26. スライムと狼の夜
(注意)本日3回目の投稿です。
26 ~リリィ視点~
夜明け前。
まだ習得が十分とは言えない部分擬態の訓練をしていたわたしは、ふと集中が途切れるのを感じた。
顔を上げる。
眠りに就くみんなの姿が目に入った。
「……」
ご主人様はわたしの傍らで眠っており、その反対側ではガーベラが寝息を立てている。
わたしの膝の上ではあやめが丸くなって眠っていて、ぴくぴくと鼻を動かしていた。
焚き火を挟んだ向かい側では、サディアスさんと深津くんが横になる影がある。
そうした光景のなかでわたしの目を引いたのは、ちょっと離れた場所でアサリナと戯れるサルビアさんの姿だった。
「サマー、サマー」
「こらこら。おいたをしちゃ駄目よ?」
わずかに宙に浮かんでいるサルビアさんの姿は、ゆったりとした服装が水のなかにいるように揺らいで、幻想的な雰囲気を醸し出していた。
ご主人様の左の甲から伸びたアサリナが、豊満な体に巻き付くようにして懐いている様は、絵画を思わせる構図だった。
「アサリナったら、ずいぶんとサルビアさんに懐いてるんだね」
わたしが声をかけると、ころころとサルビアさんは笑った。
「同居人みたいなものですからね」
「サマー」
軋む声で同意するように鳴くアサリナを、サルビアさんは撫でる。
「アサリナちゃんは、幻惑の魔法を覚えたいのだそうよ。『霧の仮宿』でしていたみたいに、旦那様とお話をしたいんですって」
「ご主人様と、話を……?」
「幻惑の魔法を使えば、見えないものを見せて、聞こえないものを聞かせることもできるでしょう?」
「あ、なるほど」
一瞬、意味がわからなかったが、サルビアさんの説明を聞いて理解できた。
「確かに、使いようによっては、会話もできるようになるかもしれないね」
「でしょう? 適性はあると思うから、それなりに早く習得できるんじゃないかしら」
「へえ」
と、相槌を打ったところで、わたしの膝の上で寝ていたあやめが急に身を起こした。
どうやらいまの会話を聞いていたらしい。
どことなく愕然とした様子で、アサリナを見詰めていた。
「く、くう……?」
「サマー?」
なんだろうか。『裏切られた』みたいな顔だった。
つぶらな瞳が、まんまるになっている。
かと思ったら、突然、膝から降りて走り出した。
「くぅー!」
「ちょ、どこ行くの!?」
悲鳴みたいな泣き声をあげて、あやめの小さな体は、夜の森に消えていく。
伸ばしかけた手を、わたしは降ろした。
「もう、あやめったら……」
「追いかけなくていいの?」
サルビアさんが尋ねてくる。
見れば、いまの悲鳴でガーベラも目を覚まして、こちらを見ていた。
「うーん。あやめもそこまで迂闊じゃない……というか、ひとりで近くをうろちょろするのはいつものことだし。それに、どうも闇雲に飛び出したわけじゃないみたいだから」
「というと?」
「あっちは、今夜ベルタが出て行った方向なんだよね。追いかけていったみたい」
鼻を指差してわたしが言うと、サルビアさんは納得したようで、ガーベラも再び瞼を閉ざした。
「妹さんたちのことをよく見ているのね」
サルビアさんは口元に手を当てて笑うと、なにかに気付いた顔をした。
「そうだ、リリィさん。丁度いい機会だから、お礼を言っておくわね」
「お礼?」
「ええ。はぐれ竜に追いつけそうな目処は立ったのでしょう? あなたのお陰だわ」
サルビアさんの言う通り、ここ二日の探索で、わたしたちは目的のはぐれ竜の手掛かりを得ていた。
どうやら怪我をしているらしく、この周辺に隠れて体を休めていることは、まず間違いない。
ドラゴンをやり過ごすための方策なのだろうが、嗅覚で追跡できるわたしにとっては、むしろ動かないでいてくれたほうが都合がよかった。
そう時間をかけずに、発見することができるだろう。
「ありがとう、リリィさん」
「そんな。改まってお礼を言うほどのことでもないよ。お礼を言うなら、ご主人様に言ってあげて」
サディアスさんに協力することを決めたのは、ご主人様だ。
ドラゴンと人。双方にとっての悲劇を回避したい。
そう願うサディアスさんや、シランさん、ケイちゃんの強い思いに、ご主人様は応えた。
ご主人様自身、無為に血が流れるのを好む性格ではないし、サルビアさんとの約束を重んじているところもあるのだろう。
ただ、どうやらそれだけではないようにも、わたしには感じられていた。
――酷いことになる前に、どうにかしてやらないとな……。
他人事ではないようにつぶやいていた、ご主人様の真摯な顔を思い出す。
わたしには、ご主人様自身が、はぐれ竜を殺させたくないように見えたのだ。
ひょっとすると……ご主人様はサディアスさんの一族に感情移入をしているのかもしれない。
「……」
サディアスさんの一族。
意思を持ち、サルビアさんの言っていた『歴史を知る者』と関係のある、ご主人様がパスを繋げないモンスターの一族だ。
その正体を、わたしもまた、ある程度は推測できていた。
それが正しければいいな、とも思っている。
期待している、と言ってもいいかもしれない。
その自覚があるからこそ、わたしは、そうした期待を自分の裡に慎重深く沈めた。
焦ることはない。
遠からず、ご主人様はサルビアさんとの約束を果たす。
そのときを待てばよいのだから。
***
サルビアさんが姿を消して、しばらく経った。
「あ、おかえりー。ベルタ」
部分擬態の訓練をしたり、息抜きにご主人様の寝顔を眺めたりと、普段通りに過ごしていたわたしは、戻ってきた双頭の狼に声をかけた。
工藤陸の眷属であるベルタは、わたしたちのもとで護衛をしてくれている。
わたしが復調したいま、護衛の必要性は薄れているのだけれど、主である工藤から指示がないために、ずるずると同行しているかたちだった。
指示がないのは、現在、ベルタが工藤と連絡が取れなくなっているからだ。
あらかじめ、そういう事態もありえるとベルタは聞かされていたらしい。
連絡が取れないような状況。
他に対応できないくらいに、なにかに忙しくしているということだろうか。
いま工藤がなにをやっているのか考えると、少し不気味ではあった。
ベルタに尋ねてみたこともあるが、なにをしているのかは知らないという答えが返ってきた。
知っていても答えなかったかもしれないが、様子を見た限りだと、本当に知らないようだ。
当初は工藤陸の動向をベルタから聞き出せないかという考えもないではなかったけれど、最近はもう諦めていた。
「ごめんねー、ベルタ。あやめが迷惑かけちゃったみたいで」
戻ってきたベルタは、ふたつある頭の一方に、丸くなって眠るあやめを乗せていた。
予想通り、やはりあやめが走っていった先は、ベルタのところだったようだ。
「……あれ? あやめ、なんかいつもよりころっとしてない?」
空気を吸って膨らんでいる様子もないのに、あやめの体が普段より三倍くらい大きくなっていた。
ベルタは一方の頭で、もう一方の頭に乗ったあやめを眺めて、人間じみた仕草で溜め息をついた。
「……ただの食べ過ぎだ」
「ああ。それで眠くなっちゃったんだ……」
やけ食いをしたらしい。
逃げ出したことと言い、なにがそんなにショックだったのだろうか。
「……わたしが狩ってきたモンスターを一緒に食べて、ぐすぐす言っていたと思ったら、唐突に眠って驚かされた」
「あはは。子供だからねー」
「一瞬、悪い病気かと思ったくらいだ」
呆れたふうにベルタが言う。
それでいて、彼女はあやめを起こさないようにするために、慎重に歩いているのだった。
微笑ましいなと思うわたしの前を通り過ぎて、少し離れたところでベルタは丸くなった。
「ねえ、ベルタ」
さっさと寝てしまおうとするベルタに、わたしは声をかけた。
「なんだ」
「わたしに、なにか隠してることない?」
「……なんのことだ」
返ってきた声には動揺がほんの少しだけ漏れていて、やっぱりとわたしは思った。
ベルタは、基本的にわたしたちと距離を取っている。
こちらとあちらで、はっきりと線引きをしている。
例外と言ったら、マイペースに距離を詰めたらしいあやめくらいのものだ。
なかでも、ベルタが一番よそよそしい態度でいるのが、わたしだった。
ご主人様が言うには、高屋純のことがあったあと、一度、工藤のもとに戻ってから、ベルタの様子が少しおかしくなったらしい。
わたしに……あるいは、水島美穂に関係あるような『なにか』を工藤がしたのではないかとわたしは推測していた。
そこを隠しきれないあたりが、ベルタの実直さの表れだろう。
その性質は美徳であると同時に、隠し事のできない欠点でもある。
そういう意味では、工藤がベルタをわたしたちのところに寄越したのは、判断ミスとも言えた。
考えてみれば、少し不思議だった。
どうして工藤は、ベルタを選んだのだろうか?
なにか意図があるのか。
それとも、単なる気まぐれなのか。
消去法の結果という線もある。
いずれにせよ、工藤にとっては失敗でも、わたしたちにとってこれはチャンスと言えるかもしれなかった。
「ねえ、ベルタ」
もう一度、わたしは呼びかけた。
「あなたのご主人様……工藤陸は、もうとまれないのかな?」
また同じことを尋ねられるのかと警戒している様子だったベルタが、軽く目を見開いた。
「……なぜ、お前がそのようなことを気にする?」
「うーん。わたしを救出するのに手を貸してくれたから、っていうのもあるけど……やっぱり、ご主人様に似ているからかな」
ご主人様と工藤も互いを意識しているようだが、周りもそうだ。
工藤に対して、わたしも一定の関心を覚えていた。
「工藤陸は、人の弱さと醜さが生んだ魔王。あったかもしれないご主人様の可能性のひとつだもの。とめられるなら、とまってほしい。それになにより、ご主人様がそう望んでる」
加えて言うなら、この武骨で面倒見のいい狼のことが、わたしは嫌いではなかった。
実際、ベルタは工藤の配下であり、命令に絶対服従であるというだけで、あやめに世話を焼く姿を見ている限り、その性質は邪悪なものから程遠い。
敵対はしたくなかった。
現在のところ、工藤が新たに悪行を犯したという情報は――ベルタがわたしと距離を取っている理由である『なにか』以外は――ない。
だが、情報伝達の手段に乏しいこの世界では、むしろ情報が入ってくるほどの事件が起きた時点で手遅れだ。
こんな機会が、こんな時間が、どこまで続くかわからない。
そんな想いが、わたしの口を開かせたのだった。
「このままじゃ、工藤陸は救われない。だったら……」
「それくらいにしておけ」
遮られて、わたしは口を噤んだ。
「貴様もわかっているはずだ。我が王は、とまらない」
静かな瞳が、こちらを見詰めていた。
「いいや。とまれないのかもしれない。あのお方はもう、なにかを憎まずには生きられなくなってしまっている」
淡々とした口調だった。
だが、そこに込められた感情は、決して冷たいものではなかった。
「王ではなかった頃のあのお方を傷付けたのが、人の悪意だったならよかったのかもしれない。それなら、王は悪を憎んで生きられただろう。だが、あのお方を傷付けたのは、パニックに陥った人間たち、死の恐怖に追い詰められた人の弱さだった。人間であれば、誰しもが持つものだったのだ。それを憎むということは、人間を憎むということに等しい。あのお方は、魔王になるほかなかった」
静かに語るベルタの態度には、わたしの考えるくらいのことは、もうとっくに考え尽くしているのだろうと思わせるものがあったのだった。
彼らの主従の関係は、もっと無機質なものだと思っていた。
それとも、これはベルタだけのことなのだろうか。
確かなのは、思った以上に、ベルタは自分の主を理解しているということだった。
「もはや、王は歩き始めてしまっている。それをとめる術はない。貴様が言うように、王を救うというのなら……きっと、歩き始めるその前でなければならなかった」
「ベルタ……」
「スライムよ、貴様の話は聞いている。貴様こそが、我らが王と似て非なる彼を救ったのだろう? もしも貴様が我らの王と巡り合っていれば、なにかが違っていたのかもしれないな」
ゆっくりと尾を振りながら、ベルタは宙に視線を彷徨わせた。
「だが、王の始まりに、貴様はいなかった。その代わりに、そこにいたのは……」
声に影が落ちる。
ベルタは大きく、肺の中身を吐き出した。
「……あるいは、わたしがベルタではなく、アントンであったなら、なにかが変わっていたのかもしれないが」
そこには、無力感とか悔恨とか言われる類の感情が、色濃く漂っていた。
わたしには、その言葉の意味がよくわからない。
「それって、どういう……?」
「……なんでもない」
尋ねるわたしに、ベルタは短く返した。
尻尾がぱたりと地面に落ちた。
その仕草が無言のうちに、この話はここまでだと告げていた。
「とにかく、貴様は貴様の仲間たちのことだけを考えていればいい、ということだ。忘れるな。わたしは貴様らの仲間というわけではないのだから」
つれない口調で言って、ベルタは線を引いてしまう。
いつものように。
ただ、ひょっとするとベルタは、ちょっと話し過ぎたと思っていたのかもしれない。
そのために、少なからず動揺していた。
そうでなければ、次の台詞はなかったに違いない。
「大体、我々のことに心を配るくらいなら、貴様は自分たちの身内の問題をどうにかしろ」
苦々しい口調で、ベルタは言ったのだった。
「身内の問題?」
問い掛けると、ベルタは口を噤んだ。
狼の表情はわかりづらいが、しまったという雰囲気があった。
口を滑らせたらしい。
なんの話かはわからないが、聞き逃せる言葉ではなかった。
わたしは追求しようとして口を開き掛けた。
だが、そこで近付いてくる気配を感じた。
即座に護衛役としての意識に切り替わり、わたしは視線を巡らせる。
「ただいま帰りました、リリィ殿」
少し早足でこちらにやってきたシランさんが、声をかけてきた。
「おかえり、シランさん。見回りお疲れ様……」
シランさんに応えてから、わたしは改めてベルタに目を向ける。
瞼を落とした双頭の狼の姿があった。
……タイミングが悪い。
起こすことはできるが、もうベルタも問い詰められる心の準備はできているだろう。
ああして、答えるつもりはないと意思表示をしている以上、今更、口を割るとは思えなかった。
わたしは吐息をついて、ふと鼻を鳴らした。
「ん? シランさん。モンスターがいたの?」
「……ええ。それを見付けるための見回りですから」
シランさんは少し表情を強張らせた。
「返り血でも臭いますか?」
「ほんのちょっとだけね。気にすることはないよ」
夜間の警備は、基本的にわたしとローズ、シランさんで行っている。
数時間に一度、シランさんは近辺に異常がないか調べに出ていく。
その間、眠っているみんなを守るのは、わたしとローズの仕事だ。
もしも手に負えないような敵が出てきたときには、睡眠中のガーベラに知らせるとともに、彼女の助けがあるまで時間を稼ぐ手筈になっている。
現在は、ローズ、加藤さん、ケイがいないが、この態勢は変わらない。
「怪我はない? 呼んでくれればよかったのに」
「さすがに、それほど弱体化はしていませんよ」
それもそうか。
シランさんの現在の戦力は、ローズと同じくらいだ。
身体能力はかなり落ちるけど、技術でそれをカバーしている。
不覚を取るような敵はそうそういない。
それこそ例外と言ったら、この間の町であったような……。
と、そんなことを考えていると、シランさんが少し表情を強張らせた。
見れば、少し離れた場所で、深津くんが身を起こしていた。
少しだけ乱れた髪を撫でつけるようにしてから、ひとつ欠伸をこぼす彼に、わたしは特に気負いもなく声をかけた。
「おはよう、深津くん。早いんだね」
「ああ」
やりとりは当たり障りのない、ありふれたものだった。
ご主人様やローズから聞いていたよりも、わたしのなかで深津くんの印象は悪くない。
というより、いい悪い以前の問題で、印象が薄かった。
ご主人様に突っかかってきたと聞いたけれど、この旅が始まってからは、そんなこともない。
サディアスさん以外と、彼はほとんど話をしなかった。
「なあ。あんた。リリィって言ったよな」
だからこそ、そんな彼が話しかけてきたとき、わたしは少し意外に思った。
「そうだけど?」
なんの用だろうかと、内心で疑問に思いながら言葉を返す。
ちょっと迷う様子を見せたあとで、深津くんは尋ねてきた。
「あんたは、水島美穂……じゃ、ないんだよな?」
「水島美穂を知ってるの?」
おかしいな、とわたしは水島美穂としての記憶を探った。
最近、完全に引きこもりになってしまった――たまに、わたしがご主人様と仲良くしていると、悲鳴をあげたりもしている――美穂も、わたしの内側で首を傾げている様子だった。
面識はない、はずだけれど……。
「加藤と一緒にいるところを見たことがあって」
「……ああ。ひょっとして、あなた、一年生?」
深津くんの返事に、わたしは納得した。
ご主人様と深津くんは、お互いの事情に突っ込んでいない。
あくまでもサディアスさんを間に挟んだ協力者と見做している。
異世界まで来て先輩後輩もないし、何年生かなんてことも聞いていなかった。
「深津くんは、加藤さんの知り合いなの? ……あれ、でもそれにしては、加藤さんはあなたのことについて、なにも言っていなかったように思うけど」
「あー……おれは、加藤の友達の御手洗と知り合いだったから」
「ああ。御手洗さん」
元気のいい女の子の姿が脳裏に浮かんだ。
こちらにきてからは、『剛腕白雪』の二つ名で知られていた彼女のことだ。
加藤さんの友人である彼女のことは、当然、美穂も知っていた。
「じゃあ、深津くんは御手洗さんのクラスメイトかなにか? ……ん、違うか。それだと加藤さんともクラスが一緒で知り合いのはずだものね。だとすると、部活?」
「あ、いや。どっちでもない。入学してすぐにあった行事で一緒になったんだ。天体観測のやつ」
「ああ。毎年恒例の、星の観察会」
ご主人様と美穂が初めて会った行事だ。
まあ、その後は異世界転移まで、特に交流があったわけではないのだけれど。
とはいえ、そのあたりを覚えていたからこそ、コロニーで美穂はご主人様に話しかけたりしていたわけなので、それを考えてみると割と重要な出来事ではあったのかもしれない。
探索隊の『剛腕白雪』御手洗さんが出てきたので思い出したが、『韋駄天』飯野優奈の親しい友人である『闇の獣』轟美弥とも、美穂はそこで出会っていたりする。
チリア砦で短いやりとりをしたときにも話題に出たが、元の世界にいた頃に、美穂は飯野さんと何度か言葉を交わしたことがあった。
それは、彼女と親しい轟さんと、先にそこで知り合いになっていたから、というわけだった。
「加藤はあの行事に参加してなかったから、そのときは知らなかったけど、あとで御手洗と一緒にいるのを見たことがあって」
「ふぅん」
なぜか深津くんは、視線を逸らしていた。
加藤さんの話をしているときだけ、だ。
あれ? これは、ひょっとして、そういうことなのだろうか?
などと思うわたしに、視線が戻ってくる。
「だけど、御手洗のことや星の観察会を知っているってことは、あんたはやっぱり水島美穂なのか?」
「それは難しい質問だね。わたしは水島美穂じゃない。けど、そのものとも言える。そのあたりを説明しようと思ったら、いろいろ話す必要があるんだけど、わたしたちにも話せることとそうでないことがあるんだよ。だから、ご主人様とお話をしてもらわないと困るかな」
「……そうか。そうだな」
割とあっさりと、深津くんは納得した。
これは邪推かもしれないけれど……彼が本当に事情を聞きたかったのは、加藤さんのほうだったのかもしれない。
水島美穂の記憶のなかで、加藤さんはけっこう異性に人気があった。
百五十センチないくらいに小柄で、可愛らしくて。性格は……いまとはだいぶ違うけれど、本質的なところは変わっていないように思う。
知り合いではないということは、深津くんが加藤さんに話かけたことはなかったようだし、好きというほど強い感情ではなかったのだろうけれど……気になってはいたのかもしれない。
なんだか、深津くんのご主人様に対する印象が悪かった理由がわかった気がした。
「……サディアスを助けてもらってる借りもあるんだ。気まずいからって、いつまでも謝らずにいるわけにもいかねーよな」
深津くんも、悪い人間ではないのだろう。
わたしたちとしても、敵は少ないほうがいい。
ご主人様が目を覚ましたら、間を取り持ってあげてもいいかもしれない。
そんなことを思って、ご主人様のほうを振り向いた――まさに、その瞬間だった。
「わっ!?」
眠っていたはずのご主人様が跳ねるように身を起こしたので、わたしは悲鳴をあげてしまった。
「な、なんだ、真島。起きてたのか?」
話を聞かれていたと思ったのか、深津くんが気まずそうな声をあげる。
しかし、ご主人様は反応しなかった。
「ご主人様? どうかしたの?」
どこか様子がおかしいことに、わたしはすぐに気付いた。
なにかに気を取られているように、ご主人様は森の一点に目をやっていたのだ。
「……伝わった」
ぽつりとこぼれたつぶやきは、わたしの呼び掛けに応えるものではなかった。
「やっぱり、そうか……だけど」
細い糸でも手繰り寄せるかのような、囁き声。
「これは……まずい」
それが、にわかに緊迫の色を帯びた。
「ガーベラ! それにサディアスも、起きろ!」
言いながら、常に手の届く距離に置いてある剣と、防具類のなかで唯一外していた手甲を引き寄せて、ご主人様は即座に立ち上がった。
「すぐに出る!」
言ったときには、もう駆け出していた。
「ご、ご主人様!?」
戸惑うわたしたちの声すら届いていない様子で、全速力で走るご主人様の姿は、森のなかではすぐに木々の向こうに消えてしまいそうになる。
なにがなんだかわからない。
だが、このまま行かせてしまうわけにはいかなかった。
慌ててわたしはそのあとを追い、ガーベラがそれに続いた。
――どこかで、助けを求めるような鳴き声が聞こえた気がした。
◆更新、お待たせしました。
なかなか切れ目がなくて、投稿するまで余分に時間がかかりました。
それだけ長くなってますので、二週間分をお楽しみいただけたら幸いです。
◆書籍版の『モンスターのご主人様』5巻の発売まで一ヶ月切りまして、Amazon 等で予約も開始しました。
情報については、また順次、活動報告で行っていくつもりです。
今回、短編をふたつプラスアルファ書き下ろしましたので、お楽しみに!