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モンスターのご主人様  作者: ショコラ・ミント/日暮 眠都
4章.モンスターと寄り添う者
102/321

13. オカシクナイ

(注意)4日前にも投稿しています。













   13



「……や、宿?」


 おれは声を失ってしまった。

 あまりの驚きに、なにを言ったらいいのかわからない。


 ここは峻嶮なキトルス山脈。

 ほとんど使われることのなくなった、打ち捨てられた山道だ。


 人の往来なんてほとんどない。

 樹海に近い立地もあって、危険なモンスターも多数生息している。


 こんなところで宿屋に辿り着くなんて、それはなんて……――。


「――幸運なことですね」


 おれは、ばっと振り返った。

 先程の言葉を口にしたのは、シランだった。


 彼女はいつもより少し柔らかい表情をして、ガーベラに話しかけているところだった。


「ここを動けない以上、数日は野宿になるものと考えていました。宿を見付けられるとは、運がいいです」

「であろ。であろ。これで主殿も、ゆっくりと体を休めることができるというわけだ。なあ?」

「……あ、ああ。そう、だな?」


 水を向けられて、おれは咄嗟に頷いた。


 確かに……確かに、シランのいう通りだった。


 野宿をするより、洞窟をねぐらにするより、宿屋に逗留したほうが肉体的にも精神的にもよく休めるのは、当たり前のことだ。


 それは、幸運なことだ。

 思わず声を失ってしまうくらいに……。


「……」


 するりとなにかが掌をすり抜けていったような感触があった。


 ただ、そんな不可思議な感触を得ているのは、おれだけのようだった。


「こんなところに宿があるなんて、来たときには気付きませんでしたね、ローズさん」

「ええ、不覚でした」


 地面に降ろされた加藤さんが、ローズに嬉しげに話しかけている。

 シランとケイも、よかったですねと微笑んでいる。


 ここまで案内をしたガーベラは、そうしたみんなの反応を見て、楽しげな笑みを浮かべた。


「こんなところで話をしていても仕方がなかろ。リリィ殿たちも待っておるだろうし、さっさと入ろう」


 ガーベラはみんなを促すと、率先して宿へと歩き出した。


「――」


 白いアラクネであるガーベラが、当たり前のように、宿に入ろうとしていた。


「お、おい。ガーベラ!」


 はっとして、おれは彼女を呼び止めた。

 扉に手を伸ばそうとしたガーベラが、こちらを振り返った。


「む? なにかの、主殿?」

「なにって、そんなの言わなくてもわかるだろう」


 警戒心のない、どこかとぼけた反応が信じられなかった。


「お前が宿になんて入ったら、宿屋の人間に……」

「人間に?」

「……あ、あれ?」


 ガーベラはきょとんと目を丸め、おれは言葉を見失った。


 なんだっただろうか。

 ひどくまずいことになった気がする、のだが……。


「なにかの、主殿」


 ガーベラが、こちらに小走りで近付いてくる。


 ついさっき合流したときと同じように――たったったっと、リズミカルに足音を響かせて。


「妾に、なにかあるのか?」


 足をとめたガーベラは、怪我ひとつない、いつも通りの彼女だ。


 こちらに向けられた美しい顔立ち。

 赤い瞳。

 スタイルのよい体は、白い衣に包まれている。


 胸はかたちよく膨らんで、露出した二の腕は白く、腰はくびれて――。



 ――その下には、すらりとした二本の足が伸びていた。



 これで宿屋に入ったら……入ったら?


 なんの問題があるっていうんだ?


 答えなど、見付かるはずもなかった。


「……悪い。なにか勘違いをしていたみたいだ」

「主殿よ。お主、本当に疲れておるのではないか」


 心配そうな顔をしたガーベラが、おれの手を握った。


「ともかく、今日はもう早く休め。な?」


 気付くと、みんな心配そうな顔をして、こちらを見ていた。

 ぐらりと視界が揺れる感覚がした。


 指先で眉間を押さえる。


「……ああ。そうだな。そうさせてもらう」


 おれはもう、そう返すほかなかった。


   ***


 自覚しよう。


 どうも本格的に、おれは調子が悪いらしい。

 ガーベラの言う通り、早く休んだほうがいいだろう。


 ガーベラに寄り添われて、おれは宿屋に足を踏み入れた。


 ドアに取り付けられた錆びた鈴が、がらんと音を立てた。


 古びてこそいるものの、小奇麗な内装の宿だった。

 建物に入ると、正面にある受付台の向こうで声があがった。


「あら。お帰りなさい」


 受付をしていたのは、妙齢の女性だった。

 加藤さんほどではないが小柄で、おっとりとした雰囲気の美人だった。


 緩い長衣に包まれた体は女性らしく起伏に富んでおり、女性らしさを感じさせた。

 濃い金褐色の髪をひとつにまとめて、胸の前に流している。


 少し垂れ目気味の目が、ガーベラに寄り添われたおれに向けられた。


「そちらが、あなたの言っていた旦那様かしら?」

「うむ。ようやっと、やってきたのだ」

「うふふ。お待ちかねだったものね」


 気安い調子でやりとりをしたガーベラがおれに振り返った。


「主殿よ、こちらが、宿の主人だ。ひとりで宿を切り盛りしておる」

「こんにちは。ようこそ、おいでくださいました」


 ぺこりと頭を下げて、宿の主人は穏やかに笑った。

 ずいぶんと若いな、とおれは思った。


 見た感じ、せいぜい二十歳そこそこといったところだろう。

 転移者であるおれからすれば、大学生のお姉さんといった年頃だ。


 とはいえ、この世界では二十歳は立派な大人だ。

 子供をひとりふたり産んでいるのが普通である。


 若い女性がひとりで宿を経営しているのは珍しいが、こういうこともないことではないのだろう。


「部屋は空いておるという話だったな。主殿たちも、ここで数日泊めてもらいたい。確か宿泊の手続きとやらが必要なのだろ? 頼めるか?」

「はいはい、いますぐに」


 頷いた女性は宿帳を取り出すと、おれに笑顔を向けた。

 包容力のある温かな微笑みだった。


「それでは、旦那様。記帳をお願いできますか?」

「わかった」


 促されるままに名前を書く。

 こうした場面で困らないように、おれもこちらの世界の言葉で名前くらいは書けるようになっていた。


 ぎこちない筆運びで、全員分の名前を綴る。

 宿帳を確認してから、宿の女主人は尋ねてくる。


「お部屋のほうはどうします? あやめちゃんとベルタちゃんは除くとして、ツインが四部屋で丁度ですけれど。それとも、旦那様は別かしら?」

「いや。四部屋でかまわない」

「かしこまりました。お部屋は、二階のあがってすぐのところにあります」

「よし、ゆくぞ、主殿」


 手続きを終えると、ガーベラがおれの腕をひいた。


「主殿の顔をしばらく見ておらぬことだし、ふたりとも待ちわびておることだろう」

「ああ、そうだな」


 頷いて、おれは他のみんなと一緒に階段に向かう。


「どうかごゆっくり」


 女主人の声が、背中から追ってきた。


「夢の時間をお楽しみくださいね」


   ***


「素朴ですが、よい雰囲気の宿ですね」


 階段を昇りながら、シランがつぶやいた。

 確かに、華美な装飾などないこじんまりした宿なのだが、どこか心落ち着く雰囲気があった。


 おれはどうも調子が悪いようだから、そういう意味では、こうした雰囲気の宿にやってこれたのは運がよかった。


 とにかく、今日はもう休もう。

 ああ、でも。その前に……リリィの顔が見たい。


「なあ、ガーベラ。リリィの調子はどうなんだ」

「悪くはないぞ。ほぼ快調と言ってよかろう」

「そうか、ならよかった」


 うしろにいるおれが、ほっと息をついたのがわかったのだろう。

 ガーベラはくすりと笑った。


 そして、事情を教えてくれた。


「主殿が来たと聞いた途端にあやめは飛び出してしまったから、誰かがすぐに追う必要があってな。しかし、宿のなかとはいえ、ここはモンスターの跋扈する山のなかだ。戦えぬ人間を部屋に残すのは好ましくはなかろ? そこで、リリィ殿にはベルタとともに、部屋に残ってもらったのだ」

「そうか」


 そういう事情だったのかと、おれはなにげなく頷いた。


「……?」


 ガーベラの言葉に引っ掛かりを覚えたのは、数秒後のことだった。


「戦えない、人間?」



 そんなの、いたか?



 おれは、ぞっと肌が粟立つのを感じた。


 おれと一緒に山を下りたのは、ローズ、加藤さん、シラン、ケイ。

 残ったのは、ガーベラとリリィ、あやめに、ベルタだ。


 山に残った仲間たちのなかに戦えない人間なんていないし、そもそも、数が合わない。


 階段を昇り終えたガーベラが、並んだ扉のひとつに手を伸ばすのを、おれは呆然と見詰めた。

 ちりちりと燻っていた小さな違和感に、一斉に火が付く感覚で、頭がずきずきと痛んだ。


 ……そうだ。

 そういえば、ついさっきもガーベラは『おれの顔をしばらく見ていない『ふたり』が部屋で待ちわびている』と言っていた


 あやめやベルタとは、もう会っている。

 だったら、部屋にはリリィと『もうひとり』がいるということになる。


 宿屋の女主人だって、言っていたじゃないか。

 あやめとベルタを除いて、『二人部屋が四つで丁度』だと。


 ここにいるのは、おれ、リリィ、ローズ、加藤さん、ガーベラ、シラン、ケイの七人だ。


 まさか、その七人で四部屋を使ってくださいね、という意味ではないだろう。

 もしもそうであるのなら、ひとつできてしまう一人部屋をおれに割り当てればいいわけだから、男女を分けることを理由にして、更に部屋が必要かと尋ねるはずもない。


 数え間違えた?

 目の前の宿帳に、名前が並んでいたのに?


 ちょっと、それは考えづらい。


 それに、思い返してみれば……。

 最初から、宿の外でおれたちと合流したガーベラは、あやめを抱えるおれに対して『ベルタたちと一緒にリリィが待っている』と言っていた。


 ベルタ『たち』というこの言い回し自体が、『おれたちと別行動を取っていた、ガーベラ、リリィ、あやめ、ベルタ』の他に、その場にいない『もうひとり』がいることを前提としたものにほかならなかったのだ。


「なにをしておるのだ、主殿」


 ――気付けば、部屋の扉はもう開かれていた。


「そんなところでぼうっとしておらんで、早く入れ」

「あ、ああ……」


 促されるままに、おれはふらふらと部屋に招き入れられる。


「あ、ご主人様」


 ふたつ並んだベッドに座っていたリリィが、おれの顔を見て、ぱっと笑みを浮かべた。


 こんなときでも、胸のなかで安堵が沸いた。


 だけど、そんなものはリリィの隣にいるもうひとりの少女の姿を目にした途端、木っ端微塵に弾け飛んでしまったのだった。



 ――そこに、鏡があるのかと思った。



 リリィと同じ亜麻色の髪。

 リリィと瓜二つの顔。


 頭の先から爪先まで、ほとんどすべてがリリィと同じ彼女は、親しげな笑みを浮かべて手を振った。


「お久しぶり、真島くん」

「……水島さん?」


 おれは、掠れた声でつぶやいた。


   ***


 旅装を解いたおれは、部屋でゆっくり横になることにした。


「大丈夫、ご主人様?」


 おれが横になったベッドに腰掛けるリリィが、心配そうに顔を覗き込んでくる。


 その逆側から、ひょいっと同じ顔が覗いた。


「うーん、熱でもあるのかな?」


 首を傾げて、水島さんが言った。


「……」


 同じ顔に左右から顔を覗き込まれているというのは、なんだか妙な感覚だった。


 ……妙だと感じることが、おかしいのだが。


 おれたちはこれまで、一緒に旅をしてきたのだ。

 同じ顔。同じ髪。同じ体……ああ、一部がちょっと違うのを、水島さんはいたく気にしているので、最後のはなしにさせてもらうが。


 とにかく、こんな光景、慣れていなければおかしいのだ。


「熱はないみたいだねえ」


 水島さんは、おれの額に手を当てて、小首を傾げる。

 感じる体温と柔らかさが、罪悪感に変わる。


「……少し具合が悪いだけだ。気にしなくていい」


 彼女のことを、どうして忘れていたのだろうか。

 これまでずっと、一緒に旅をしてきたのに。


 そのはずなのに。


 おれは、自分で自分が信じられなかった。


「少し寝る。悪いが、夕食になったら起こしてもらえるか?」


 おれが頼むと、リリィと水島さんは顔を見合わせて頷いた。


「うん、わかった」

「ほら、あーちゃん。それに、べるちゃんも。行くよー」


 さっとふたりは立ち上がる。

 あやめとベルタも尻尾を振りながら、ふたりのあとを追った。


 見送るおれは、ふとベルタの姿に目をとめた。


「……」


 先程の話だ。

 霧の向こうに一瞬だけ見えたシルエットを見て、おれはベルタをただの犬だと見間違えた。


 だが、それも仕方のないことだろう。


 たとえば……たとえばの話だが、ベルタが体長二メートルをゆうに超える熊のような巨体であったり、あまつさえ首がふたつある異形だったのなら、おれはすぐにでもモンスターであると気付けただろう。

 ベルタだとすぐにわかったはずだ。


 ましてや、犬だなんて絶対に見間違えなかったに違いない。


 けれど、そうではなかった。


「わんっ」


 おれの視線に気付いて、ベルタが鳴く。

 そこにいるのは、おれたちの世界でも見られるような大型犬だった。


 シベリアン・ハスキーとか、そういう系統の、狼っぽい犬だ。


 ……頭が痛い。


「それじゃ、ご主人様。またあとでね」


 みんなが部屋から出て行くと、おれは溜め息をついた。


 ベッドに横になって、天井を見上げる。


「なんなんだろうな、この違和感は」


 小さくぼやいた。


 おかしなことなんてなにもない。

 そのはずなのに、なにかがおかしい。


 そう感じていることだけは確かで、それ以外は曖昧だ。

 まるで、いまでも霧のなかを彷徨っているような気分だった。


 まあ……これは気のせい、なのだろう。


 それが証拠に、同行している他の誰もが、現状をおかしなものだとは思っていないみたいだった。

 今頃、みんな部屋でくつろいでいるはずだ。


 おれだけが、こうして奇妙な感覚に悩まされている……。


「……ああ、くそっ」


 眠れそうにない。

 一度、おれは身を起こした。


「違和感を覚えているのは、おれだけ……か」


 思った以上に弱々しい声が出た。

 苦笑いがこぼれた。


「けっこう、これは精神的にきついものがあるな……」


 おれは、かぶりを振った。


 こうしていても仕方ない。


 なかなか眠れそうにはないが、無理矢理にでも寝てしまおう。

 そうすれば、きっと疲れも取れて、違和感なんて忘れられるはずだ。


 そうしよう。


 と、決めたときだった。


 ――もぞりと、左腕が疼いた。


「ゴシュ、シュ、ジ……サマ」


 軋んだ声がおれを呼んだ。

 左手の甲から伸長したアサリナが、にょろりと視界に入ってきた。


「どうした、アサリナ」

「サマ……サマ……」


 アサリナはハエトリグサによく似た頭をぐねぐねと振った。

 なにか訴えたいことがありそうな雰囲気だった。


 おれは首を傾げた。


 おれは他の眷族の誰よりも、アサリナと深く繋がれている。

 かといって、さすがにたったこれだけでは、言いたいことが伝わるはずもない。


 そんなこと、アサリナにだってわかっているはずだ。

 わかり切っているはずだ。


 そう、アサリナにもわかっていたのだ。


 だから――。



「ゴシュジ、サマ! タダシッ! タダシ、イノ!」



 ――いまこそアサリナは、声を大にして訴えかけたのだった。


「イマ、ヘン……ミンナ、ヘンッ!」

「アサリナ、お前……」

「サマ! サマッ!」


 高らかに、アサリナが鳴く。


 おれは、呆然としてしまっていた。


 ……おれだけじゃなかった。

 この状況に違和感を覚えていたのは、おれだけじゃなかったのだ。


 どうやらおれは、割と本気で参っていたらしい。

 胸の奥から、喜びが沸き上がるのを感じた。


「……」


 しかし、それを表に出すことは、残念ながらできなかった。


「サマ?」


 鳴いていたアサリナが、ぐねんと蛇のような体を捻じった。


「ゴシュジ、サマ? ド、シタ……ノ?」

「……悪い、少し時間をくれ」


 アサリナの不思議そうな掠れ声を聞きながら、ベッドに横向きに身を倒したおれは、呻き声をあげた。


 この状況に違和感を感じているのが自分だけではないと教えてくれた、アサリナのお喋り。


 それは安堵とともに、過去最大級の違和感を叩きつけて、おれをしばらく身悶えさせたのだった。


◆話のタイトルを見て、なんだこのカタカナはと不穏なものを感じた方……。


引っ掛かったな、それはアサリナちゃんだ!


◆解答編。

どこまでわかったでしょうか。

何個かについては、割と気付いた人も多かったみたいですね。

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