10. 少女の隠し事
(注意)本日2回目の投稿です。
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その後は、特に何事もなく、夜が明けた。
次の日、おれたちは予定通りに、エルフの開拓村を出発した。
向かう先は、シランとケイの故郷の村だ。
二日間の道程になる。
予定と少し違ったのは、この旅に、リアさんとヘレナが同行したことだった。
出発の朝、村長宅で用意されていた朝食の席で、おれたちと一緒に隣村に行きたいと、ヘレナが言い出したためだった。
シランに並々ならぬ対抗心と、親しみを――本人は認めないだろうが――持っている彼女のことだ。
同行を願い出ること自体に不思議はない。
祖父母であるメルヴィンさんやリアさんも、そう解釈したようだった。
ただ、おれはどうしてヘレナがそんなことを言い始めたのか、本当のところを理解していた。
ヘレナは昨日の出来事を目の当たりにしている。
シランが心配なのだろうし、事情を聞きたい気持ちもあるのだろう。
おれはヘレナの同行を許可することにした。
むしろ、おれ自身もヘレナと話をする必要性を感じていたので、これについては渡りに船と言ってもよかったかもしれない。
昨夜、おれが任せた仕事を、ヘレナは完璧にこなしてくれていた。
秘密裏のうちに食料庫は綺麗に片付けられて、シランの行為の痕跡は跡形もなく、メルヴィンさんにはおれが群青兎の肉を分けてもらったと話が通っていた。
おれはただ、口裏を合わせるだけでよかった。
昨晩のシランを見付けたのがヘレナでなければ、もっと事態は深刻なもの
になっていたかもしれない。
お礼を言っておかなければならないし、フォローの必要性を感じてもいた。
生憎、慌ただしく出発の準備をするヘレナとは、村を出るまでの間、ふたりきりで話をする時間は取れなかったが、隣村までの二日の旅のうちに、話す機会を設けるつもりだった。
ヘレナが行くことに決まると、リアさんも同行を申し出た。
孫娘が粗相をしないか心配だったのだろう。
彼女の気持ちは理解できたので、こちらについても、申し出を拒むことはしなかった。
「申し訳ありません、孝弘殿。ヘレナが無理を言いまして……」
「いえ。おれはかまいませんよ。むしろ、リアさんこそよかったんですか? 村を離れてしまうことになりますが」
「お気遣いありがとうございます。ですが、問題はありません。村でのわたしの役割は、夫の代理ですから」
代理である以上、必ずしもいなくてもかまわないのだと、リアさんは説明した。
実際、ディオスピロの町に陳情に行く際には、リアさんは村を離れていたわけで、そのあたりは役割分担ができているのだろう。
「丁度いい機会ですので、隣村の知り合いのところに顔を出そうと思います。どちらにせよ、近く顔を出す予定ではありましたから」
「そうなんですか?」
「ええ。このあたりの開拓村では、月に一度は互いに人をやり合っているのですよ」
樹海において、村同士の繋がりというものは、途切れさせてはならない大事なものなのだという。
たとえば、近隣のモンスターの情報は、村同士で共有しなければならない重要なものだ。
そのため、彼らは多少の危険を冒してでも、村同士で定期的な情報共有を行っている。
また、ときには他の村の危機に人手を回すこともある。
恐らくは、こうした実利面のほかにも、同じ危険な土地で生きている仲間意識も強く働いているのだろうし、そもそも、リアさんとシランたちを見ればわかるように、村同士が浅からぬ血縁関係を結んでもいる。
内部での結束だけでなく、村の間にも緊密な連携を保つことで、彼らは樹海という危険な土地をしたたかに生き延びているのだった。
「群青兎の一件で手一杯でしたから、ここのところは連絡が滞っておりましたが、それも解決いたしました。その事実を伝える、という目的もあります。それに……」
「それに?」
「折角、久しぶりにあえたシランたちと、これでお別れというのも寂しいですから」
そう言って、リアさんは笑っていた。
シランは一時期、彼らの村に預けられていたことがあったと聞いている。
リアさんにとって、シランはもうひとりの孫のような存在なのかもしれない。
そのリアさんは、現在、シランとケイ、ヘレナと一緒に、おれの操る車の前方十メートルほどの場所を歩いていた。
四人のエルフたちは、朗らかに言葉を交わし合っている。
なにを話しているのかは聞き取れないが、いかにも楽しげな様子だった。
「シランさんですが、見たところ、特に問題はなさそうですね」
彼女たちのうしろ姿を眺めていると、御者台の隣に座っていたローズが話しかけてきた。
「昨日、帰ってきたご主人様から話を聞いたときには、ずいぶんと気を揉んだものでしたが」
ローズもシランのことは気にしていたらしい。
わずかに心配そうな声で尋ねてきた。
「ですが、もう大丈夫なのですよね? 問題については『昨日の一件』で『足りている』ということでしたが」
「ああ。シランからはそう聞いてる」
おれは頷きを返した。
「昨日はしっかりと『食べた』からな。飢えはしのいでいる。もちろん、それも継続しなければ、また同じことが起きてしまうわけだが……そのための、昨夜の話し合いだ」
昨晩は、あれからシランを連れて戻ったあと、みんなでこれから先のことを話し合った。
お陰で少し寝不足気味だが、必要なことだった。
「おれたちが協力さえすれば、別段、シランの体質はおれたちの足を引っ張るようなものじゃない。たとえば、この道中にしたところで、おれたちのうちの誰かが夜の見張りをしている時間なら、いつでも抜け出せるわけだしな」
変に気を遣っていたから、シランは身動きが取れなくなっていただけで、本来ならたいした問題ではないのだ。
「そもそも、シラン本人が獲物を狩る必要さえない。鼻の利くリリィのほうが、狩人としては優秀なんだから。リリィが獲ってきた獲物を食べるだけなら、抜け出している時間だって少なくて済むだろう」
「確かに。それがよろしいかと思います」
ローズは相槌を打った。
「結局のところ、迷惑をかけるべきではないという遠慮が、状況を悪化させてしまったわけですね。……少しばかり、シランさんらしくない失敗とも思えますが」
「そこは、責任感が強過ぎたということだろうな」
「……ああ。そういうふうにも取れるのですね」
ローズはかすかに首を傾げた。
「ご主人様がそうおっしゃるなら、そうなのでしょう。しかし、とすると、難しいものですね。わたしは、シランさんのことを、ひとかどの人物であると認識しております。それでも、ときには、あのような失敗をしてしまう……」
「それは、仕方がない。誰にでも失敗はある。昨日も言ったが、肝心なのはそのあとだ。らしくない失敗だったのは確かだが、シランなら、もう二度と同じような失敗はしないだろう」
「はい。わたしも、そう思います」
同意を示すローズに、おれは小さく笑いかけた。
「しかし、何事もなく切り抜けられてよかったよ」
正直、ひやりとした場面もあったが、どうにかやり過ごすことができた。
なくなった群青兎の肉については誤魔化せたし、唯一の目撃者であるヘレナはおれたちに協力してくれている。
これからの対策も取った。
やり残したことと言ったら、ヘレナに対するフォローくらいのものだが、それはあくまで本質ではない。
村に着くのは明日の夕方頃だし、それまでの間なら、話すのはいつでもよかった。
本来の目的である開拓村での長期滞在についても一定の目途が立っているし、ずっと気にかかっていたシランのことも解決した。
まずは一安心と言っていいだろう。
おれは小さく吐息をついた。
そのとき、御者台に座るおれたちの背後で、車内を隠す覆いが持ち上げられた。
「真島先輩、ローズさん」
車のなかから顔を出したのは、加藤さんだった。
「どうした、加藤さん」
緩みかけていた気を引き締め直して、おれは尋ねた。
「なにかあったのか?」
シランについての会話から、次の問題へと意識を切り替える。
しかし、加藤さんは笑って手を振った。
「いえ。そういうことではないんです。ちょっと、なにをしてるかなと思いまして」
「……ああ。なんだ、そういうことか」
どうやら、なにか用があって、顔を出したわけではないらしい。
シランのことが頭にあったから、つい早とちりをしてしまった。
「おふたりは、なにをお話していたんですか?」
微笑みを浮かべた加藤さんは、おれとローズとを見比べると、小さく首を傾げてみせた。
「ひょっとして、ローズさんの話でしょうか?」
「ローズの?」
なんの話だろうか。
心当たりがない。
「あれ? まだ話していないんですか。ローズさん、作っていたモノの進捗がうまく行きそうだって、嬉しそうにしていたんですけど」
「そうなのか?」
視線を向ける。
ローズは少し躊躇う素振りを見せたあとで、頷いた。
「なんだ。話してくれればよかったのに」
「いえ。ご主人様は群青兎の討伐や、村のエルフの方との折衝など、お忙しくされていましたし、それ以外の時間も、ガーベラたちのお相手をされていました。作っていたものが完成したという報告ならともかくとして、途中経過に関する些細な話に付き合っていただくわけには……」
口にされた理由は、いかにもローズらしい遠慮深いものだった。
もっとも、それがおれの意に沿うものであるかどうかといえば、それはまた別の話だ。
どう言ったものかなと考えたところで、加藤さんがずいと身を乗り出した。
「駄目ですよ、ローズさん」
華奢な指が、ローズの頬をつついた。
「そんなこと言ってたら、必要なこと以外、なにも話せなくなっちゃうじゃないですか」
「真菜……」
「そうだな。加藤さんの言う通りだ」
おれも笑って、相槌を打った。
「変な遠慮なんてするな。ローズと話をするのは、おれにとって楽しいことなんだから。おれから楽しみを取り上げないでくれ」
おれが言うと、ローズはこくりと頷いた。
「……承知しました」
白い長手袋を付けた手をもじもじとさせつつ、こちらを見詰める顔には、ぎこちなさのずいぶん薄れた笑みが浮かんでいる。
はにかんだ笑みだ。
どきりと胸が高鳴るくらいに、愛らしい表情だった。
なんとなく、ローズの顔が見ていられなくなって、さりげなくおれは視線を前方に逃がした。
「……」
前々から、こんなふうに、ローズにはたまにどきりとさせられる瞬間がある。
女性らしい装いをするようになり、顔を仮面で隠すのをやめて、自然な表情を出せるようになるにつれて、そうした機会は確実に増えていた。
ここのところ、なぜだかローズと話す時間が以前より長くなっているので、尚更、そんな変化を自覚していた。
本当になんの根拠もない感覚の話なのだが……なにやら包囲網が狭まっているような錯覚があった。
追い詰められているようなその感覚は、決して不快なものではなく、ただ、ほんの少しばかりおれの気分を落ち着かないものにさせた。
その落ち着かなさを誤魔化すように、おれは口を開いた。
「それで、ローズ。さっき加藤さんが言っていた進捗というのは、なんの話だ?」
「はい。魔力を使って動く、この車の研究についてです」
「この車の? ……そういえば、前々から調べてはいたな。ひょっとして、ついに作れるようになったのか?」
「いえ。それはまだなのですが、ちょっとした進展がありまして。あとは、新装備についても、同時並行で試行錯誤していたもののいくつかで、形が見えてまいりました」
「ほう。それは楽しみだな」
がたがたと車の立てる振動を感じながら、朗らかに言葉を交わす。
さっき、ローズに告げた言葉に嘘はなく、おれは会話を楽しんだ。
また、それは気持ちが安らぐひとときでもあった。
現状はひとまず順調とはいえ、これからクリアすべき壁は多い。
であればこそ、先を見据えるのなら、こうした息抜きの時間も必要なのだと感じられた。
「どうせなら、現物を見せてもらったほうがいいか」
「それがよろしいかと思います。ここではお見せできないものもありますし、のちほど、休憩の際にでもお話させていただきますね」
「ああ。楽しみにしてるよ」
「はい」
話が一段落つく。
「そういえば」
ふとした様子で、加藤さんが口を開いた。
「最初の話に戻りますけど……」
「なんだ?」
「わたしが来る前の話なんですけど。ローズさんのお話をしていたんじゃないなら、おふたりはなにを話していたんですか?」
半分は話のとっかかりを探すための、何気ない疑問だった。
「シランさんの件についてですよ」
なんでもない口調で、ローズは答えた。
「ああ。その件ですか」
加藤さんが声を低くした。
「ちょっと心配ですよね」
あどけなさの残る顔立ちに、少し気遣わしげな色が浮かんでいた。
「シランさん、どうにも不安定な印象がありますから」
「……え?」
その反応は、まるで予想していないものだった。
さっきまで、おれとローズはシランについて、もう安心だという話をしていたからだ。
虚を突かれたと言ってもいい。
なんの話だと思った。
疑問を覚えるには、あまりにも遅過ぎたけれど。
なぜなら、丁度、そのときだったのだ。
おれの前方を歩いていたエルフたち。
その端を歩いていた少女が、なにかを落とした。
手ごろな長さの棒みたいな。
少女の左腕だった。
見間違いかと思った。
そう思いたかったのかもしれない。
だが、違った。
手甲を付けた腕が、確かに地面に転がっていた。
前腕を肘の近くでばっさりと切り落とされたものだった。
不思議なことに、その断面から血液が零れ出す様子はない。
それは、どちらかといえば、『取れた』という表現がしっくりとくる有り様で、そのせいか、どうにもリアリティというものに欠けていた。
マネキンの腕。
あるいは、なにかの玩具。
そんなふうに見えてしまって、まるで不出来な悪夢みたいに現実感がない。
けれど、それは紛れもなく残酷な現実だった。
……問題は解決したと思っていた。
安心して、気を抜いていた。
もう先のことを考え始めていた。
大丈夫だというシランの言葉。
あれが嘘だったなんてことも、そうせざるをえないくらいにシランが追い詰められていたことも、おれは想像さえしていなかったのだ。
次の瞬間、穏やかだった時間を崩す、絹を裂くような悲鳴があがった。
◆お待たせしました。
いいところまで書けたので投稿です。
◆ご報告です。
今月末(4/28)発売の書籍版6巻の発売日が近付いてきましたので、
活動報告のほうで、表紙やキャラデザなどの公開をしております。
興味のあるかたは、どうぞ、ご覧ください。
作者ページ or 以下リンクよりどうぞ。
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