35. 竜の姉妹
前話のあらすじ:
竜の里に起きた悲劇を知る
35 ~加藤真菜視点~
わたしたちの滞在する家に、食材を持ったキャスさんが現れたのは、もう日が傾いた頃だった。
「こちら、使ってください」
「ありがとー、助かる」
リリィさんが応じて、食材の詰められた革袋を受け取る。
玄関先までついてきたわたしも、そのうちのひとつを受け取った。
革袋の中身には、それぞれ異なった食材が入っていた。
竜淵の里では、畑で栽培している芋のほかに、主に湖にいる魚や、自生している水草、昏き森に生息しているモンスターを狩って、日々の糧としているらしい。
わたしが受け取ったものには、肉厚の水草が。
リリィさんが受け取った革袋のなかには、ひとつには芋から作ったパンが、ひとつには魚が、最後のひとつには鳥の腿肉が入っていた。
この肉は、『ハウリング・フェザント』という大型の鳥モンスターのものらしい。
話に聞いた限り、大きさ以外はキジによく似たモンスターのようだ。
とはいえ、渡されたのはすでに羽根と毛の処理を終えたあとのものなので、大きな鳥だったのだろうなということくらいしかわからない。
「そういえば、キジは日本でも昔から食用されてたんだよね。キジといえば日本の国鳥だけど、選ばれた理由のひとつに、お肉が美味しいからってのがあるくらいなんだよ」
「え? そんな理由だったんですか、あれ……」
「それだけじゃないけどね」
「『これ』も美味しいですよ。このあたりで獲れる食材のなかでは一番だと思います」
玄関先で、軽く世間話をする。
キャスさんが非常にナチュラルにモンスターを食材扱いしているあたり、人とドラゴンとのちょっとしたギャップが面白い。
ともあれ、肉は美味しいということだから、楽しみだった。
きっと真島先輩も喜んでくれることだろう。
……贅沢を言うのなら、調理に慣れている里の人たちに作ってもらえれば一番だったし、実際、里では歓待の席を設けようという動きもあったようなのだけれど、ロビビアの件があったことと、レックスなどあまり人間にいい感情を抱いていない者もいるということで、こうして食材を融通してもらうだけになってしまった。
残念ではあるが、そうした内情について申し訳なさそうに話をしてくれたキャスさんに、なにか言っても仕方ない。
そのキャスさんはと言えば、ちらちらと家のほうを気にしていた。
「ロビビアちゃんのことが気になりますか?」
「そんなことは……いえ。あの子はどうしていますか?」
一瞬、誤魔化そうとしたようだったが、すぐにキャスさんは取り繕うことをやめた。
「元気に振る舞っていますよ。少なくとも、表面上は」
「そうですか」
キャスさんは溜め息をついた。
と、扉がきぃと音を立てた。
「む? こんなところで立ち話か?」
現れたのは、ガーベラさんだった。
「どうした、浮かない顔をしておるが」
彼女はキャスさんを見て、怪訝そうな顔をした。
「ああ、いえ……ロビビアは、どうしていますか?」
「ローズ殿が作ったあやめの玩具があったろ。あれで、あやめと遊んでやっておるよ」
答えながら、ガーベラさんはこちらにやってくる。
ちなみに、ローズさんが作った玩具というのは、いわゆる、犬の玩具だ。
それを使って、あやめはロビビアちゃんに遊んでもらっている、ということらしい。
……お姉さんとはいったい?
と、今日ここまで来る間のやりとりを思い出して、わたしは益体もない感想を抱いてしまう。
まあ、身をもって妹の気晴らしに付き合ってあげている、とも考えられなくはないけれど。
……うーん、どうだろうか。
違う気がする。
「わかったぞ、キャスよ。お主、ロビビアのことを心配しておるのだな?」
この短いやりとりで、ガーベラさんも状況を把握したらしい。
「案ずることはない。なに、主殿に任せておけば大丈夫だ」
あっさりと言ってのけた。
無責任とも見えるが、実際にその言葉に込められているのは、真島先輩に対する全幅の信頼だった。
本心から、先輩に任せておけば万事うまくいくと信じているのだろう。
こうしたガーベラさんの態度は、いろいろと考えてしまうわたしにとって、好ましく感じられるものだった。
「そもそも、そうも気になるのなら、お主も夕食を一緒にすればよいではないか。ひとり増えたくらいなら、食材が足りなくなるようなこともあるまい」
「いえ。わたしは……長にとめられていますから」
「ああ。そうだったな。だが、別によいのではないか?」
実に軽い口調で言われてしまって、キャスさんが目を丸くした。
「あれが常に正しいというわけでもあるまい。というか、妾としては多少なりとも思わぬところがないでもないのだ。先々のことを考えればそうすべきだという主張はわからんでもないが、だからといって、いまのロビビアの気持ちがどうでもよいということにはならんだろう」
ガーベラさんは、ふんすと鼻を鳴らした。
「妾たちが強引に誘ったのだと言えば、言い訳も立とう」
「それは……そうかもしれませんが」
迷うように視線を逸らし、キャスさんは眉を寄せた。
「いえ。でもやはり、あの子が嫌がるでしょうから」
「ふむ。そう言い張るのなら無理強いはせんがの……しかしだな、少しよく考えてみよ。一度、ここを出たら、ロビビアはもうここには戻ってこられんのだぞ。まあ、サディアスとの繋がりは残るようではあるがの」
マルヴィナさんが禁じたのは、あくまで里の行き来だけだ。
基本、サディアスさんは里の外に出ているので、必要があればそちらと接触することはかまわないと言われている。
あれでマルヴィナさんも、ロビビアちゃんのことを心配しているのだ。
ロビビアちゃんを託した先輩にも、彼女なりに最大限の便宜を図ろうとしている。
なにかあれば頼れと……最悪の場合には、里に逃げてきていいとも言われていた。
当然、そのときには、人間社会との繋がりはすべて切ることになるが、最後の逃げ道となってくれるだけでも、先輩にしてみればありがたいに違いなかった。
そうした経緯もあって、里を出たあとも、最低限の繋がりは残ることになっている。
ただし、それはあくまでも、サディアスさんを介した関わりでしかない。
「先のことはどうなるか知れんが、しばらくは顔を合わせられん。やれることをやっておかずに後悔してもつまらんではないか」
ガーベラさんの意見は、彼女らしく前向きで、乱暴なくらいに直線的で、なにより的を射たものだった。
嫌われることを恐れては、なにも動き出すことはない。
キャスさんはそれでもまだ迷っていたようだったが、最終的には、意を決したように頷いた。
「……そう、ですね。それでは、ご一緒させていただきます」
「うむ」
「ふふ、そんな気負う必要はないよ。ロビビアも、キャスさんならそれほど気にしないだろうしね」
リリィさんも、キャスさんの決断を喜んだ。
「わたしとしては、もらった食材の調理の方法も教えてもらえれば嬉しいし」
「それは、ええ。喜んでお教えします」
談笑しつつ、わたしたちは家のなかに戻る。
「おお、そうだ。キャスに訊いておかねばならぬことがあるのだった」
その途中で、ふと思い出した様子でガーベラさんが言った。
「この里には、ロビビアの暮らしていたという洞窟があるのだろう? 今晩、貸してほしいのだが、なにかに使っておるかの」
「いいえ。あの場は、ロビビアを閉じ込めるためだけに使われていたものですから、いまでは誰も寄り付きません」
あまりいい思い出がないのだろう。
ちょっと翳りのある表情を垣間見せて、キャスさんは答えた。
「崩してしまおうという話になっているのですが、孝弘殿の訪問の一件でごたごたしていて忘れていました。まだ残っていますので、好きに使っていただいてかまいませんよ」
「ありがたい。ちょっとやることがあってな」
などと話をしながら、わたしたちはかまどに向かった。
やってきたキャスさんに気付いてロビビアちゃんが唇を曲げたり、キャスさんが落ち込んだり、彼女を励ましたりしているうちに、料理の準備は着々と進んでいったのだった。
***
夕食を終えて、わたしたちは部屋で思い思いのひとときを過ごしていた。
部屋には、ローズさんとリリィさん、ロビビアちゃん、キャスさんとあやめがいた。
真島先輩はといえば、別の部屋でひとりになっている。
夕食を食べている間も思案げにしていたし、今頃、いろいろと考えているのだろう。
わたしはこの部屋で、スペアの腕をガチャガチャいじるローズさんや、最近手に入れた本を広げるリリィさんと一緒に、竜の姉妹のことを見守っていた。
「夕食はどうだった?」
「……まあまあ」
キャスさんが尋ねれば、ロビビアちゃんはぼそりと返す。
「好きなものはあった?」
「別に」
「好きなのがあれば、明日も持ってこようと思ったんだけど」
「肉。でかい鳥の足がいい」
「そう。わたしも好きよ」
こんな感じで、夕食の間も、キャスさんはあれこれとロビビアちゃんに話しかけていた。
最初はつんけんしていたロビビアちゃんだったが、好意的に接して来ようとする人間を邪険にし続けられるタイプでもないので、夕食が終わった頃には、無愛想ではあるものの言葉を交わすようになっていた。
「じゃあ、持ってくるわね。……あ、でも。腿肉はもうなかったかも」
「……」
「そんな顔しないで。大丈夫。明日の朝早いうちに獲ってくるから」
「……別に、がっかりなんてしてねえし」
「あ。キャスさん。狩りに出るなら、わたしも連れて行ってもらえないかな?」
話を聞いていたリリィさんが、本から目を上げた。
「手伝っていただけるなら、ありがたいですが」
「うん。それでね、お手伝いする代わりに、一羽、丸ごともらいたいんだけど」
「それはかまいませんが……ひょっとして、今日持ってきた分だと量が足りませんでしたか?」
「あ、ううん。そういうことじゃなくて――」
――と、リリィさんは自分のミミック・スライムの擬態能力について話を始める。
その間、ロビビアちゃんはちょっとそわそわしていた。
それに気付いて、スペアの腕を片手になにやら作業をしていたローズさんが口を開いた。
「気になるなら、ロビビアも一緒に行けばどうですか?」
「っ!」
ロビビアちゃんの顔が赤くなった。
「べ、別におれは……!」
「それがいいですよ、ロビビアちゃん」
反論しようとした彼女の言葉を、ちょっと大きな声でわたしは遮った。
図星を突かれたのが恥ずかしかったのだろうが、これはきっと、発作的に反論して、あとで後悔するパターンだ。
ロビビアちゃんはわかりやすいので、その点、フォローはそう難しくない。
「鳥さん、獲ってきたいんでしょう? 人手はあったほうが確実なんじゃないですか?」
「はあ? 真菜。お前、なに言って……ん? あっ!」
怪訝そうな顔をしたロビビアちゃんが、ぱっと顔を明るくした。
「そ、そうそう。確実なほうがいいもんな」
「それじゃあ、ロビビアも行く?」
笑いを堪えるような声で、リリィさんも助け舟を出した。
「行く」
と、ロビビアちゃんは即答する。
しかし、なにかに気付いたように、表情を陰らせた。
「……あ。でも、なにか言われねーかな」
消沈した様子で言う。
まだ昼間のことを引きずっているのだろう。
励ますように、リリィさんが声をかけた。
「そこは、わたしがモンスターを狩るのに、キャスさんの助けを借りるってかたちにすれば大丈夫なんじゃないかな」
「レックスのやつがまた騒ぐかもしれねーじゃん」
「それは大丈夫。あれだけ強く咎められたら、さすがに静かにしているはずだから」
キャスさんも口を添えた。
それでやっと納得できたのか、ロビビアちゃんは頷いた。
ただ、その表情は優れない。
話題を変えようと思ったのか、リリィさんが明るい声を出した。
「にしても……レックスさん。あの人も、ずいぶんと難しい感じだよね。昼に会ったときには、ロビビアと喧嘩になりそうで、ひやひやしたよ」
「すみません」
「いや。キャスさんが謝るようなことじゃないけど」
ひらひらと手を振る。
「里を守ろうって気持ちが強過ぎるんだろうね。ご主人様への暴言は脇に置くとして、ああいうタイプは嫌いじゃないよ。ご主人様にも通じるところがあるしね。……まあ、ご主人様はあれほど意固地ではないけれど」
「レックスさんは、ちょっと独特な感じですよね」
わたしが素直な印象を口にすると、キャスさんは少し翳りのある表情を見せた。
「父が亡くなったあの忌まわしい事件のおり、交渉に出向く父についていくことを許されたのは、ある程度の歳以上の男だけでした。残された男子のなかで年長だったのが、サディアスとレックスだったのです。父は、ふたりに家族を守れと言い残し、帰らぬ人となりました」
「……そうだったんですか」
「事件のあと、レックスは里を守ることが自分の役割だと心に決め、修練に励みました。それに対して、サディアスは外に出ることを選びました」
「『探し人』。新天地を求める旅人……という話でしたっけ」
里の竜のなかで、サディアスさんだけが外に出ている理由については、すでに聞かされていた。
「ええ。『霧の結界』を張れる土地は限られています。万が一にもこの里を離れなければならなくなったときに備えて、移り住むことのできる場所を探すのが『探し人』です。サディアスは、真っ先にこの役目に志願し、『霧の仮宿』様からいただいたふたつの『世界の礎石』の片割れを携えて、里を出ました」
「サディアスさんと、レックスさん……ふたりは、ずいぶんと違った生き方をしているんですね」
「ええ。ですが、起点は同じなのだと思います。ふたりとも父のあの言葉をいまでも胸に抱いているのでしょう。長い時間が経っても、ずっと……」
キャスさんは、そんなふたりのことをずっと見てきたのだろう。
言葉に表しきれない感慨を横顔に宿した彼女のことを、ロビビアちゃんが見上げた。
「なあ、キャス」
珍しく棘のない、素直な表情だった。
「なに?」
「……父さんって、どんなのだった?」
生まれる前に父親を失ったロビビアちゃんは、当然、その容姿もひととなりも知らない。
これまでは関心に上がることもなかったのだろうが、いまの話を聞いているうちに、気になってきたのかもしれない。
「そうね。黄金の鱗を持った、神々しいドラゴンだったわ」
尋ねられたキャスさんは、少し嬉しそうな顔をした。
「いまの母様と同じくらいに大きかったけど、甲殻はなかった。おおらかで、わたしたちに優しくて、だけど、いざというときには猛々しかった。狩りの仕方を教えてくれた。もっとも、狩りはあまりうまくなくて、獲物を潰してしまうこともあったけれど……ああ、たまに消し炭にしてしまって、落ち込んでいたこともあったわ。体が大きいこともあって、あまり器用ではなかったのよ」
エピソードを交えつつ、キャスさんは懐かしそうに語った。
「そっか」
ロビビアちゃんは、曖昧な相槌を打った。
少しぼうっとした表情になっているのは、脳裏に父親の姿を思い描こうとしているのかもしれない。
そんな彼女のことを、わたしたちは微笑ましく見守った。
こうした時間は、幼いロビビアちゃんにとって、きっと大きなものに違いない。
里を訪れて、きちんと話をするべきだという先輩の判断は、やはり正しいものだったのだろう。
予想していなかった展開もいくらかあったにせよ、当初の目的であったロビビアちゃんを里から出す話を円満に纏めることができ、竜の一族との友好的な関係を築くこともできた。
また、わたしたちが、この世界でモンスターであるローズさんたちと生きていくのであれば、知っておかなければならない事実を知ることもできた。
竜の一族にまつわる騒動は、落ち着くべきところに落ち着いたと言えるだろう。
あとは、この里に滞在している間に、ロビビアちゃんのフォローをしつつ、旅の疲れを癒し、得られた情報についてゆっくりと考えればいい……。
わたしがそんなことを考えていると、ふとした様子でリリィさんが口を開いた。
「ねえ、キャスさん。いまのって、竜の姿のときのお話ばかりだったよね。ヒトガタのときは、どんな感じだったの?」
きっとリリィさんは、ロビビアちゃんにもっと父親の話を聞かせてあげたいと考えたのだろう。
キャスさんは眉尻を下げた。
「すみませんが、あまり人間としての姿は印象にないのです」
「え?」
きょとんとしたリリィさんに、キャスさんは答えた。
「父はあまり人間の姿に戻らなかったもので。竜の姿のほうが楽だからと」
「へえ。そんなもの……なのかな?」
リリィさんが首を傾げる。
わたしも同じ気持ちだった。
竜の姿をしているほうが楽というのは、要は、そちらのほうが彼にとって自然だったということだろうか?
ふっと思い出されたのは、高屋くんのことだった。
獣に変化する固有能力を持っていた彼は、最後には、理性のない真正の獣になってしまった。
ひょっとすると、ロビビアちゃんのお父さんも同じだったのかもしれない。
もちろん、水島先輩を失った現実を見ることをやめて、狂った獣になることを望んだ高屋くんとは違って、理性を失ったわけではないだろう。
知性ある竜と番いになった彼は、誇り高くも優しい竜になった。
ひょっとするとそのあたりが、『人化の術が苦手なマルヴィナさん』との間に子供を授かることができた理由のひとつなのかもしれない。
すでに彼は『竜の姿になれる人間』ではなく、『竜そのもの』になっていたのだ。
「……」
自身を変化させる能力を持つ転移者が、人間ではなくなった。
これは少し興味深い話でもある。
なにかを獲得するということには、同時に、なにかを失うという一面がある。
地面の下で生きることが可能になったモグラは、光を感知する力を失っている。
海に潜った鯨やイルカは、他の哺乳類とは違って、地を踏む足を持ちえない。
要は、容量の問題だ。
竜とヒト。
あるいは、獣とヒト。
ふたつの在り方を収めるには、人間という器は足りていないのかもしれなかった。
そうして考えてみると、ひょっとしてこれは、自身を変化させる固有能力に避けがたく付随する変化とも考えられるのかもしれない……。
「……」
いっそう打ち解けた様子を見せる姉妹を見守りながら、わたしはしばしそんなことを考えていた。
◆お待たせしました。
もう一話更新します。
◆加藤さん視点。
書籍だと書き下ろしで何度かありますけど、Webだとさりげに初めてだったり。