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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
1章.ご主人様と眷族の彼女たち
11/321

11. 人形の抱擁

前話のあらすじ:

リリィ「うー、あぁ……ぁ、ぁ……うー、うぅう?」

主人公「治ってない治ってない」

   11



 おれは深いところに沈んでいる。


 深い深いところに沈んで、息苦しくて仕方がないのに浮きあがれない。


 そうして何度も何度も突きつけられる。

 見たくもない聞きたくもない嗅ぎたくもない触れたくもないものを。


 何度も。

 そう、何度も。


 泣いても叫んでも助けてなんてもらえない。

 此処には他に誰もいないから。


 おれは、独りだ。


 独りで沈み込んでいる。


「……、……」


 そのときだった。

 何か、聞こえた。


 これは……遠くで、誰かが叫んでいる?


 耳をすませば、それが呼びかけらしいことがわかった。


 呼びかけ……

 ……誰のことを?


「……! ……ぁ!」


 おれの周囲の暗闇が震える。


 呼び掛けは続いている。

 そのたびにおれという存在が揺らされている。


 意識が揺れて……体が揺らされる。

 呼びかけられているのが自分自身であることに、おれはようやく気がついた。


「――様!」


 意識だけで泥濘の中を泳いでいたおれは、自分がいま夢の中にいることを認識する。


 そこまでいけば、暗闇の底から浮上することは、そう難しいことではなかった。


「ご主人様!」


 がばりとおれは身を起こした。


「はっ、はっ、はっ……」


 呼吸が荒い。

 吐息が嫌な熱を帯びている。


 眩暈をこらえつつ瞬きをすれば、焚き火の灯りが目に映る。


 どうやらおれは眠っていたようだった。


 確か加賀の一件があって……

 そう、あのあとすぐに、おれたちは洞窟に戻ったのだった。

 食事の時間になるまで少し体を休めるだけのつもりが、どうやらうっかり眠りこんでしまったらしい。


「はぁー」


 時折咳き込みつつも、しばらく乱れた呼吸を整えることに集中していたおれは、最後にひとつ大きく深呼吸をした。


 酷く悪い夢を見ていた……ような、気がする。


 内容は覚えていなかった。

 思い出したくもなかった。


「大丈夫ですか、ご主人様。うなされておいででしたが」


 視界の端から、すっとタオルが差しだされた。

 どうやらおれが落ち着くのを、ずっと待っていてくれたらしい。


「あ、ああ。……悪いな」


 おれは差し出されたタオルを受け取って、両手で顔を押し付けた。


 随分と寝汗をかいていた。


 頭が重い。

 睡眠の途中で起こされたためか、脳味噌の一部を悪夢の中に置き去りにしてきたような錯覚があった。


 悪夢。

 暗闇の底を泳ぐ夢。


 ぶるりと全身が震えた。

 寒さのせいか、それともこれは、何か別の要因のせいだろうか。


「随分と汗を掻いていらっしゃいます。そのままでは気持ちが悪いでしょうし、一度、体を拭かれてはいかがでしょうか」


 おれの震える仕草を体が冷えたためだと解釈したらしく、傍らから気遣いに満ちた提案があった。


「服を全てお脱ぎ下さい。洗濯いたしますから」

「ああ。そうしよう」


 まるで子供のように、おれは素直に頷いた。


 悪夢を見たせいだろうか。

 心配してくれる人がいるということが、ひどく心強いことに思えた。


 それこそ子供みたいだと、自分でも笑ってしまいそうになるが。

 それもまた、笑えるだけの余裕が戻ってきたということでもあり。


 だから……だから。


「ん?」


 ようやく人心地つけたおれは、ふとタオル生地の中で違和感を覚えた。


 それはすなわち、『さっきからおれは一体、誰と話をしているのだろうか』という、今更過ぎる疑問だった。


「どうなさいましたか、ご主人様?」


 聞き覚えのない声だった。

 聞き慣れない丁寧な口調だった。


 リリィならもっとフランクだし、加藤さんならおれのことをご主人様呼ばわりしない。


 そもそもリリィは中断した食料調達のために外に出ているし、もともと体力のない加藤さんは、外に出た日は疲れてしまうのか洞窟でうとうとしていることが多い。


 だから、おれに話しかけるような者はいないはずなのだ。


 いいや、もう一人、この洞窟にはおれの仲間がいるにはいる。

 だが、彼女は話せないはずだ。


 そのはずなのだ。

 そのはずだけど……


 おれはタオルに沈めていた顔をあげた。


「どうかなさいましたか、ご主人様?」


 ローズが、なんか、喋ってた。


「ローズ……?」

「はい。わたしはローズです。ご主人様にそう名付けられましたから」


 現実を受け入れるのに、およそ十秒ほどの時間が必要だった。

 だって、これが動揺せずにいられるだろうか。


「ローズ。本当に、お前が話をしているのか」

「はい。ようやくご主人様とお話することが叶いました。光栄に思います」


 どうやら何かの間違いではないらしい。

 本気で一瞬、腹話術の類ではないかと疑ったのだが。


 だが、どう見てもこれはその手の悪ふざけではないし、そもそもローズの性格上、おれを相手にしたそういった行為を手伝うとは思えない。


「まさか本当に喋れるようになるとは」


 ようやく現実を受け入れても尚、信じがたい。

 確かにそんな話を以前にした記憶はあるが。


「こんなに簡単に話が出来るようになるとは……」


 相当に難しいことだろうに。

 ……いや、そうでもないのだろうか?


 考えてみれば、リリィだって人間のかたちを取ることで、即座に会話をすることが可能になった。


 ローズとパスで繋がっているおれは、彼女が相応の知性を持っていることを知っている。加えて、おれの指示にきちんと従っていることからも、おれの使っている言語を彼女が理解していることも知っている。


 つまり、おれの眷族である彼女たちが話すことが出来ないのは、会話するだけの知性がないことが問題なのではなく、単純に発声機能が備わっていないことが原因だったということだ。


 モンスターとして備わっている能力を上手く使って、空気の振動を起こすことさえ出来れば、おれと会話を交わすことは、それこそいつだって可能だったのだ。


 そしてローズの能力というのは、今更確認するまでもなく、魔法道具の作成に他ならない。


 加えて、おれは以前に彼女が自分の腕を自作するところを見ている。


 そこまで知っているなら、答えはおのずと出るというものだった。


「体を造り変えたのか」

「ご賢察です」


 確かに最近、何か造っているなとは思っていた。

 てっきり手足の予備パーツでも量産しているのかと思っていたのだが、発声器官を開発していたらしい。


 もっとも発声器官とはいっても、人間のそれとはまったく違うものだろう。ローズの顔面は相変わらずのっぺりとした卵型の球形でしかなく、口に該当するような器官はない。


 よくみれば、ローズの喉の辺りが一回り太くなっているような気がする。あそこに発声器官が埋め込まれているのだろう。


「本当に喋れるようになるとは思わなかった。なんというか、芸がない賞賛で済まないが……すごいな」

「大したことではございません」


 おれがつけたローズという名前に合わせたのか、彼女の声は女性らしいものだった。

 女性としてはやや低い声質は、ローズのイメージにぴったりだ。


 聞いていて落ち着く。


「体を造り変えたとはいっても、リリィ姉様とは比べ物にならないほど稚拙なものです。むしろお恥ずかしい限りです」

「そんなことはないと思うが」


 おれの言葉は本心からのものだが、ローズはこうべを振った。

 どうにも彼女は自己評価が低いらしい。


 あと、さりげなくローズがリリィのことを姉様と慕っていることが発覚した。


 確かにリリィの方が先に眷属になったので、間違いではないのだが。

 違和感がある。


 まあ、そのうち慣れるだろう。


「ご主人様」


 おれが益体もないことを考えていると、ローズが呼び掛けてきた。


「なんだ」

「お召し物をお替え下さい。ついでに体を清められてはいかがですか。リリィ姉様に頼んで、水の用意はいたしておりますから」

「ああ。そうだったな」


 ローズが話しかけてきたというインパクトで、すっかり忘れてしまっていた。


 促されて、おれは寝汗を吸って湿った服を脱いだ。


「替えの服も用意しておりますので」

「相変わらず、用意がいいな」

「恐れ入ります」

「ここで返事があるのは新鮮だ」


 水が満たされたタライは、木切れと蔦とを使ってローズが自作したものだ。

 ローズには本当に世話になっている。返せるものがないのが、本当に心苦しいくらいに。


 おれは水でタオルを湿らせると、ごしごしと体を拭いて垢を落とし、残った水を頭から少しずつかぶって髪を洗った。


 かなりすっきりした。

 残念ながら、こちらの世界にやってくるより以前に風呂に入った時ほどのさっぱり感は望めないが。


 たまに石鹸やシャンプーが恋しくなる。

 どうやって造ればいいのかわからないから、ローズに製作を頼むことが出来ないのが残念でならない。


 流石のローズも、原料も製法もわからないのでは製作不可能だろう。

 ……不可能だよな?


 ローズなら出来てしまいそうで怖いが。

 今度、駄目もとで頼んでみようか。


 そんなことを考えながら、おれはもう一枚渡されていた大きめのタオルで体を拭いて、用意されていたジャージに袖を通した。


 ほとんど同じタイミングで、ローズがおれの着ていた学生服を洗い終えた。

 彼女は入り口付近に置いてある物干しに洗った服をかけにいく。


 少し冷えた体を焚き火であたためていると、ローズが隣に片膝をついた。


 こちらを気にしているような気配。

 おれは苦笑を漏らした。


「何か言いたいことがありそうだな」


 こちらから水を向けてやると、ローズは胸に手をあてて畏まった。


「ご明察です」

「なんだ、言ってみろ」

「何かお悩みのことがおありですか?」

「率直だな」


 おれの浮かべる苦笑が深まる。

 ローズはまた頭を下げた。


「申し訳ありません」

「いや。別に不愉快だったわけじゃない」


 むしろ実直な性格の彼女らしくて、おれは微笑ましささえ感じたくらいだった。


「念のために訊くが、どうしてそう思う?」

「ご主人様が悪夢にうなされておいででしたのは、わたしが知る限りこれが初めてのことになります。それが、かつてのご学友とあのようなことがあったタイミングなのですから、其処に因果関係を疑うのは自然なことではないかと」

「それもそうだな」


 存外、おれも単純だ。

 これでは加賀のことを笑えない。


「踏み込んだ質問をする許可をいただけますか」

「ああ。おれはお前たちに隠し事をするつもりはないよ」


 確認を取るローズの律儀さに口元をほころばせつつ許可を出す。

 ローズはひどく真剣な声で尋ねてきた。


「ご主人様はご学友をその手にかけたことを、後悔していらっしゃるのですか?」

「それはないな」


 ローズのストレートな問いかけに、おれはきっぱりとした口調で答えた。


 おれは後悔はしていない。


 おれにはリリィやローズがいてくれる。

 保護すると約束した加藤さんだっている。


 あんな誘惑に弱い人間を、内側に引き込むわけにはいかなかった。


「そもそも、先に殺そうとしてきたのは向こうの方だ。それを見逃してやるほど、おれはお人好しじゃない」


 おれは聖人ではないのだ。

 何処にでもいる十七歳の学生でしかない。


 そんな善行を行うことは出来ないし、もっというなら、それは単なる愚行としか思えない。


 むしろ、あの男が仮にこの窮地を生き延びてしまった場合、その愚行は水島美穂や加藤さんのような被害者を生みだしかねなかった。

 そういう意味では、むしろおれがやったことは善行でさえあるかもしれない。


 ……というのは、流石に自己弁護が過ぎるが。

 だが、実際にそういった一面があることは事実だった。


「それでは、ご主人様は何を思い悩んでおられるのでしょうか」


 ローズはおれが加賀を殺したことを後悔しているのだと思い込んでいたらしい。


「思い悩む……というほど、大層なことじゃないんだけどな」


 ローズはいちいち大袈裟だ。

 それだけ真面目におれのことを考えてくれているということだから、おれには彼女の傾ける感情の大きさがくすぐったい。


「知りたいか?」

「ご主人様がご不快でないのなら」

「なら、聞いてくれ」


 これだけ真剣におれのことを考えてくれている彼女には、知っていてもらいたい。

 素直にそう思えたのだ。


「おれは人間を信じられない。それがどんな相手であったとしても信じられない。おれは自分の人間性が歪んでいることを自覚している。それでいいとも思っている。少なくとも、そうである限り、おれがだまされることはない。だまされないということは、仲間を不用意な危険にさらさずに済むということだ」

「ご主人様はご立派です」

「それはどうかな。これに関しては、おれは臆病になっているっていうだけのことなんだが」


 そこまで含めて自覚している。

 おれは虐げられて、それでも誰かを信じられると笑えるような強い人間ではなかった。


「おれはおれの信条に従い、加賀を疑い、あいつに関して想定された危険を排除した。杞憂だったとはいえ、加賀がチート能力者と一緒にいる可能性は否定され……こちらは空振りに終わったが、コロニーに関する情報収集だって行えた。それに加えて、おれたちがこれまで想定していなかった危険に関しての情報も得られた」

「例のバラバラ死体の件ですね」


 既にローズたちにも、おれが知ることの出来た情報については伝えている。

 ローズは察し良くおれの言いたいところを理解してくれた。


「加賀は単純な男だった。あいつの行動は何から何まで想定の範囲内でしかなかった。それは『何があっても対応出来るように対策が打てていた』というだけのことではなかった」

「といわれますと?」

「おれはあいつが裏切るということを、ほとんど確信していた――ということだ」


 だから今日の一件については、最初から全て、なるべきようになっただけなのだ。

 危うげなことなど一つもない。


 でも……いいや、だからこそか。

 おれは思い知らされた。


「おれはやるべきことをやった。だから後悔なんてしていない。……だけどな、何も感じていないのかといえば、そういうわけでもないんだよ」



 おれは人間が嫌いだ。

 ――だけど、かつて机を並べた級友が生きていてくれれば安堵くらいはする。


 おれは人間を信じていない。

 ――だけど、たとえ信じていない相手からでも、悪意を向けられれば傷つく程度の感性は残っている。


 おれはおれ自身と仲間との安全を守るために躊躇いはしない。

 ――だけど、それは迷いを覚悟で切り捨てているだけのことでしかない。



 一度覚悟を決めたのなら、それを躊躇なく行い、何も感じないというのが理想の在り方ではあるのだろう。

 たとえ、それが人殺しという禁忌であったとしても。


 おれには辛うじて前者の責任は果たすことが出来た。

 だが、後者については不可能だった。


 相手が女を手に入れるためにおれを殺そうとした下種でも、かつてのクラスメイトを手にかけるのに、何も感じないというわけにはいかなかったのだ。


 それが出来るのは多分、『英雄』と呼ばれる存在か。

 それとも、それこそ『怪物』だけだとおれは思う。


 リリィとローズとを率いる『モンスターのご主人様』として、本来ならおれはそうあるべきなのかもしれない。


 だが、おれは英雄でもなければ、怪物でもなかった。

 ただの十七歳のガキでしかないおれには、どうしてもそこまで強固であることが出来なかったのだ。


「……わかりません」


 話を聞いてくれたローズがぽつりとつぶやいたのは、不理解の言葉だった。


「そうか」


 おれは落胆したりはしなかった。

 ただ、仕方がないなと思っただけだ。


「ご主人様は間違っておられません」


 ローズの口調には何処となく、かたくなな部分がああった。


「少なくとも、そうするしかなかったことを、ご主人様はわかっておられるはずです」

「そうだな。おれはおれ自身に恥じることはしていないつもりだ」

「……それでも、駄目なのですか?」


 おれは静かに首を横に振った。


 人の心を全て捨て去ってしまわない限り、何も感じないことなんて出来やしない。


 これは『たられば』の話でしかないが、人を信じられないおれは、本来なら人の心をなくしてしまうのが自然だったのかもしれない。

 怪物になってしまうべきだったのかもしれない。


 そうであるのなら、それほど楽なこともなかっただろう。


 そうならなかったのは、皮肉なことにモンスターであるリリィに会えたからだ。

 彼女に逢って、救われたからだ。


 ある一面からいうのなら……

 おれはリリィに救われた時に、人の心を捨て損ねたのかもしれない。


 ……こんなおれの姿をローズはどう思うだろうか。

 眷属として、主人としてのおれの有様をどう感じるだろうか。


 呆れられてしまったかもしれない。

 見捨てられることは流石にないと思うが……というか、そんなことは考えたくもないが、苦言の一つくらいは受けるつもりでいなければいけないかもしれない。


 とまあ、そんな風に考えていたおれは、まだまだ彼女たち眷族の献身というものを甘く見ていたのかもしれない。


「申し訳ありません、ご主人様」


 それは突然の出来事だった。

 唐突過ぎて、おれは一瞬ぽかんとしてしまったくらいだ。


 謝罪の言葉とともに、ローズが地面に両手をついて、頭を下げていた。


「……。どうしてローズが謝る?」


 本当にわけがわからなかった。


 この場面は、おれが自分の情けない部分をさらしたのだ。

 主人として付き従ってくれる眷属に謝るのはおれで、ローズはそれを許す側だ。


 なのに、実際にはローズが頭を下げている。


「わたしにはご主人様の、人間の感情の機微というものが理解できません。そんなわたしでは、ご主人様の心を御救いすることは出来ません」


 ローズの声色は平静を保っていたが、そこには静かな無力感が漂っていた。


「わたしはご主人様をお守りするために存在します。そのためになら、この体など木屑になってしまっても構わない」


 本気でローズが言っていることは、いちいちパスを介さずとも、真摯に紡がれるその言葉を聞くだけで伝わってきた。


 眷族モンスター。

 おれの願いを受けて、それを叶えるためにいてくれる存在。


 彼女の忠誠心は本物だ。

 だからこそ、その忠義は時に彼女に無力感を与えてしまうのかもしれない。


「わたしに出来ることは、あくまでご主人様の身をお守りすることです。わたしでは、ご主人様の御心を守ることは叶いません。もとより、そうした役割はリリィ姉様の領分とはいえ、わたしはわたし自身が情けない。この場にいるのがリリィ姉様だったら、ご主人様を慰めることだって出来たでしょうに……」

「な、何を言っているんだ。そんなことはない! あるわけがない!」


 慌てておれは立ち上がった。

 ローズがとんでもない勘違いをしていたからだ。


「ローズがおれの心を救ってくれていないなんて、誤解もいいところだ!」


 おれはかつてリリィに救われたことで、ひとの心を捨て損なった。


 確かにひとの心を捨て去ってしまえていれば、今回の加賀の裏切りとその後の顛末にも、何一つ感じることはなかったかもしれない。

 悪夢だって見なかったかもしれない。


 だが、おれはそうした自分の在り方を後悔したことは、一度たりともないのだ。


 これからもおれは決断を躊躇うことだけはないだろう。

 たとえ相手がかつて笑い合った相手だとしても、一度敵に回ったのなら、戦う覚悟は出来ている。


 おれがそう在れるのは、まさにリリィやローズがおれのために尽くしてくれているからなのだ。


 言葉で慰められないことなんて何でもない。

 彼女はその行動でもって、おれのことを常に支えてくれている。


 だからこそ。

 ローズが抱いている誤解は、この場で絶対に解いておかなければいけないものだった。


「ローズ」


 うなだれたローズが地面に置いた手を、おれは握りしめた。


「ご主人様?」

「こっちにこい、ローズ」


 ぐっと手をひく。


 ほんのわずかな反射的な抵抗のあとは、ローズは素直におれに引き寄せられるままに身を任せた。


 おれはローズのシンプルな球形の頭部を抱き寄せた。

 硬いが温かみのある木のやさしい感触を腕に抱く。


 ローズの存在を何よりも近くに感じた。


「ご主人様……?」


 彼女の胸に湧いた戸惑いが、パスを伝わっておれに流れ込んでくる。

 だったら、おれの中にあるこの安堵も、同じくらい強く彼女に伝わってくれていることだろう。


「ローズは十分におれに尽くしてくれている」

「ですが、わたしは……」

「慰めてなんてくれなくていい。ただ傍にいてくれるだけでいいんだ」


 それが偽りないおれの真情であることは、あまさず伝わってくれたものと信じたい。


 彼女たちにはいつだって、いくら感謝してもし足りないと思っているのだから。


 ……結局、こうして縋ってしまっていることには、やはり苦笑を禁じ得ないが。


「悪いが、少しだけこうしていさせてくれるか」


 このままじゃ、説得するためにこうしているのか、安心したいためにこうしているのかわかったものじゃない。

 そんなことを思いつつも、おれは彼女から手を離すつもりにはならなかった。


「お前が、嫌でないのならだが」

「まさか。嫌などとは。そんなことは、決して」


 おずおずと木製の腕がおれの背中に伸ばされた。

 あくまで遠慮がちに抱きしめ返してくる。


「……むしろ、幸せ過ぎて怖くなります」

「そうか」


 おれはローズに寄りかかるようにして目を閉じた。


 しばらくそうしていると、ふっと意識がぼやけ始めた。

 眠気が急速におれの心と体とを絡めとっていく。


 安心して眠くなるなんて子供みたいだが……今更、ローズの前で取り繕ったって仕方がないか。


 おれは意識を手放した。


 今度は悪夢を見ることもなさそうだった。


◆あけましておめでとうございます。今年もよろしくお願いいたします。

新年一発目がお人形さんと抱きしめあうお話でした。


◆加賀の件に関しての主人公のあれこれ。

……かと思いきや、実はローズ回だっていう。


◆ローズは力をためている。

彼女が本気出すのは第二章からの予定。

かわいくする予定。いまはまだ木製人形だから……


◆ちなみに、もう第一章は書き終わってるんですが、十二万文字ちょっとくらいになりそうです(ここまでの倍弱くらい)。

投稿する前の見直し修正加筆必要なんで、多少の増減ありますが。


◆次回更新は1/4(土曜日)になります。

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― 新着の感想 ―
[一言] 先般から読み出しました。 私の愛読小説の「セクサロイド・アイ」によく似た小説です。アイとユウキのような感じがしました。 これからの展開が楽しみです。
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