闇よりの手招き~ヤミヨミノシマネキ~
(嫌だ。いやだ。イヤダ)
教科書を持つ手が震える。
歯がガタガタ鳴り響く。
それでもわたしは『ソレ』を視界から完全に逸らす事が出来ない。
いつからそこにいたのだろう?
1分前には気配すらなかったのに。
噂には聞いていた。
この学校には、ソレが存在するという事を。
子供達にしか『観えない』怪異。
暗闇から浮き出る蒼白き手。
非現実なまでに繊細で美しい手。
今は優しく、ゆっくりと手招く様に動いている。
でも噂によれば、獲物……自らを『観る』者を見出した時、ソレは猛スピードで襲い来るという。
わたしに出来る事はソレを直接見ない様にする事だけ。
噂がホントならソレはすぐに消え去る筈。
不思議な事に他の子達には何も視えてない様なのだ。
一人として騒ぎ立てる事無く、退屈そうに黒板の内容をノートへ板書をしていく。
30人もの生徒に囲まれてるのにこの絶望的な孤立感。
わたしには、それが悪夢の一シーンにしか思えない。
自分にしか認知できない怪異。
……湧き出る恐怖で、アタマが壊れそうになる。
息が、上手く吸えない。
苦しい。
「大丈夫? 先生に言う?」
隣りの子がわたしを心配して聞いてきた。
先生?
先生は……頼れない。
だってソレは、
手招く仄昏き怪異は、
先生の、
黒板に向いた背中からわたし達を手招きしてるのだから。
その時、先生がお喋りを聞きとめたのか振り返る。
ダメ……そんな刺激を与えたら、
わたしが『観えてる』と知られたら……
「どうした? 具合悪いなら保健室に行くか?」
先生が優しく尋ねてくる。
「だい……大丈夫です」
声色はいつもと一緒だろうか?
震えを押し殺し、懸命に笑みを浮かべる。
ソレにバレない様に。
「そうか……まあ、無理はするなよ」
肩を竦め再度黒板へ振り返る先生。
(!!)
その背に、ソレはもういなかった。
(良かった……やり過ごせたぁ……)
噂通り、関心を抱かれなければ問題なかったのだ。
安堵のあまり深い溜息をつく。
わたしの10年ちょっとの人生で、こんな経験というか比較すべき恐怖はない。
震えていた為か、倦怠感に襲われ机に頭を伏せる。
背後から項垂れたわたしを心配したのか、労わる様に背を撫でてくれる手。
冷たい手が緊張に火照った体には気持ちいい。
……ん?
……手?
(先週席替えして、わたしは一番後列になった筈じゃ……)
理性では理解している。
頭に警鐘が鳴り響く。
振り返っては、いけない事を。
ただ感情が納得してくれない。
魅入られた様に、振り返り確かめる事を求められている。
(嫌だいやだイヤダ嫌だいやだイヤダ嫌だいやだイヤダ嫌だいやだイヤダ嫌だいやだイヤダ嫌だいやだイヤダ……嫌なのに!!)
わたしは『招かれる』様に、溢れる衝動に揺り動かされ、
そっと後ろを振りかぇ
「ヴぇげるぎゃあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああぁあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!」
「1組の娘がやられてたらしい」
「へえ……今年はどこ?」
「それが……首ごと捻じ切られてたから分からない、ってさ。
でも……多分頭じゃないか? 僕らの推測が正しければ」
「ふ~ん……警察は何て?」
「事件と事故、あるいは自殺も考慮して捜査に臨むとか何とか」
「馬鹿みたい。首が捻じ切れる自殺とかあると思うのかしら」
「無理もないよ。その娘は密閉された箱の中に蹲ってたらしいから。
頭の無い自らの頭部を抱えるように。
行方不明になっていた娘を探していた親も、最初は気付けなかった程らしいし。
幸か不幸か、服装で判断できたらしいけど……両親にとっては絶望だろうよ」
「そうね。そしてそれは私達にとって……仲間の損失を意味する」
「ああ、ヤツを『観れる』貴重な人材を僕らは喪ってしまった……永久に」
「まったく嫌になるわ。それでも……貴方は諦めないのでしょう?」
「ああ。それが死んだ……姉さんとの約束だから」
「まったく死んだお姉さんの遺言を未だに引き摺るなんて……。
貴方って、本当にシスコンなのね」
「でも姉さんの遺言があったから君を助ける事ができた」
「……そうね。私が今生きてるのは貴方のお蔭だもんね」
「何にせよ今年はもう手詰まりだ。来年に賭けるしかない」
「待って。貴方は見つけたの? 貴方にとっての『光車』を」
「いや」
「それなのに立ち向かうの?」
「……だってしょうがないじゃないか。
何故ならヤツは、
大人達には『見えない』
幼子達にも『視えない』
僕達子供だけが知り得る『観える』怪異なのだから。
怖くても、震えても、死を覚悟しても……立ち向かわなきゃならない。
もう、誰も犠牲にしたくないから」
「ホントお人好しね……貴方、早死にするわよ。
覚えておきなさい。
ドイツの哲学者フリードリヒ・ニーチェ『善悪の彼岸』の一文を引用するのなら、
『怪物と闘う者は、その過程で自らが怪物と化さぬよう心せよ。
おまえが長く深淵を覗くならば、深淵もまた等しくおまえを見返すのだ』
っていう事らしいわ。
貴方は闇に深く関わり過ぎた。
次は貴方が狙われるのではなくて?
それとも……」
「言わなくても理解してるさ」
「いいえ。宣告してあげるわ。
次は……貴方が闇に堕ちるのかもしれないのよ?
薄昏い闇から手招きし喰らう禍々しきモノ……そのものに。
貴方を救って命を落としたお姉さんみたいに」
「……そうだな。それが馬鹿な弟の末路には相応しいか」
「本当に馬鹿ね」
「よく言われる」
「呆れたわ。しばらく顔を見せないでちょうだい」
「ああ。次は一月後の定例集会で会おう。
じゃあ、また」
「あっ……」
「馬鹿……もっと顔を見せなさいよ。
ホントに……バカなんだから……」




