18. 人助け
前話のあらすじ:
村を襲っていた聖堂騎士団と遭遇。
18
――グールに堕ちた騎士を討伐する。
そう宣言した目の前の男の名前に、おれは聞き覚えがあった。
トラヴィス=モーティマー。
確か飯野が、交易都市セラッタで会ったと言っていた男だ。
聞いていた外見とも一致するし、まず間違いはないだろう。
加えて言えば、おれはシランから聖堂騎士の情報を得てもいた。
聖堂騎士団が『恩寵の血族』によって構成された一団であること。
そのなかには『恩寵の愛し子』と呼ばれる、かつての勇者の固有能力を部分的ながら引き継いだ者がいること。
また、そのなかのひとりが『聖眼』のトラヴィスだということ。
それらの事実を、おれは把握していた。
もっとも、具体的に『聖眼』がどのような能力なのかまでは、シランも知らなかったのだが……それでも、さっきのガーベラに対する攻撃を見れば、目の前の男が本物のトラヴィスであることは確信できた。
つい先程、おれは『村を襲っているのは、いったい、何者なのか』と疑問を抱いた。
民衆に支持を得ているアケルの軍や騎士団が、まさか守るべき民を攻撃するはずがない。
かといって、他国の軍隊が無闇に争いの火種を生み出すこともない。
なぜかと言えば、平和を維持する役割を担う聖堂教会に敵対視されれば、その先兵たる聖堂騎士団に滅ぼされかねないからだ。
しかし、それも聖堂騎士団そのものが動いているのなら、なんら問題にはならない。
「その風貌。引き連れた白い蜘蛛と、亜麻色の髪の少女……なるほど、あなたが真島孝弘ですね。『グール』シランと、『邪悪なモンスター使い』が、いまだに同行していたとは運が良い」
ガーベラを撃退することで、トラヴィスは村に散らばっていた騎士たちとの合流を果たしていた。
五十名ほどの騎士の中心で、トラヴィスは声を張る。
「いつまでも逃げ隠れできると思っていましたか。だとしたら、残念でしたね。薄汚い長耳どもは知らぬふりをしていましたが、我らの目を誤魔化せるはずなどありません」
どうやら聖堂騎士団が村を攻撃したのは、討伐対象であるシランを、彼女の親類縁者である村人たちが匿っていると考えたためらしい。
堂々と口にしている言葉は、当然、まったくの的外れだった。
「……やっていることが滅茶苦茶だ」
思わず、呻き声が漏れた。
おれは状況を甘く見ていたのかもしれない。
まさか、モンスター使いやグールといった存在への憎悪と敵意が、ここまで目を曇らせてしまうほど、根の深いものだったとは……。
そう思ったおれの目に――トラヴィスの顔に浮かんだ薄ら笑いの表情が映った。
「……」
違う、と直感的に悟った。
憎悪と敵意に突き動かされた結果の悲劇?
トラヴィスの立ち振る舞いからは、そんな激しい感情は、まるで感じ取ることができなかった。
「あなた方の首、栄えある我ら聖堂騎士団第四部隊がもらい受けます」
トラヴィスは、大きく声を張り上げる。
優男風の外見に似合いの、朗々と吟じるかのような声色だった。
舞台の上のお芝居のような、と言い換えてもいい。
シランに『醜悪なグール』、おれに『邪悪なモンスター使い』というレッテルを張り、自分はそれを討伐する者だと嘯く。
先程から一貫して、トラヴィスの言い分は、自身の正当性を高らかに謳い上げ、同時に相手を貶めるものだ。
そこには憎悪や敵意といった感情はなく、計算された悪意だけが感じられた。
それが証拠に、トラヴィスの判断は実に冷静なものだった。
「……とはいえ、この場でやり合うのは、いささか不利ですね」
と言って、剣を下げたのだ。
「なんだ。やらねえのかよ」
騎士のひとりが尋ねた。
村に散っていた騎士たちを引き連れてきた、鋭い眼つきが印象的な男だった。
「ええ。エドガール。ここは退きます」
「おいおい。折角、獲物を見付けたんだぜ?」
エドガールと呼ばれた男は、顎をしゃくっておれたちを示した。
物騒な口ぶり、好戦的な態度ではあるものの、やはり彼もまた、こちらに対して憎しみや怒りの感情を抱いている様子はなかった。
他の騎士たちも同じだった。
この場合、そのほうがむしろおぞましい。
それはつまり、ただ悪意と暴力を以って、ひとつの村を蹂躙したということにほかならないのだから。
おれはふと、以前に同盟騎士団と行動をともにしていた頃のことを思い出した。
開拓村で過ごした夜、団長さんが言っていたことがあった。
正義の理念と弱者の救済のために剣を振るうことを本分とする騎士のなかにも、己の栄達が第一という者や、堕落した者、血に飢えた戦闘狂がいるのだと。
いまわかった。
あれは、目の前の彼らのことを言っていたのだ。
「命令違反は許しませんよ、エドガール=ギヴァルシュ」
不満げな顔をする部下に対して、トラヴィスはかぶりを振ってみせた。
「ここは退きます。ここはね」
有無を言わせぬ口調で言う。
冷たいものを感じさせる口調は、騎士たちにとっても、恐ろしさを感じさせるものだったのか。
不満そうなエドガールさえ例外なく、その言葉に従って、速やかに撤退を開始した。
速い。
身体能力の強化を、全員が高いレベルで習得していることが窺えた。
「逃がすかっ」
おれがとめる間もなく、反射的にガーベラは彼らを追おうとした。
しかし、それは予想された状況だったのだろう。
「オットマー。『天使人形』を」
「……了解した」
トラヴィスが短く指示を出すと、騎士のひとりが平坦な声で応えて、なにか宝石のようなものを地面に放り投げた。
地面から光が立ち昇る。
「……ぬっ!?」
ガーベラが警戒の声をあげた。
光のなかから、二十人ほどの裸の人間が現れたのだ。
いいや。さっきの言葉――『天使人形』と言ったか。
人間のように見えるが、そうではないのだろう。
体毛の類は一本もなく、つるりとした体は作り物めいている。
性的な特徴は見当たらず、男か女かの区別すら付かない。
無個性な顔立ちは、全員がまったくの同一だった。
手にはシンプルな拵えの槍。
その穂先を揃えて、天使人形たちはこちらに突っ込んできた。
「また妙な真似を!」
ガーベラが足をとめた。
先程トラヴィスから喰らった不可思議な攻撃を思い出したのだろう。
紫色の文様が走る顔には、強い警戒の色があった。
その警戒心が、天使人形を無視して騎士たちを追うことを許さなかった。
性格の悪いことに、天使人形の硝子玉のような瞳は、おれとシランを標的にしていた。
シランが動けない以上、ここは迎撃するしかない。
幸い、気持ち悪いくらい整然とこちらに向かってくる天使人形の速度は、それほど速いものではなかった。
「リリィは魔法を。ガーベラは迎え撃て」
おれがシランの護衛として残り、前に立ったリリィが先制攻撃で魔法を叩き込む。
それでも近付いてくる者は、ガーベラの蜘蛛脚の餌食になった。
人形たちは攻撃を受けると、陶器のように砕けた。
破片が煙になって消えていく。
警戒はしたものの、どうやらこれはただの……というには特殊にせよ、使い捨ての駒でしかなかったらしい。
足止めと言い換えてもいい。
おれたちが迎撃している間に、トラヴィスたちの姿は遠ざかっていた。
「ぬぐ、面倒な。追うか、主殿」
いまにも飛び出していきそうな様子で、ガーベラが尋ねてきた。
「妾ならやれるぞ」
トラヴィスの『聖眼』の呪縛を受けつつも、ガーベラは気丈に言った。
トラヴィスの特異な攻撃を見せつけられたせいで、どうしても警戒せざるをえなかったが、あれほど強い力を持つ者は他にいないようだった。
実際、シランは不意打ちとはいえ四人を倒しているわけで、トラヴィスと同じレベルの者となると、そう数はいないのだろう。
騎士の数は、五十名ほど。
これくらいなら、ガーベラとリリィなら――。
「……」
一瞬、なにも考えずに追い掛けたくなる衝動が湧いた。
それは、とても凶暴な衝動だった。
自分自身でも戸惑うくらいに。
暴発する寸前で、おれはその衝動を呑み込んだ。
「いや。駄目だ」
「なぜだ」
「……まだ生きている村人がいる」
「む」
ガーベラも気付いたのか、あたりに倒れている村人たちに目をやった。
そのなかに、息のある者がいた。
霧の感知能力を持つおれは、彼らの正確な数だけでなく、どのような状態にあるのかまで詳細に把握することができた。
治療をしなければ、確実に死んでしまうだろう重体の者が数人いた。
手遅れかもしれない、という者も。
なんの罪もなく踏みにじられた彼らを、放っておくことはできなかった。
それに、シランが倒れているいま、彼女にも誰かがついていてやる必要があった。
しかし、そうしてリリィが治療に、おれがシランの傍についていてやるとなると、動けるのはガーベラだけになってしまう。
ガーベラは先程のトラヴィスの攻撃の影響を受けているし、ひとりで追わせるのはさすがに危険だった。
ここは、見送るしかなかった。
トラヴィスたちの気配が、『霧の仮宿』の効果範囲の向こうに消えていく。
「逃げられたか」
無力感が、声になって出た。
「ううん、それは違うよ。ご主人様」
けれど、その言葉は否定された。
「リリィ?」
「逃げられたんじゃない。追い払ったんだよ。それは絶対、無意味なことなんかじゃない」
ぎゅっと強く、手を握られた。
「だから、できることをしよう?」
「……そうだな」
リリィの言う通りだった。
村を襲う騎士団を追い払うことで、少数であれ、村人たちを助けられる可能性ができたのだから。
なにもできなかったわけではない。
だからこそ、その命を取りこぼすわけにはいかなかった。
おれは気合を入れ直した。
「リリィは治療を。ガーベラはローズたちを呼んできてくれ。おれは霧の魔法を使って、生き残りの救出と、トラヴィスたちが戻ってこないかどうか警戒する」
指示を出して、おれ自身も動き始める。
感知魔法で生き残りを検出し、近くにいる者から優先順位をつけていく。
それと同時に、聖堂騎士団が逃げたふりをして戻ってきていないかどうかも、頭の片隅で確認する。
もしも戻ってくるようなら、そのときは……。
「……」
獰猛な衝動が一瞬、胸の奥で疼いた。
騎士であるトラヴィスたちが、守るべき存在であるはずの村人たちに剣を向ける光景が、脳裏に蘇った。
爪が掌の皮膚を抉る痛み。
無意識のうちに、拳を硬く握り締めていた。
「ご主人様?」
「……いや、なんでもない」
尋ねてくるリリィに応えて、おれは胸のなかの熱量を吐き出すように、溜め息をついた。
……いまは、ひとりでも多くの命を救わねばならない。
おれは、作業に戻った。
掌のじくじくという痛みは、なかなかひくことがなかった。
◆お待たせしました。
もう一話、更新します。






