08. 夜の村
(注意)本日2回目の投稿です。
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「今回の一件では、本当にお世話になりました」
夕食のあと、おれは村長宅に引き留められていた。
「孝弘殿のお陰で、村は難を逃れました」
テーブルの対面に座ったメルヴィンさんが言って、リアさんと揃って頭を下げた。
「いえ。おれとしても、十分な報酬はいただいていますから」
「その報酬についても、軍と交渉したシランに言って、村に配慮するかたちにしていただいたと伺っております」
「困ったときはお互い様ですよ」
この世界では、モンスターの被害に対処するために、親交の深い他国や貴族領に依頼して、戦力を融通してもらうことがある。
今回の群青兎の討伐に関わる報酬も、それに準拠したものだった。
その大部分は軍から出ており、それなりの額を受け取っている。
代わりに、群青兎から採れる染料の原料となる石は、後日、村の人間によって町に運ばれ、軍が納めることになっていた。
軍はそれを売ることで、おれに払った金の一部を回収することができ、おれとしても、わざわざ行き帰りで一週間以上かけて、町まで換金をしに行く手間が省けるという寸法だった。
また、村も一部、報酬を負担することになったが、あまり使う機会のない貨幣は蓄えがないという話を事前に聞いていたため、こちらは食料を分けてもらうかたちにしておいた。
おれはしばらく、シランの故郷である隣村で過ごす予定なので、負担にならない程度に、おいおい準備してもらえばいいと話してある。
大量に獲れた群青兎の肉は、村で消費してもらうかたちにしたので、報酬と差し引いても、あまり負担にはならないはずだった。
「しかし、孝弘殿やシランはさすがですね」
リアさんがしみじみとした口調で言った。
「咄嗟の指示も、実に堂に入ったものでした。わたしはどうにも、ああした場面で指揮を執るには向いていないようです。ずいぶんとうろたえて、村の者たちを浮き足立たせてしまいました」
溜め息をついたあとで、微笑を浮かべる。
「ひとりの被害も出さずに済んで、ほっとしています。本当にありがとうございました」
笑顔で言ったリアさんは、そこでメルヴィンさんに目配せをした。
頷いて、メルヴィンさんが口を開いた。
「ところで、孝弘殿」
「なんでしょうか」
改まってなんだろうかと疑問に思うおれに、メルヴィンさんは切り出した。
「孝弘殿は、村での生活をお望みだとお聞きしました」
「……シランから聞いたんですか?」
突然の話題だったので、少し驚く。
ただ、なぜそれを……とは思わなかった。
シランには、できればこの件について、信頼できる人間に相談できないものかと話をしていたからだ。
「それでは、本当なのですな」
「ええ」
頷いたおれは、むしろメルヴィンさんの態度のほうを不思議に思った。
「どうして、とは訊かないんですね」
「シランから、やんごとない事情があるのだと聞いておりますので」
「……そうでしたか」
自分の判断で必要と思うところまで話してくれてかまわない――と、シランには言ってあった。
おれが明かせない事情を抱えていることまでは、メルヴィンさん夫妻に伝えたらしい。
ここまで話をしたということは、それだけシランは彼らを信頼しているという証とも言えるだろう。
「その事情というのは、我らにとって、なかなか受け入れがたいことかもしれない。そんなふうに、シランは言っておりました」
重々しい口調で、メルヴィンさんは続けた。
「……はい。その通りです」
おれは、無意識に喉を鳴らした。
ここで拒絶されてしまえば、信頼を築くどころの話ではない。
ひょっとしたら、わけありであること自体、伏せるべきだったのかもしれなかった。
けれど、おれはシランに、あえて伏せるようにとは言わなかった。
むしろ話せるようなら、話してしまってもいいとさえ言ってあった。
ここ数日、メルヴィンさん夫妻や他のエルフたちを見ていて、そうしたほうがよいように感じられたからだ。
とはいえ、それが正しかったのかどうかはわからない。
果たして――メルヴィンさんはリアさんと視線を交わしてから、ゆっくりとした口調で言った。
「もしも、それを孝弘殿が本当にお望みなら、わたしたちにはあなたを受け入れる用意があります」
「本当ですか」
尋ねる声は、自然と大きなものになった。
風向きが怪しいように感じられたので、断られるかもしれないと思っていたのだ。
身を乗り出したおれに対して、メルヴィンさんは深々と頷いてみせた。
「そもそも、孝弘殿をアケルに招いたのは、アケル王家の方です。我らは常に王家に守られてきました。大恩ある王家の決定であれば、我ら一同、従うのに否はありません。たとえ、孝弘殿にどのような事情があろうとも、です」
しかつめらしく言ってのける。
「加えて、我らは孝弘殿にご恩があります。受けた恩を返さずに知らん顔をしていられるほど、我らは恩知らずではありません」
そこまで言って、メルヴィンさんは、頬に古い傷の走る顔を笑みのかたちにした。
「それに……今日の訓練、わたしも見させていただきました。これでわたしが孝弘殿を拒絶したなどと知られれば、村のみなに怒られてしまうことでしょうな」
冗談めいて言ったメルヴィンさんに、おれは頭を下げた。
「ありがとうございます」
少し慌てた様子で、メルヴィンさんが腰を浮かせた。
「おやめください、孝弘殿。それに、礼を言うのはこちらのほうです」
頭を上げたおれに、メルヴィンさんは言った。
「シランは言っておりました。孝弘殿には大きな恩がある。どうか、頼みを聞いて差し上げてほしいと」
「シランが……?」
「ええ。詳しい話までは聞いておりませんが、チリア砦であった凶事では、孝弘殿とそのお仲間の方が、シランとケイを助けてくださったのだと聞いております。あの子らは、血を分けた我らの家族です。家族の命を助けてくださった方を、無下にできようはずがないではありませんか」
その言葉には、真情がこもっていた。
純朴で義理堅く、情が厚い。
これが、開拓村に住むエルフたちなのだ。
「孝弘殿が腰を落ち着ける場所として、どこを選ばれるのかはわかりません。ですが、必要とあれば、この村にお越しください。我らはいつでも孝弘殿を歓迎いたします」
***
「良かったね、ご主人様」
村長宅を出ると、リリィはおれに寄り添った。
おれの腕を、両腕で引き寄せる。
少女の体の温かさと、柔らかさが伝わった。
「メルヴィンさんたちと話した感じ、思った以上に、良い感触だったじゃない」
おれの顔を下から覗き込むようにして、にっこりとリリィは微笑んだ。
心の底から嬉しそうな笑顔だった。
「そうだな」
月明かりの下、輝くような笑顔に目を奪われながら、おれも頷き返した。
団長さんの頼みがあればこそなのだろうが、それでも、快く滞在を許可してもらえたのは嬉しい。
それに、シランがうまく話をしてくれたというのも大きかったのだろう。
彼女自身、わざわざ頼んでもくれたようだし、本当に頭が上がらなかった。
「ありがたい話だ。シランには感謝しないとな……」
そこで、ふと思い付いた。
「……そうだ。ちょっといまから、顔を出してみるか」
村に滞在している間、シランはケイと一緒に、おれたちとはまた別の家で寝泊まりしている。
それほど大きな村ではないし、帰る途中で少し足を伸ばすくらいはなんてことない。
ただ、おれの言葉を聞いたリリィは、少し不思議そうな顔をした。
「いまから? 訪ねるには、ちょっと遅くない?」
メルヴィンさんたちと少し話し込んでしまったので、もうとっぷりと日は暮れていた。
「明日の朝でもいいと思うんだけど」
「まあ、そうなんだが……」
リリィの指摘はもっともなもので、おれの返事はどこか煮え切らないものになってしまった。
実際のところ……シランに対する感謝の気持ちは嘘ではないが、いまから礼を言いに行こうと言い出したことについては、口実の部分が大きかった。
結局のところ、夕食前のやりとりで見せたシランの態度が、おれにはどうにも気になっていたのだった。
様子を見ておきたいと感じていた。
心配性かもしれないけれど、そう感じた。
そうしなければならないような、予感があった。
あとから考えてみれば……それは、虫の知らせのようなものだったのかもしれない。
「……ちょっと、用事もあってな」
「ふうん」
腑に落ちなさそうな顔をしながらも、頷いたリリィと一緒に、おれはシランのもとに向かった。
歩き出して、数分のことだった。
リリィが声をあげた。
「……あれ? あそこにいるの、ヘレナさんじゃない?」
離れた場所、木陰に隠れるようにして、黒い影があった。
おれの目では、木の作り出す濃い影に紛れてしまって、小柄な人影であることくらいしかわからない。
おれたちの会話が聞こえたのか、影がこちらに振り返った。
小走りに近付いてくる。
近くで見れば、確かにそれはヘレナだった。
「……なにかあったのか?」
尋ねたのは、月明かりだけの薄暗さでもわかるくらいにはっきりと、ヘレナの顔に焦燥が浮かんでいたからだ。
「孝弘様……」
名前を呼んだきり、ヘレナは視線を落とした。
なにがあったのかはわからないが、なにかあったことだけは明らかだった。
「どうかしたのか?」
なるべくゆっくりとした口調を心掛けて、おれは尋ねた。
「言ってくれれば、力になれるかもしれない」
ちらりと視線を上げて、ヘレナは唇を噛んだ。
言うかどうかを迷っているようだった。
同時に、どう言ったものかどうか困っているようでもあった。
混乱している、というのが一番正しいのかもしれない。
ややあって、ヘレナは口を開いた。
「シランのこと、なんですけど」
「シランが? どうかしたのか?」
「……こちらに来ていただけますか」
何度か口を開いたり閉じたりしたあとで、彼女は言った。
「こっちです。静かに、ついてきてください」
言うと、移動を始めてしまう。
余裕のない様子だった。
おれはリリィと顔を見合わせて、彼女のあとを追った。
村はとても静かだった。
この時間だ。
家の外を出歩いている村人は、他にいない。
夜間の見張りをしている者はいるはずだが、外敵を警戒する彼らは、防壁の傍の物見櫓に詰めており、村のなかを見回るようなことはない。
木々の立てるかすかなざわめきと、おれたちの移動する足音だけが、耳に届くすべてだった。
すぐに、ヘレナは足をとめた。
先程も潜んでいた木陰で振り返ると、こちらに手招きをする。
おれたちが近付くと、彼女は一点を指さした。
視線を向ける。
少し離れた場所に、一軒の建物があった。
なんの変哲もない、頑丈そうで素っ気ない建物だ。
「……?」
入り口の木戸が、開いていた。
開いた扉のなかは、暗くて見えない。
ねっとりとした暗闇が、うずくまっていた。
「あの建物、なんですけど」
ヘレナが言う。
少し、声が震えていた。
「あれがどうし……」
そんな彼女の様子を不審に思いつつ、言い掛けたところで、おれは口を噤んだ。
開いたままだった扉の入り口から、ふらりと人影が零れ出たからだ。
結い上げられた、金色の髪。
シランだった。
ちょっと遠いが、間違いない。
間違いなく、シランのはずだ。
そのはず、なのに……。
なぜだかその姿を見て、おれは背筋に凍えるものを感じてしまった。
「……」
月の冴え冴えとした光を浴びて、金色の髪がゆらゆらと揺れている。
体の芯を失ったかのように、ふらり、ふらりとよろめいて。
ふらふらとした足取りのまま、建物を回りこむように歩くシランの姿は、すぐに見えなくなった。
この間、数秒。
おれは自分が息を詰めていたことに気付いた。
「……わたし、ちょっと話があって、シランのところに行ったんです」
囁くような声で、ヘレナが言った。
「そしたら、あいつ、どこかに行くところだったみたいで。声をかけようとしたんですけど……なんでか、わたし、ぞっとしちゃって」
ヘレナの声は、いまやはっきりと震えていた。
「お、おかしい、ですよね? だけど、わたし、それで声をかけられなくって。ただ、様子がおかしいのは確かだったし、放っておくわけにもいかないじゃないですか? だから、こっそりとあとをつけたんです。そしたら、あいつ、あそこに入っていって……」
「あの建物はなんなんだ?」
「倉庫です。村の食料庫として使われてます」
「……食料庫」
なんだろう。
なんだろう。
酷く嫌な予感がした。
「こんな時間に、用事なんてないはずなんですけど……」
少女の声が、掠れて消える。
残された沈黙が重い。
鉛のような空気を吸い込んで、おれは言った。
「……確かめてみよう」
リリィとヘレナが、無言で頷いた。
ひっそりと、おれたちは木陰から出た。
倉庫まで駆け寄る。
見回すが、シランの姿はない。
開いた扉から、なかに入ろうとする。
「待って。ご主人様」
行く手を腕で遮られた。
「わたしが、先に行く」
言ったリリィが、赤色の小さな魔法陣を展開させた。
発動した魔法の灯火を手に、彼女は先に倉庫に足を踏み入れる。
おれも、それに続いた。
灯火に照らし出された倉庫。
喰い散らかされた群青兎の肉が転がっていた。
◆ちょっと遅れました。
なかなか見直しが終わらなかったですが、きりがついたので更新です!






