないが、ベターではあったのだろう。

 事実、わたしは理性を取り戻している。彼女は結果を出しているのだ。


 他にも方法はあったのかもしれないが、あの短い時間でベストな選択を求めるのが酷というものだ。むしろそこまで読みきった上で『咄嗟に頭を殴りつけた』のだとしたら、加藤さんはその聡明さについて賞賛を受けるべきだろう。


 彼女のお陰でわたしたちは、ものを考えることの出来るだけの自分を取り戻せた。

 確かに一番大事なのはご主人様を助けることで、それが為されなければ、わたしたちが命を捨てたところで何の意味もありはしない。そのためには闇雲な特攻などもってのほかだ。


 それは、加藤さんの言う通りで……


 ……あれ?

 だけど、それだと少しおかしくないだろうか。


「ご主人様を救い出せなければ意味がないっていうのは、眷族であるわたしからしてみれば、確かにその通りなんだけど……」


 気付けばわたしは、ローズにこの場を任せたことを忘れて、二人の会話に口を挟んでしまっていた。


「どうして人間である加藤さんが、ご主人様をそこまで心配しているの?」


 思い返してみると、さっきから加藤さんはずっと、『ご主人様を助けられなければ意味がない』という前提で話をしていた。

 眷属のわたしとしては異論がなかったので流していたが、あくまでそれは『わたしたち眷属の側の理屈』のはずだ。


 加藤さんは人間だ。なのに、『わたしたち眷属の側の理屈』で動いている。

 それらが全て口から出任せという可能性も考えられなくはないが、暴走するわたしをとめるために、あえてローズの心象を悪くするようなことをしたことからも、どうやらそれはなさそうだと判断出来る。


 つまり、わたしたちと同じように、加藤さんはご主人様のことを助けたいと願っていたということになるのだ。

 それも、自分の身をかえりみないほどに強く。


 そうして思い返してみると、納得のいくことは他にもある。

 たとえば、この緊急時にタイミングよく、ほとんど抜け殻状態だった加藤さんが立ち直ったのも、ひょっとしてそれが理由なのかもしれない。


 彼女はアラクネにさらわれたご主人様の身を案じていた。助けたいと思った。だが、肝心のわたしたちは無策で突っ込もうとしていて、このままではご主人様を助けられそうにない……


 このまま見ているだけでは駄目だ。

 その想いが、徐々に回復しつつあった彼女の精神を、この場で一気に賦活化したのだとしたら……タイミングの良さにも頷けるというものだった。


 しかし、それが正しいとすると、それはそれで今度は一つの疑問が生まれる。

 わたしたちと同じ論理で彼女が動いているということは、それこそわたしたち眷属が彼に寄せるのにも匹敵するような思いを、人間である彼女が抱いているということになるのだ。


 それがわたしには疑問だった。

 だから尋ねた。


 わたしの抱いた疑問は、少なくともわたしの中ではまっとうなものだった。

 いまは推測するしかないが、この場にご主人様がいれば、彼だって同じように考えるはずだと思う。


 だが、どうやら加藤さんにとっては違ったらしい。


「どうして、と言いましたか」


 そう問い返す加藤さんの声には険があった。

 一音一音に滴るような毒が込められていた。


「わたしが先輩の身を案じていてはいけないんですか?」


 それは、怒りという名の猛毒だった。


「う……」


 どろどろとした感情を向けられて、わたしはたじろいだ。


 これまで加藤さんがそうした悪感情を見せることはなかった。

 わたしを叩き潰す時でさえ、彼女は怒り狂ってなどいなかった。

 言うなれば、彼女の敵意はこれまで常に透明だった。あくまで彼女は自分の目的を果たすためだけに――ご主人様を助けるためだけに、動いていたのだろう。


 だが、この瞬間は違っていた。


「眷属でないと駄目なんですか?」


 ほんの一瞬ではあるが、彼女は極大の怒りをわたしに向けていた。


 あくまで静かな怒りだ。加藤さんは決して声を荒らげることはなかった。

 しかし、それだけに、深い苦しみと悲しみとが震える声の下側に透けて見えるようだった。


 多分、わたしはとても不用意なことを言ってしまったのだろう。理性的な彼女が我を失って怒るほど、深い傷に触れたのだ。


「わたしは……」


 何度か口を開き、閉じて、唇を噛み締めて。

 最後に加藤さんは目を伏せた。


「……すみません。取り乱しました」


 このほんのわずかな時間でセルフ・コントロールに成功したらしい。

 加藤さんが口にした言葉には、もう怒りの色は残っていなかった。


「こ、こちらこそ、ごめんなさい。不用意なことを言っちゃったみたいで」


 わたしも頭を下げた。

 いまの様子を見る限り、どうやら加藤さんは本気でご主人様のことを心配しているらしい。

 彼女にそうした感情を抱かせる理由については、わたしにはわからないが、流石にもう一度尋ねる勇気はわたしにはなかった。わたしは悪戯に加藤さんを怒らせたいわけではないし、興味本位で他人の触れてはいけないところに無遠慮に触れるほど、意地悪くないつもりだった。


「話を元に戻しても構いませんか?」


 わたしたちの間に流れた微妙な空気を破ってくれたのは、やはりローズだった。


 彼女はいつでも冷静だ。ご主人様に関わること以外で彼女が取り乱すことは、ほとんどない。


 加藤さんは気を取り直したようで、ローズに軽く頭を下げた。


「加藤さんが我々の頭を冷ましてくれたことについては理解しました。やや乱暴な手段ではありましたが、その妥当性については認めようと思います」

「ありがとうございます」

「いいえ。礼を言うのはこちらの方でしょう。あなたのお陰で、わたしたちは無謀な特攻に身を投じずに済んだのですから。しかし……」

「はい。これではまだスタート地点に立っただけです」


 加藤さんの言葉に、ローズは重々しく頷いた。


「そうですね。正気を取り戻したところで、実際にご主人様を助け出せるだけの手立てを思いつかなければ意味がありません。残念ながら、わたしには有効な作戦を思いつくことは出来そうにありません。リリィ姉様は――」


 ローズが振り返ってきたので、わたしは首を横に振った。


「――こちらも、思いつきそうにないそうです」


 ローズがもう一度、加藤さんへと向き直った


「加藤さんは我々と一緒にご主人様のところに行きたいと言っていましたね。あなたを連れて行けば、この差し迫った状況がどうにかなるというのですか?」

「そこまで単純なものではないことくらいは、わたしだってわかってます」


 このローズの疑問に、加藤さんは否定を返した。


「わたし一人に出来ることなんて、たかが知れています。というより、ほとんど何もないでしょう。わたしなんかが何か出来るような状況じゃないのはわかっています。……これは確認なんですけど、実力で正面からあの蜘蛛を倒せる可能性ってあるんですか?」

「……。無理でしょうね。百度戦えば百回、千度戦えば千回殺されます」


 ローズは冷徹に勝率を見積もった。


「リリィさんとローズさんのどちらかが……いえ。どちらもが死ぬつもりで掛かっても?」

「それでも……無理だと思います。怪我をさせられたら御の字、というレベルですね」

「……リリィさんはそれでよく突っ込んでいこうと思いましたね」

「そ、それは……頭に血が昇ってたから」


 呆れた顔になった加藤さんだったが、すぐに表情を切り替えると、更に問いを重ねた。


「では、真島先輩を助けるだけならどうですか?」

「それも不可能ではないかと」


 少しハードルを落としたこの質問にも、ローズの答えは『否』だった。


「あまりに実力差がありすぎますから。……そうですね。奇跡が起きれば、一時的に出し抜くくらいのことは出来るかもしれませんが」

「出し抜けるんですか?」

「一時的になら、あるいは。それでも最終的には殺されることには変わりませんが」


 それでは意味がないだろう。

 わたしも大体、ローズと同じ見立てだった。


 状況は絶望的だ。

 問答を続けるごとに、その絶望が深まっていくようにさえ思えるほどに。


「そうですか。ありがとうございます、ローズさん。状況がよくわかりました。……思った通り、状況は最悪みたいですね」


 そうだ。わたしたちの置かれた状況は厳しい。

 現状、あの白いアラクネと戦ってご主人様を取り返す手段がない。

 何も考えずに敵に突っ込んでいくのは、議論の余地なくもっとも愚かな行いだが、頭を悩ませたからといって、必ずしも良い案が出せるとも限らないのだ。


「とりあえず、一つだけ言えることがあります」


 全員が状況の過酷さを共有し、苦い思いを噛み締めたところで、加藤さんが口をひらいた。


「このままリリィさんとローズさんの二人で真島先輩を助けに行ったところで、捕らわれたあの人を助け出すことは出来ないということです」

「ええ。そのようですね」

「だったらこの際、借りられるものは猫の手でも借りるべきじゃないですか? わたしみたいなのでも何かの役に立つかもしれませんよ」

「……ご主人様を助けられないわたしたちの状況が、これ以上悪くなることはない。だから、加藤さんを連れていこうがいくまいが、状況は好転しこそすれ悪くなることはない、と?」

「はい。それに、わたしには他にも出来ることがあります」


 片目を閉じた加藤さんは、指先で自分のこめかみのあたりをぽんぽんと叩いた。


「二人では考え付かないようなことでも、三人なら思いつくかもしれません」

「三人寄れば……ということですか?」

「はい。少なくとも、まるで可能性のない玉砕よりは、多少なりマシな提案が出来ると思います」


 加藤さんはこういうが、つい先程『叩き潰された』身としては、彼女がブレーンとなってくれるなら、かなり心強いものがある。


 勿論、彼女のことが信頼できるのかどうかという話はある。

 わたしは彼女のことをローズにそうするようには信頼していないし、いまでも、なるべくなら不確定要素は連れて行きたくないと感じている。

 彼女が無闇に特攻をかけようとするわたしたちをとめてくれたのは事実だし、ご主人様を助け出したいとも言っているが、その発言自体の信憑性がどうなのかという疑問もあるし、疑い出したらそれこそきりがない。


 ただ、そうした様々な考えはすべて、いまや意味を持たなかった。


 信頼出来るか出来ないかは、この際、問題ではないのだ。


 確かなのは、わたしたちはこのままではご主人様を取り返すことが出来ないということ。

 また、それを覆すような作戦も、わたしたちだけでは立てられないということだ。

 加藤さんに指摘された通り、わたしたちは現状、行き詰っている。


 だったら、まだ検討していない要素に賭けるしかない。

 加藤さんを頼るしかないのだ。


 ……何てことだろうか。

 いつの間にかわたしたちが抱えている問題は、加藤さんを信用するかどうかではなく、彼女の助力を受け入れるかどうかということへと変わってしまっていた。


 あとは、ローズがどう判断を下すかということだが……


「リリィさんも、ローズさんだって、本当はわかっているんじゃないですか」


 加藤さんは駄目押しとばかりに言い募った。


「自分たちだけじゃ、もう手詰まりだってことに。だからこそ、わずかな可能性に賭けている。だからこうしてわたしって人間を見定めるために、ローズさんは貴重な時間を費やしているんじゃないですか? だったら、もう四の五の言っている場合じゃないでしょう」


 そういって加藤さんは、ほんのささやかな笑みを口元に浮かべた。


「わたしに真島先輩を助けるお手伝いをさせて下さい。きっと役に立ってみせますから」


 加藤さんが胸に抱いていた手を差し出す。

 ローズはその掌にのっぺらぼうの顔を向けた。


 わたしは可愛い妹分の内心が手に取るようにわかった。

 パスが繋がっているかどうかなんて関係なく、わたしも彼女とまったく同じ気持ちだったからだ。


「姉様」

「わかってる」


 もう認めるほかなかった。

 わたしたちは、戦う力を持たないこの人間の少女に、為す術もなく完全敗北してしまったのだと。


   ***


 それから十分ほどの作戦会議のあと、わたしたちはようやくアラクネの追跡に移った。


 幸いなことに、わたしたちには主人と眷属との間の繋がりがある。その繋がりは少しくらい距離がひらいたくらいで切れてしまうようなチャチなものではない。


 ただの人間でしかない加藤さんはわたしたちの移動についてこれないので、ローズが抱えて移動することにした。

 これはかなり危険な移動手段といえる。

 ファイア・ファングの嗅覚を擬態したわたしの索敵能力があるとはいえ、それは絶対のものではない。森には障害物が多いので小走り程度のスピードだが、それでも周囲の確認はどうしても疎かになるし、何よりローズの手が埋まっているのが最悪だ。

 普段なら絶対に避けたい状況だが、いまは文句を言ってはいられなかった。


 最後までモンスターと遭遇しないことを天に祈る。


 いいや。これから挑む無謀な戦いを考えるのなら、それくらいの幸運は当然のように掴んでいるくらいでなければ、話にならないのだろうけれど。


 わたしたちはこれからあの白い暴虐に挑むのだから。


 結局、あれを打倒出来るような都合のいい戦術なんて思いつかなかった。

 当たり前だ。わたしたちのような素人が何人頭を悩ませたところで、考え付くことなど、たかが知れている。


 それでも、挑むのだ。

 勝算はない――わけではない。

 策はある。ほとんど博打のようなものだが、可能性だけは繋がっている。


 作戦の立案者である加藤さんは言った。


「何があっても生き残る覚悟はありますか?」


 それがご主人様のためになるのなら、わたしたちの返答は決まりきっていた。

 細い糸のような勝ちの目を手繰り寄せるため、わたしたちはご主人様のもとへと向かって、暗く沈みこむ夜の森を進んでいった。


◆加藤さんはゲームでたまに出てくる、倒せない中ボスです。

TOD2でいうと、バルバトスです。

サザエさんでいうと、あなごさんです。


◆……ネタが古いか。


◆次回更新は1/18(土曜日)になります。

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