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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
4章.モンスターと寄り添う者
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22. 目を見ればわかる

前話のあらすじ:


ローズ「では、わたしもご主人様の下着の好みをお聞きしてきます。安心してください、真菜にどのようなものが似合いそうかも聞いてきますので」

加藤さん「ちょっ」

   22



 幸いなことに、おれが宿の裏口から飛び出したときには、窓の上から見下ろしたのと状況は変わっていなかった。


 宿の裏の通りには、シランと深津明虎、サディアスの三人以外に人影はない。


 もともと、人通りの少ない抜け道のような路地だった。

 争い事の気配を察して逃げ出したのか、先程の子供たちの姿もなくなっている。


 そんな静かな通りに、おれが急いで開け放った扉の音はよく響いた。


 頭に血が昇っている深津と、絡まれているシランは気付かなかったようだが、最後のひとり、サディアスには距離があっても聞こえたらしい。


 アケル北部の民族衣装である、ひとえの着物に身を包んだ細身の青年が、仲裁する素振りをとめてこちらを振り返った。


 おれが駆け寄っていくと、どうやら向こうもこちらのことを覚えていたようだった。


 おれの顔を見て、ローズの顔を見て……もう一度、おれに目を向けた。

 そして、なぜかその目を見開いて硬直する。


 そのまま呆けている彼の姿に、おれは腹立たしさを覚えた。


 なにを驚いているのか知らないが、シランはまだ深津に絡まれている。

 同行者なら、責任を持ってとめるべきだろう。


 などと考えても仕方がないので、おれは奥歯を噛んで足を速めた。


「……うして、あなたがそんなことを知りたがるのです!」

「だから、こっちも理由があるんだって言ってんだろ!」


 さすがにもう、言い争いの声が聞こえてくる。


「ただ、なにを聞いてきたのか話をしてくれりゃ、それだけでいいんだ!」


 どうやら深津は、シランからなにか聞き出そうとしているらしかった。

 シランはそれを撥ねのけて、そのせいで言い争いになってしまった、というところだろうか。


 てっきり、おれの知り合いだという理由で絡まれたと思っていたので、これは少し意外だった。


 転移者である深津が、なにをシランに……とは思ったが、なんであれ、まずはシランを助けてからだ。


 声をかけようと、おれは息を吸う。


 だが、その直前に、堪え切れなくなった深津が動いていた。


「なあ、頼むよ!」


 詰め寄る深津が、シランの腕を掴もうとしたのだ。

 頭に血が昇っているせいか、乱暴な仕草だった。


 シランはそれに対処しようとしたようだった。


 以前、同じチート持ちの十文字達也を相手取ったこともある彼女のことだ。


 戦闘時でもないので精霊の補助は発動させていないとはいえ、相手だって本気で攻撃してきたわけでもない。

 おまけに冷静ではないときている。


 なにがあってもいいように、シランは心の準備をしていただろうし、咄嗟のこととはいえ、対処のしようはあるはずだった。


 ……本来ならば。


 いまのシランは、全盛期の頃の彼女ではなかった。


 以前、シランからは『体調を崩している』と聞いていた。

 かつてはガーベラに匹敵するレベルだった戦闘能力が、ローズと同程度に落ちているのだと。


 それでも、この世界では十分に強者の部類だ。

 しかし、チート持ちでは相手が悪い。


 身をよじるも速度が足らず、深津の手が乱暴にシランの二の腕を掴んだ。


「おれは――ぁん?」


 さらになにか言おうとした深津が、言葉を呑み込んだ。


「なんだ、これ」


 おれの位置からは深津の顔は見えないが、その声には、怪訝そうな調子があった。

 掴んだ腕に視線を落とす。


「冷たい……?」

「……っ!?」


 おれは、シランの顔が引き攣るのを目撃して――思い切り、怒鳴り声をあげた。


「深津――ッ!」


 それで、こちらに気付いたらしい。

 大声に驚いた様子で、深津が振り返った。


 その間に、おれはローズを連れて、彼らのもとまで駆け寄っていた。


 息を整える時間も惜しい。足をとめて、口を開いた。


「その手を離せ、深津」


 深津が不愉快そうな顔をした。


「なんでお前なんかの……」

「離せ」


 低い声が出た。

 久しぶりの激しい感情が、おれの脳裏を焼いていた。


 しかし、ぎりぎりのところで理性は働いてくれていた。


 ここでおれが剣を抜けば、うしろのローズも一緒に戦ってくれるだろう。

 だが、それでチート持ちに対抗できるかといえば、厳しい。


 もちろん、いざというときであれば躊躇うつもりはないが、いまはまだ剣の柄に指をかけるべき場面ではなかった。


「離せ」


 前に会ったとき、深津明虎はおれを嫌っている様子だった。


 ただ、宿で初めて顔を合わせたときには、むしろ興味の薄い雰囲気だった。

 面倒事はごめんだという感じでいた。


 好意的とはお世辞にも言えなかったが、悪意を向けてきたわけではなかったのだ。


 深津が嫌悪感を露にしたのは、二度目……ローズと町に出ている最中に、遭遇したときのことだった。


 ――こいつも碌なやつじゃねーよ。アクセサリーみたいに女を連れてちゃらちゃらしてんのが、その証拠だ。


 そうした転移者の姿に、深津は心底うんざりしている様子だった。


 もちろん、おれにはそんなつもりはないし、そんなふうに誤解されているのは不愉快ではあるが、そうした存在を軽蔑する気持ちは理解できた。


 少なくとも、こいつにはそうした存在を不愉快に思う程度の矜持がある。

 乱暴者ではあっても、プライドのない無法者ではない。


 なんの理由もなく、シランに危害を加えようとしているわけではないのだ。


 なら、ここで剣を抜いてしまうのは早計だった。


「ちっ」


 じっとおれが睨み付けていると、深津はシランの腕を離した。


 ぱっとシランが深津から距離を取る。


 その足がよろめいた。


「た、孝弘殿……」


 片側だけの碧眼が、こちらに向けられた。

 弱々しい視線だった。


「大丈夫か、シラン」


 おれは深津を無視して、シランに歩み寄った。


「も、申し訳ありません、孝弘殿。ご迷惑を……」


 シランの顔には、大きな動揺があった。


 掴まれた二の腕を硬く握り締めているのは、無意識の行動だろうか。


 シランがアンデッド・モンスターであることは、おれたちが抱える最大の秘密のひとつだ。

 さっきのは、それが露呈してしまいかねないような出来事だった。


 シランは先程の深津の行為そのものに怯えているのではない。

 おれたちに大きな迷惑がかかることを恐れているのだった。


 そういう性質の少女であることを、おれはよく知っていた。


「シランのせいじゃない」


 この場面、不幸だったのは、相手がチート持ちの転移者だったことだ。


 あれはどうしようもない。

 災難……というか、人災だ。


 ただ、同時に幸いだったのもまた、彼が転移者であることだった。


 転移者である深津明虎は、この世界のことには疎い。


 身近にエルフがいなければ、エルフの体温が人間と同じなのかどうかなんてことをわざわざ知る機会もないだろう。

 また、おれにモンスターを率いる力なんてものがあることを知るはずもない。


 触れた体の冷たさに驚きはしたようだし、不審にも思ったかもしれないが、まさかいきなりシランがアンデッド・モンスターだという発想には至らないだろう。


 ……と、考えられるのは、おれが第三者の立場だからだ。

 動転しているシランは、そこまで頭が回ってはいないようだった。


 残念ながら、深津たちの耳があるこの場では、そうした説明をしてやることもできない。


 ……とにかく、いまはこの場から離れることだ。


 そのあとで、シランを落ち着かせてやればいい。


「戻ろう、シラン」

「は、はい」


 強い口調を意識しておれが声をかけると、シランは頷いた。


 ただ、一歩踏み出したその足取りは、彼女らしくもなく弱々しいものだった。

 完全に自責の想いに囚われているのがわかった。


「おい。待てよ」


 そこで、深津が苛立たしげな声をあげた。


 どちらかといえば、それはおれに投げた言葉だったのだろう。


 だが、シランはそうは取らなかった。

 デミ・リッチとなってから血色の酷く悪い彼女の顔は、酷く強張ったものになっていた。


「……」


 おれの脳裏に蘇ったのは、団長さんが捕縛された夜の出来事だった。


 ――……良かったのですか?

 ――わたしの正体が知れれば、ご迷惑をかけることになります。


 あの夜のシランの弱々しさは、ふっといなくなってしまってもおかしくなさそうなものだった。

 いまの彼女にも、同じ危うさがあった。


「あっ」


 おれは半ば衝動的に、ふらつくシランの肩を抱いていた。


 無意識のうちの半分は、いなくなってしまいそうな彼女を捕まえるため。

 残りの半分は、彼女を庇うためだった。


 小さく声をあげたシランを、体の影に隠すようにする。

 幸いなことに、精霊使いとしての訓練をしているときと同じで、掌に感じるシランの体温のない体は、おれを拒絶しなかった。


 むしろ胸のあたりに身を寄せてきたくらいで、ほっとした。

 これで、憂いはない。


「なんの用だ」


 おれは、深津に顔を向けた。


「お前に用はねーよ」


 返答は剣呑なものだった。

 深津の顔には、唸る獣めいた表情が浮かんでいる。


 だが、この程度の恫喝で怯えるようでは、おれはこれまでの死線をくぐり抜けていない。


「そう言われて引き下がるわけないだろうが。怖がっているのが、見えないのか?」


 実際には、シランが恐れているのは深津ではなくて、自分の正体がばれることだろうが、そこまで詳しく語ってやる義理はない。


「話をしたいなら、出直せ」

「そうはいかねーよ」


 深津は引き下がらなかった。


 予想以上にしつこい。おれは眉をひそめた。

 しかし、次の言葉を聞いて、少し意外の念に打たれた。


「こっちにも事情があるんでな」


 横槍を入れられたことで頭が冷えたのか、少しトーンが落ちた深津の声には、真摯な響きがあったのだ。


 おれは、ここで初めて深津の顔をちゃんと見た。


「おれは、退くわけにはいかねーんだよ」


 険の強い顔には、ある種の必死さが見え隠れしていた。


 なにか事情があるのだと、その表情を見れば察しはついてしまうくらいに。


「おれたちは、その女が王国軍から聞いているはずの、モンスターの討伐計画について聞かなきゃらなねーんだ」

「モンスターの……討伐計画?」


 おれは、振り返ってシランの顔を見そうになった。


 ぎりぎりのところで、それを堪える。

 この場を切り抜けるためには、適切な行動を取らなければならない。


 まず確認を取るべき相手は、シランではなかった。


「なんで、それをシランが知っていると思った?」

「とぼけんじゃねえ」


 おれが尋ねると、深津は歯を剥き出しにして、唸るように言った。


「その女は、同盟騎士団とかいう高名な騎士様のひとりなんだろ。さっき、こいつがこの町の軍の施設に入っていくのを、おれは見かけたんだ。近く大規模なモンスターの討伐作戦が行われることまでは知ってる。この女は、それに手を貸そうとしているんだろ。だったら、討伐の計画も聞いているはずだ。おれは、そいつが聞きたい」


 なるほど、ある程度の筋は通っているか。


 内心でそう思いながらも顔には出さずに、おれは更に尋ねた。


「それで、お前はなんでそんなことが知りたいんだ?」

「それは……」


 もどかしげに、深津は唇を噛んだ。


「……言えない。言えない事情があるんだ」

「それで、話を聞けるとでも?」

「必要があるんだ!」


 呆れた調子が滲んだおれの問い掛けに、深津は噛みつくように答えた。


 かなり無茶を言っているが、退くつもりはないらしい。


 それを確認して、おれはゆっくりと息をついた。


「……」


 状況は、大方把握できた。


 モンスターの討伐計画というのが、いったい、なんなのかはわからない。

 ただ、以前、近隣の村でモンスターの目撃情報がどうこうという話は聞いている。


 そのあたりが動き始めたのだとすれば、納得はいった。


 シランの性格上、そうした計画があるのなら、会いに行ったアドルフから、それに関する話もいくらか聞いている可能性が高い。

 戦力が足りないときには、手を貸すためにだ。


 しかし、シランは深津にそのあたりの話をしなかった。


 当たり前だ。

 シランという同盟騎士団に所属する人間を頼りにしたからこそ、アドルフは彼女に話をしたのだ。


 信頼できるかどうかもわからない、見も知らぬ人間に、ぺらぺらと喋ることはできないだろう。


 ましてや、それを知りたい理由も言わないというのだから、話すことなどできるはずもない。


 最初から、無茶な頼みなのだ。


 厄介なのは、それが無茶な頼みであることを、深津明虎が自覚していることだ。

 それがわからないほど、こいつは馬鹿でも傲慢でもないだろう。


 無茶を言っているのは承知のうえで、深津はシランを掴まえて、話を聞き出そうとしているのだ。

 だったら、生半可なことで諦めるとは思えない。


 どうしてそこまで……とも思うが、それはいま考えるべきことではない。


 すっと空気を吸うと、おれは口を開いた。


「悪いが、シランがお前の知りたいことを知っているとは思えないな」

「なにを……!」

「聞け。おれたちがここにいるのは、討伐の手伝いに来たわけじゃない。シランは単に、知り合いに挨拶をしに寄っただけだ」


 事実である。

 大規模なモンスター討伐が計画されているらしいこの状況で、同盟騎士の身分を持つシランが町に訪れたということから、深津はその計画にシランが関わっていると考えたようだが、そんなことはないのだ。


「明日には、おれたちは町を出る」

「……嘘だ。誤魔化そうとしたって、そうはいかねーぞ」

「疑うなら、ついて来たらどうだ? おれは、旅の途中でこの町に寄っただけだ。おれたちの目的地の開拓村で、観光でもして帰ったらいい」


 先程語っていた深津の推測は、間違っている。

 少なくとも、その根拠となるところは的外れだ。


 実際のところは、結論である『シランが討伐計画についてなにか聞いている』だけが偶然当たっているとしても、深津にそれを確認する術などないのだ。


 たとえ無茶な頼みを押し通すつもりでシランのところに押しかけたのだとしても、当てにしていた彼女がそれを知らないとなればどうしようもない。


 深津の勢いが明らかに鈍ったのを確認して、おれは踵を返した。


「話はそれだけだな」

「待っ……」

「まだなにかあるのか?」


 なにか言いかけた深津を、冷たく見返す。


「ないなら、もう行かせてもらうぞ」

「……」


 言葉を失った様子の深津から視線を外して、シランの肩を抱えたまま歩き出す。


 声はかからない。

 おれは胸を撫で下ろした。


 こんな町中で暴れ回るほど、頭のネジが飛んだ奴がそうそういるとは思わないが、戦いになれば全力で逃げるしかない相手との会話は緊張する。


 だが、どうにか切り抜けることができた。

 もう大丈夫だ。


 視線を上げれば、窓から顔を出してこちらを見る加藤さんとケイの姿が見えた。


 彼女たちに軽く手を振ってから、おれはシランに声をかけた。


「災難だったな、シラン。大丈夫か?」


 さっきは、だいぶショックを受けていたようだった。

 きっと落ち込んでいることだろう。


 安心できる場所に移動して、落ち着かせてやらなければならないが、その前にできるかぎりのフォローはしてやるべきだ。


 おれはそう思って、近い距離にあるシランの顔を覗き込み――そこに、思いがけないものを見た。


「……ぁ、う?」


 とろんとした眼差しが、おれのことを見返していたのだ。

 こんなのほとんど、不意打ちみたいなものだった。


「え?」


 普段は謹厳そのものに引き締められた少女の顔立ちは、熱に浮かされたように蕩けていた。

 けれど、その顔に赤みが差すことはなく、結果として、独特の妖艶な雰囲気が生み出されていた。


 その眼差しに魂を絡め取られた気持ちがして、おれは思わず硬直してしまう。


 脳髄が痺れるような感覚。

 ただ、あまり働かない思考でも、これがどこかで見たことのある光景だということには気付けた。


 だが、それがどこだったのか思い出す前に、大きな声が耳朶を叩いた。


「待ってくれ!」


 どこか調律が外れたような声だった。


 かすみがかかっていたシランの顔が普段のものに戻り、おれも意識を引っ叩かれた気持ちになる。


 反射的に身構えながら、おれはうしろを振り返った。


 声の主は、諦めの悪い深津……ではなかった。


「待ってくれ」


 さっきまでずっと、なんのリアクションも取らずにいたサディアスが、奇妙な熱を帯びた目で、こちらを見ていたのだった。


「そんなはずはない。ありえない。だが、やはりそうとしか思えない……」

「……サディアス?」


 ぶつぶつとなにかつぶやくサディアスを見て、深津が戸惑った声をあげた。

 これは、同行者である彼も予想しなかった行動だったらしい。


 サディアスは恐ろしく真剣な顔をして、こちらに歩み寄ってきた。

 なにかに気を取られたやや覚束ない足取りには、どことなく異様なものがあって、おれは気圧されてしまう。


「お、お前、なにを……?」

「もしも、もしも、そうなのだとしたら……」


 こちらの動揺など見えてもいない様子で、サディアスは手を伸ばしてくる。

 意図の読めないその行動に、呑まれたおれの対応は遅れた。


「……きみは、なんだ?」


 伸ばされた手が届く。


 その直前に、おれとサディアスの間に割り込むものがあった。


「……っ!?」

「そこまでにしていただきましょう」


 それは、黒色の斧だった。


 半月状の、分厚く頑丈で武骨な刃だ。

 バルディッシュと呼ばれる長柄斧の長大な刃が、剣呑な輝きでサディアスを威嚇していた。


「それ以上、ご主人様になにかされるようでしたら、わたしも相応の対応をせざるをえません」


 さすがに手を引っ込めたサディアスに、斧の持ち手であるローズは、語気強く言った。

 ちょっとでも不審な行動を取れば、両手で握られた斧は、容赦なく横薙ぎにサディアスを斬り付けるだろう。本気の声色だった。


「……そう、だな。悪かった」


 呻くように言ったサディアスが、一歩、二歩と後ずさった。


「明虎も動かないでくれ。いまのはわたしが悪かった」


 うしろで少し殺気立っている深津に声をかけておいて、サディアスはおれに顔を向けた。


 どうやら我に返ったようだ。

 とはいえ、表情は真剣なままだったが。


「もうこれ以上は近付かないから、質問をさせてほしい。きみ……名前はなんと言ったかな。ああ、名乗らなくてもいい。明虎のことといい、警戒されているのはわかっているからね」

「……質問というのは?」


 おれは尋ねた。当然、警戒を解くことはない。


 するとサディアスは、腰帯だけでとめた緩い衣装の胸元に手を入れた。


 腰を落として警戒するローズに、もう一方の手を突き出して敵意がないことをアピールすると、サディアスはこちらを刺激しないようにゆっくりと、胸元に入れた手を抜き出した。


 閉じていた手を開ける。

 その掌に乗っていたのは、内側に白いかすかな光を宿した宝玉だった。


「……っ」


 その石を見た途端、おれの右目の奥がずぐりと疼いた。


 一瞬、なにかの攻撃かと思った。

 しかし、ローズたちは特に反応を示さない。


 おれ自身も、目の奥の疼きはすぐに消えて、それ以上なにか起こるわけではない。


 サディアスも続く攻撃的な行動をなにひとつ起こすことはなく、ただ口を開いた。


「これはわたしの一族に伝わる秘宝だ。とある方からいただいた物で、最高クラスの魔法道具でもある」


 語る口調は穏やかだった。


 その真剣な視線は、おれの目を見ていた。

 おれの右の目だけを、見詰めていた。


 その目を見ればわかるとでも言わんばかりに。


 サディアスは告げた。


「きみは『霧の仮宿』というモンスターを知っているんじゃないかな?」

「……」


 なんらかの反応をしなかったのは、この際、奇跡に近かったと思う。


 逸話としての『霧の仮宿』は、よく知られたものだ。


 だが、サディアスは『霧の仮宿』という『モンスター』と言った。

 彼女がモンスターであることは、限られた人間しか知らないはずだ。


 ましてや、それを『霧の仮宿』の契約者であるおれに尋ねた。


 これで動揺せずにいられるはずがなかった。

 予め、なにを言われてもいいように心を決めていなかったら、顔色に出てしまっていただろう。


 ただ、ローズとシランが反応せずにいられたかどうかはわからない。

 込み上げてくる動揺を呑み込むのだけで精一杯だったおれには、さすがにそちらまで注意を払っていられる余裕がなかったのだ。


「……なんだ、それは」


 辛うじて、動揺なく返答することができた。

 やや平坦だったかもしれないと不安にもなった。


 先程のシランのケースとは違うのだ。


 このサディアスが、『霧の仮宿』というモンスターの存在を知っていて、なんらかの手段でおれと彼女との関係に勘付いているのなら、おれは非常にまずい立場に追い詰められかねない。


「そうか。変なことを聞いてしまったな」


 だから、サディアスがこう言ったときには、少しほっとした。


「誤魔化すに決まっているか」


 続けられた言葉に、間を置くことなく、緊張が再び高まった。

 おれは、いつの間にか渇いていた喉を鳴らした。


「おれは誤魔化してなんて……」

「いいや。待ってくれ」


 言いかけたおれを、サディアスは宝玉を持っているのとは逆の手を上げることで制した。


「いまのも、わたしが悪かったな。そちらに都合の悪い事実を明かしてもらうんだ。こちらが先に胸襟を開かなければならないのは当然のことだ」

「……?」


 サディアスの言葉は、謎めいたものだった。


 だが、深津にはなにを言っているのかわかったらしい。


「お、おい。まさか、サディアス。お前……」


 驚きに目を見開いた彼に笑みを向けてから、サディアスはこちらに向けていた左手を引っ込めると、それで自分の顔に触れた。


「これを以って、わたしの誠意と受け取ってほしい」


 その声色に、かすかな緊張を聞き取ったのは、おれの勘違いではないだろう。


 なにをしようというのか。

 サディアスは広げた手で顔の左側を隠すようにしながら、ローズを刺激しない程度に顔を寄せてきたのだった。


 そして、顔を隠していた手を、おれたちだけに見えるようにずらした。


「な……っ!?」


 絶句した。


 掌の下から現れたサディアスの目元は、穏やかな青年のものではなかったからだ。


 青年の左の目の周りは、黄土色の鱗に覆われていた。

 それだけではない。ぽっかりと丸くあいた眼窩には、トカゲによく似た眼球が嵌まっていたのだった。


 トカゲの目は、人間ではありえない瞳孔運動で、おれたちを映し出した。


「お前は、まさか……」


 そこから先は、言葉にならない。

 信じられない変貌を前にして、絶句するおれたちを見て、サディアスは笑った。


「どうか話を聞いてもらえないだろうか」

◆サディアスの正体に勘付いていた鋭い方もいたみたいですね。


詳しくは次回!

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