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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
5章.騎士と勇者の物語
142/321

15. シランの故郷

(注意)本日2回目の投稿です。(5/8)














   15



 翌日。

 おれはガーベラとの早朝訓練で体を動かしていた。


 エルフたちと同伴して旅をしている間も、ガーベラはこっそり夜の間に抜け出していたのだが、やはり窮屈な思いはしていたのだろう。

 リアさんやヘレナに話をしたことで、人目をはばかる必要がなくなったのが嬉しいらしく、終始、楽しげにしていた。


 おれはといえば、エルフの開拓村で行った半日がかりの模擬戦で掴んだものを、ガーベラとの実戦まがいの訓練で馴らしていた。

 少しずつではあるが、着実に身に付いたものを感じるのは励みになる。


 ……とはいえ、ガーベラにはまるで敵わないのだが。


 追い付くとまではいかずとも、いずれ、彼女と肩を並べて戦える日は来るだろうか。


 そんな思いを胸に、今日も必死に喰らいついて、久々の訓練は終了した。


   ***


「どうしたの、ご主人様? なにか考え込んでるみたいだけど」


 訓練が終わったあと、汗を拭いたりなんなりと世話を焼いてくれていたリリィが、ふと気付いた様子で尋ねてきた。


 これを聞いたガーベラもまた、おれとは対照的に汗ひとつ掻いていない涼しげな顔に、疑問の色を浮かべる。


「なんだ、主殿。悩み事かの?」


 気遣わしげに、眉が寄せられた。


「あのリアとやらのことで、まだ心配事でもあるのか」

「……いや。そっちについては、懸念はない」


 おれは、かぶりを振ってみせた。


「十分に話はしたからな」


 昨日のうちに、おれたちは今後のことについて、いくらか話を詰めていた。


 リアさんが知った以上、村長である夫にも話を通しておいたほうがよいということで、後日、もう一度、説明のために彼女の村に赴くことになっている。


 場合によっては、そのままリアさんたちの村に滞在することもあるかもしれない。


 更に、村人たちには詳細は伏せるにせよ、『おれたちがなにか事情を抱えており、それを村長であるメルヴィンさんは知ったうえで受け入れるつもりでいる』というところまでは伝えることになった。


 これは、リアさんの提案だった。


 現時点で村人たちにまで、眷属のことも含めて事情をすべて明かすのは、いくらエルフの一族の結束が固いとはいえ、情報の拡散などの面を鑑みてもリスクが大きい。


 リアさんの提案ならそうした心配はないし、いざ事実を明かされたときに備えた心の準備もできる。

 たとえ万が一にも事故があって、村人たちに正体が露見することがあっても、『村長が認めている』という事実が頭にあるのとないのとでは、反応が違ってくるだろう。


「実際に集落を纏めている人の意見は、やっぱりありがたいな。リアさんたちの協力を得られたのは幸運だった」


 昨日の話がひと段落したあとのやりとりを、おれは思い出した。


 ――しかし、ヘレナの言葉で目が覚めたよ。こうも落ち着いているとはねえ。これは、わたしも引退を考えなきゃいけないかもしれないね。

 ――馬鹿なこと言わないでよ。お婆様と違って、わたしは心の準備ができてたってだけなんだから。


 ヘレナは一昨日の夜にあった倉庫の一件に遭遇しており、シランがなんらかの問題を抱えていることを知っていた。

 だから、心の準備をしていたのだという。


 ――あの時点で全部知らされていたら、さすがにこうはいかなかったし。そういう意味では、お婆様とそう変わんないよ。

 ――そうかねえ。わたしが仮にあんたの立場にあったとしても、これほどは落ち着いていられないと思うけど。


 ふたりは、こんなやりとりをしていた。


 結果論ではあるが、一昨日の夜、ヘレナに目撃されてしまったのは、そう悪いことではなかったのかもしれない。


 真実を話したうえで、村の実力者であるリアさんから拒絶されずに済んだ現状は、およそ最良の状況と言っていい。


 これから先、他のエルフの開拓村に対しても、『王族である団長さんからの招待』と『同行者であるシランとケイの存在』だけでなく、『ひとつの開拓村の村長夫妻の支持を得ているという事実』は、非常に大きく働くはずだ。


 おれ自身、信頼を得るべく動いてきたつもりではあるが、やはりこの結果に辿り着けたのは、エルフの一族のお互いを想う気持ちがあればこそ、だろう。


 この機会を無駄にしないようにしなければならなかった。


 と、そんなことを考えていると、ガーベラが不思議そうな声をあげた。


「ふむ。リアのことではないとすると、主殿はなにを考えておったのだ?」

「ひょっとして、シランさんのこと?」


 リリィも興味を向けてくる。


「……まあ、そうとも言えるし、おれ自身のこととも言えるな」


 返した声には、ほんのわずかに苦いものが混じっていた。


「今回、シランの隠し事に、おれは気付いてやれなかった。どうしてなんだろうって考えて、ふと気付いたんだ。おれは多分、昔のシランと同じことをしていたんだろうなって」


 リリィは不思議そうな顔をした。


「昔のシランさんと?」

「ほら。出会ったばかりの頃、おれに勇者としての幻想を投影していたって、シランが謝ったことがあっただろう?」

「……ああ。そういえば、そんなこともあったねえ」


 唇に指先を当てて少し考えたあとで、リリィは頷いた。


 騎士として樹海で必死に戦ってきたシランは、救えない命を何度も取りこぼすうちに、いつしか救世の勇者の降臨を強く望むようになった。

 その結果として、出会ったおれたちに、彼女は伝説の勇者という幻想を重ねるようになってしまった。


 けれど、おれと交流を重ねるうちに、彼女はそんな自分に気付いた。


 ――勝手に投影した幻想に語り掛けていたわたしのことを、どうか許していただきたい。


 律儀な彼女は、こう言って頭を下げたのだった。


「それで、ご主人様がシランさんと同じって言うのは?」

「だから、幻想だよ。おれもシランに、何事にも揺るがない騎士って幻想を見ていたんだ」


 多分、切っ掛けは、チリア砦襲撃事件のあの日の出来事だろう。


 モンスターに襲われるチリア砦。

 遭遇した同盟騎士たちに向けられた剣。


 モンスターを率いる能力を持つおれにとっては、およそ考え得る限り、最悪のシチュエーション。


 そんな場面で、シランはおれの無実を信じて、団長さんを説得してくれた。


 それは、とても嬉しいことだった。

 騎士としての彼女の高潔さが、輝いて見えた。


 ともすれば、幻想を抱いてしまうくらいに。


 ……要するに、助けられたお姫様が勇者に憧れを抱くようなものだ。

 そう考えると、いろいろとあべこべなようにも思う。


 言い換えれば、あの出来事はおれにとってそれだけ大事な思い出だったとも言える。

 だからこそ、今回の失敗の原因ともなりえたのだ。


「気付いてやれなかったのは、おれの落ち度だ」

「だけど、いまはそれに気付けたんでしょ?」


 溜め息をついたおれに、リリィが横合いから手を伸ばしてきた。


「だったら、これから気を付けてあげればいいことなんじゃないかな」

「リリィ……」


 細い腕が体に回されて、優しく抱擁される。

 それは慰めであり、励ましでもあった。


「騎士じゃなくなったシランさんは、ひとりの女の子なんだから。そのように扱ってあげないと……ご主人様も、そのつもりなんでしょ?」

「ああ」


 アンデッドになったから普通の女の子の生活をする……というのも因果なものだが、これはひとつの有用な方策だろう。


 なぜなら、シランが心身のバランスを崩した最初の切っ掛けは『騎士ではなくなったこと』だ。『騎士ではない女の子』としての自分に生き甲斐を見出すことができれば、精神的に安定するだろうし、デミ・リッチの体の状態も改善されるはずだった。


 おれの顔を覗き込んで、リリィがにっこり笑う。


「もちろん、わたしも協力するよ」

「そう言ってもらえると助かる。男のおれじゃあ、行き届かないところもあるだろうからな。そういうときは頼んだ」

「了解」


 ふふっと微笑したリリィが、ふと視線を他所にやった。


「と、話をすれば影だね」

「なんの話でしょうか?」


 現れたシランが、首を傾げた。


「ううん、こっちの話」

「そうですか? ならよいのですが。汗を流すための道具一式を持ってきました」


 わざわざ持ってきてくれたらしい。


「悪いな」

「いえ」


 一式を受け取って、おれは尋ねた。


「体の調子はどうだ?」

「大丈夫です」


 答えたシランが苦笑した。


「……と返事をするのも、これで今日三度目ですが」

「ご主人様は心配性だからねえ」

「いえ。その、わたしの自業自得のところもあるので、孝弘殿のことをとやかくは言えないのですが」


 微笑ましげにリリィが言えば、シランは片方だけの目を逸らしつつ、少し気まずそうにする。


 シランの姿には、以前とは違って、無理をしている様子はなかった。


 その事実に胸を撫で下ろしつつも、それはそれとして、調子を確認する言葉を口にしてしまうから、おれは心配性だなんだと言われてしまうのだろう。


 軽く咳をしてから、シランはリリィに水を向けた。


「ええと……リリィ殿はこれから朝食の準備をされるのですよね」

「うん。そのつもりだけど」

「今朝は、そちらを手伝わせていただきたいと思うのですが、よろしいですか?」

「シランさんが?」


 リリィは目を丸めた。


 彼女が驚くのも無理はなく、シランは旅の間、あまり食事の準備をすることはなかった。


 これは、リリィが進んで食事の準備を担当しているためだ。

 大抵は他に希望して彼女を手伝う者がおり、手は足りている。


 おれの指導に時間を割いているシランがそこに参加する必要性はなく、食事を摂る必要もない彼女にそれを強制する者もいなかったのだ。


「手伝ってくれるのは歓迎だけど……いいの? まだ休んでてもいいんだよ?」

「そういうわけにはまいりません」

「真面目だねぇ」


 苦笑を零したものの、リリィの口調は好ましげなものだった。


「まあ、これも女の子として生活の一環ってことなのかな。うん。わかった」

「ありがとうございます」

「お礼を言うのも変な話だけどね。……あ、でも」


 そこでリリィは、なにかに気付いたような顔をした。


「なんですか?」


 不思議そうな声をあげたシランを見てから、リリィはおれを一瞥する。

 改めて、シランに顔を向けた。


「シランさん。自分の食事はいいの?」

「わたしですか? わたしに、食事は……」


 一拍遅れて、なにを言われたのか理解したらしい。


 こちらに目が向けられた。

 はっとしたように、逸らされる。


「あ……その、昨日いただいたばかりですし」

「変な遠慮をすることはないぞ」


 半分は釘を刺す目的で、おれは口を挟んだ。


「おれとしても、一気に血を失うと貧血になりかねないからな。むしろこまめに摂ってもらったほうが助かるくらいだ」

「ですが……」


 なにやらシランは煮え切らない様子だった。


 視線がちらりと、リリィとガーベラに向けられる。


「わたしは……」


 もごもごと口が動いて、少し俯き加減になる。


 きゅっと眉を寄せた表情は、おれの勘違いでなければ、羞恥のそれだった。


 所在なげな指先が、服の裾をいじっている。


 これまでに見たことのない、シランの姿だった。


「えっと……シラン?」

「い、いえ。やはり、結構です」


 シランは音を立てるくらいに強く、首を横に振った。


「お腹は空いていませんから……」


 言って、踵を返してしまう。


「そ、そういうことですので。リリィ殿。わたしは、先に行っています」


 言い残して、そのままそそくさと行ってしまった。


 その背中を赤い目で見送って、こてんとガーベラが首を傾げた。


「どうかしたのかの?」

「うーん。いまのはちょっと失敗だったかも」


 ひとり事態を理解したのか、苦笑いをするリリィにおれは尋ねた。


「どういうことだ?」

「ん? どういうことって……それはまあ、恥ずかしかったんだよ。ご主人様から血をもらうのが」

「おれから血をもらうのが、恥ずかしい? ……あっ」


 言われて初めて、はたとおれは思い至った。


 血を吸うということは、肌に口で触れるということだ。

 およそ、親密な相手以外にすることではない。


 ましてや、相手は異性だ。


 意識してしまえば、される側のおれだって気恥ずかしいものがある。

 シランに抵抗がないはずがなかった。


「これは……しまったな。切羽詰まってて、昨日はそれどころじゃなかったから」

「うん、わたしもちょっと、うっかりしてたかも」


 リリィは思案げな顔を見せた。


「自分の体に関わることだし、これまでのシランさんなら動揺しなかったんだろうけど。いまのが、素のシランさんなのかもしれないね。……それにしても、ちょっと動揺し過ぎな気もするけど。んー。ひょっとすると、シランさん、ずっと騎士として生きてきたから、女の子としての経験値が……」


 なにやらぶつぶつとリリィが考え込む間に、おれも状況を頭のなかで整理する。

 苦い声が出た。


「となると、難しいな」

「え?」

「おれから血を飲むこと自体が、精神的な負担になりかねないわけだろう?」


 おれとしては、ただ確認を取ったつもりだったのだが、問われたリリィは目を丸くした。


「いや、それはないと思うけど」

「ん? だけど、さっきは……」

「あれは多分、わたしとガーベラの目が気になったんだよ」

「……そうなのか?」

「うん」


 おれから血を吸う行為自体については、シランに抵抗はないだろうと、リリィは確信を持った様子で言い切った。


 少し腑に落ちないところもあるが、同じ女性にしかわからないことはリリィに任せると、さっき言ったばかりだ。


 ここは信じておくことにしよう。


   ***


 朝食を済ませたあとで、おれたちは出発した。


 丸一日かけて、森のなかを通る細い道を進んでいく。


 そろそろ日が傾いてきていた。

 普段なら野営の準備を考え始める頃だが、日が暮れるまでには村に着けるというので、車を進めることにする。


 リアさんたちは、昨日と同じく車の前方を歩いていた。


 もう彼女たちに眷属の正体を隠す必要はないので、車に乗ってもらってもかまわないのだが……大きめの車体とはいえ、いかにもモンスター然としたガーベラたちと狭い場所に押し込められるのは、さすがにハードルが高いだろう。


 というわけで、リアさんたちは今日も徒歩なのだが、万が一のときのための護衛は、昨日と違って、シランの代わりにローズが務めていた。


 それでは、シランはどこにいるのかといえば、御者台のおれの隣である。


 これは、事後経過を診るためだった。

 たとえば、彼女の体になにかがあって、倒れるなどしたとき、おれの隣にいてくれたほうが咄嗟の対処がしやすいという判断だ。


 もうひとつ言えば、昨日の一件がなにかしらの変化を及ぼしたのか、おれはパスを介して、シランの魔力の状態をなんとなく感じ取れるようになっていた。

 いまの彼女には、ある意味、おれの体の一部が取り込まれているわけで、そのあたりが影響しているのかもしれない。


 そうして感じられるところ、現状、シランの魔力はかなり少ない。


 なら、もっと魔力を……血液を与えればよいようにも思えるが、それはあまり意味がなかった。


 いまのシランは、言ってしまえば、胃が小さくなっている状態だ。


 今朝、『お腹は空いていない』と言っていたのは、そのためだった。


 小さい袋に無理矢理水を流し込んでも溢れるだけだし、なんなら袋が破けてしまう危険性だってある。


 低燃費で、低容量。

 低いレベルではあるものの、安定しているのだから、いまは経過を診るべきだった。


 というわけで、おれは隣に座るシランの様子を気にしつつ、言葉を交わしていた。


「そういえば、今朝は驚いたよ。シランは料理もうまいんだな。知らなかった」

「これくらいは普通ですよ。それに、料理というほどのことはしていません」

「謙遜しなくてもいいだろう。おれには料理のことはよくわからないけど、シンプルなスープなのに美味しかったぞ。リリィが唸ってた」

「あれは、いくつかの香草を使っているのですよ。リリィ殿にも以前にお伝えはしたのですが、入れるタイミングや配合、分量の微妙なずれで、風味が変わってきてしまいますので。このあたりは慣れですね」


 他愛もない会話に興じる。


 なんだか少し新鮮な気持ちだった。


 意識したことはなかったのだが、これまでシランとふたりで話すことと言ったら、剣や魔法など戦闘に関するものか、この世界の風俗や制度などの知識面に関するものが大半だった。


 リリィに言わせれば「ふたりとも真面目なんだもの」ということだが、学ぶべきことも、備えるべきことも多かったのだ。


 これもある意味、騎士としての彼女しか見ていなかったことの、ひとつの現れなのかもしれない。


 これからはもう少し、こういう時間を作ろうと思う。


 リリィからは、こうしておれが接することで、シランの精神も安定するだろうと言われているし、異変がないかどうかチェックもできる。

 それに、おれ自身もこの時間を楽しんでいた。


「シランは手慣れてるんだな」

「亡くなった母に教わりました。砦でもたまには、自分で料理をしていたのですよ? ……そうすると、どこからともなく団員たちがやってきて、分けてくれと言い出すのが大変でしたが」

「へえ」

「常識の範囲内ならともかく、『模擬戦で勝ったら、これから先もずっと料理を作れ』と言い出す馬鹿者まで現れたときは大変でした」

「……それは多分、ちょっと違う意味だったんじゃないか?」


 これはおれでもわかる。

 気遣い屋のシランにも、鈍いところがあるらしい。


 思わず笑みを浮かべると、シランは不思議そうな顔になった。


「なんですか」

「いや。なんでもない。ただ、残念だなと思ってな」

「なにがでしょうか」


 シランが首を傾げる。


「今朝の朝食は美味しかったし、また機会があれば、シランが作ったご飯を食べてみたかったんだが。叩きのめされるのは困るな」


 おれの冗談を聞いて、シランはくすりと笑った。


「まさか。孝弘殿のことを、叩きのめしたりはいたしませんよ」


 シランもまた、冗談で返すかなとおれは思っていた。


 違った。


「むしろ孝弘殿には、わたしの料理を食べてもらいたいです」

「……」


 さらりと告げられたのは、素の言葉だった。


 社交辞令というわけでもなければ、冗談でもない。

 ただ、そうしたいと思ったから、そのまま口に出したというふうだった。


 無防備過ぎる言葉は、それが無意識のものであればこそだろうか。


「あ」


 シランの口から、小さな声があがった。


 自分の言葉に、今更、気付いたかのように。


 ぱっとこちらを振り向いた仕草は、小動物めいていた。


「あっ……え? なんで、わたし」


 唇から意味のない言葉が零れ落ちる。


 混乱しつつ恥じらう仕草は、まるで小さな女の子のようだ。


「その、いまのはですね……」


 ぱたぱたと手を振りながら、言葉を探しているのか視線が泳ぐ。


「そ、そういう意味ではない、というか」

「ああ、うん。どういう意味でも、おれは……」


 まずい。

 なんだか、こっちまで変な感じになってしまった。


「き、機会があれば……孝弘殿に、その、かまいません。村に滞在中なら、先程の話、なのですが」

「そ、そうか。ありがとう……」


 しどろもどろのシランの申し出に頷く。


 じりじりと体感温度が上がり、肺が半分に縮んだみたいに息苦しかった。

 ただ、不思議なことに、それは嫌な感覚ではなかった。


 沈黙が落ちる。


 しかし、それも長くは続かず、妙な空気に堪えかねてか、シランが話を振ってきた。


「そ、そろそろ、村に着く頃ですね」

「そうなのか?」

「はい。なんとなくですが、道に覚えがあります」


 言葉を重ねているうちに、シランも落ち着いてきたようだ。


 周囲を見回しつつ、おれの問いに答えてくれる。


「ちょっと登り坂になっているでしょう? これを登り終えたら、村が見下ろせるはずです。……最後に通ったのはもう五年も前ですが、意外と覚えているものですね」


 つぶやいた声に、懐かしさが漂った。


 シランは以前に『兄と同じく自分も故郷の村には帰ることはできないだろう』と語っていたことがある。


 そのような悲壮な覚悟を胸に戦い続けてきた彼女にとっては、五年振りの帰郷は、いっそう感慨深いものに感じられるに違いない。


 そんな話をしている間にも、登り坂が緩やかになりつつあった。


 先を歩いていたリアさんたちが歩調を緩めて、おれたちのもとにやってきた。


「孝弘殿。そろそろ村に到着します」

「はい。さっきシランから聞きました」


 声をかけてくるリアさんに応えた頃には、傾斜はなくなっていた。


 もう到着だと思うと、自然と気分が引き締まった。


 いまの村長は、シランの叔父に当たる人物だと聞いている。

 目下のところ、彼を味方に引き込むのが目標だ。

 気を抜いてはいられない。


 と同時に、少し楽しみな気持ちもあった。


 なにせ、シランとケイの故郷だ。

 彼女たちからはなにもないところだと聞いているし、これまでに寄ってきた開拓村とそう変わらないことはわかっているが、それでも楽しみだった。


 御者台は高いところにあるので、村の光景が目に入ってきたのは、おれとシランが最初だった。



 燃え落ちる家々と、逃げ惑う村人たちの姿が見えた。

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