4.導きという名の
文章を若干改訂しました。
1つしか年が変わらないというアリシアは兄と違い、よく気配りをする有能な侍女だった。美波付きになったという彼女は、クライヴから欲しかった情報を得ることが出来ずに途方に暮れる美波に知る限りの話をしてくれた。
その話の中でようやく自分が王の賓客扱いになっていることを知った。
自分の立場にますます戸惑う美波にアリシアは言った。
「姫様、突然御自分の世界とは全く違う世界へ来られて困惑されているでしょう。ですが、先程兄が申しましたように、貴女は陛下に、この国に必要とされてこの世界へ来られたのです。どうか、そのことを御心に留めてくださいませ」
出会ってまだ大して時間も経たないが、自分のことを本当に気遣ってくれている心優しい侍女の言葉に、美波は「かえりたい」という言葉を呑み込んだのだった。
美波が異世界にやって来て、数日が経った。
この世界のことを知らなければ、という思いからアリシアに手配してもらった本を読んでみても、まず字が読めなかった。当たり前ではあるが、日本語ではない。かといって英語でもない。かつて受験のため英語を勉強していたときに友人と何故違う国の言葉を学ぶ必要があるのか、という話になったことがある。そのとき自分は、世界に羽ばたくためだ!などと冗談めかして言っていたが、この知識は異世界では役立たなかったようだ。
本も読むことが出来ずに、このままではいけないと思いながらもただ無為に時間を過ごしている美波のもとに来客があった。
「随分と退屈そうですね、お姫様」
読まれずに積まれた本の山と美波の顔を見比べて、クライヴはくすくすと笑う。
生憎アリシアは席を外していた。先日の話から美波の中でクライヴは苦手な人に分類されていた。
そんな相手と1対1になるという状況は、もともと人と話すのが得意ではない美波にとって緊張することこの上ない。
「お勉強ですか?良い心がけですね」
山から適当に本を抜き出し、ぱらぱらとめくる。そんなクライヴの台詞も字が読めない美波にとっては嫌味にしか聞こえなかった。
「ああ、この本など今の貴女におすすめだ」
ほら、と見せられても内容はさっぱり分からない。王様と思われる人と、黒目黒髪の、この世界では少し変わった、けれど自分には見慣れた服を着た人の絵があった。
「これは、私と同じ異世界の人ですか?」
「ええ。異世界から来た人間とこの国の関わりについて書いてあるようです」
読めないながらもついつい凝視してしまう。
「読んで差し上げましょうか?」
クライヴの声が本に書かれたものを読み上げていく。
「『…王は希った。力を、知識を。全てを叶える存在を。そしてその男が遣わされた。見たことのない衣服、聞いたこともない言葉。王には分かった。その男こそ自身が望んだ存在であると』」
クライヴもアリシアも、王に必要とされている、という点を主張する。しかし、王に会っていない自分はあまりその重さが分からない。自分より前にこの世界にやって来た人達は王に何を望まれて、この国で何を成したのか。
先に進む手がかりは、そこにある。
美波は手を伸ばして、クライヴが朗読する本を掴んだ。声が止んだ。
「姫?」
「続きは、自分で読みます。だから、クライヴさん。私に、勉強を教えて下さい。」
そんな美波からの突然のお願いにクライヴは予想外だったのか目を丸くした。
その反応にまずいことでも言ってしまったのだろうかと思った美波は慌てて言葉を重ねる。
「えと、昨日、一昨日と本を読みたくても読めなくて、ぼけっとしているだけで時間が過ぎてしまっていて、けど何もせずにいるわけにはいかないですし、その本も他の本も読みたいし、だからまず字を読めるようになりたいなと思って」
そして、帰る手がかりを見つけてみせる。
必死に話す姿にクライヴは笑い出した。こういうところが嫌なんだ、と反対に美波はムッとした。
「なるほどね、向上心は大切だ。私の時間がある限りご協力させて頂きましょう」
「…ありがとう、ございます」
言い方に若干気に障るところもあったが、今後のことも考えて素直にお礼を言っておく。
「ところで、あれから陛下にはお会いになられましたか?」
触れてほしかったような触れてほしくないような話題が投げられた。今までの言動からするとわざとのような気がする。美波の中でクライヴの評価は、こんな散々なことを思うほどになっている。
「会っていません」
「おやおや」
相槌はなんともわざとらしかった。
「お会いしたいですか?」
「はい」
当たり前、くらいまで言いたかった。いつかもう少しクライヴと打ち解けたら思ったことを全部言ってやりたい。それなら一刻も早く打ち解けたい。美波は小さな野望を胸に秘めた。
しかし、この男はどこまでも美波の思考の上を行く。
「ならお会いになればいい」
「は?」
何を簡単に言うのだろうか。怪訝な顔をする美波の腕をごく自然にとって、立ち上がらせた。
「なんなんですか!」
「陛下のところへご案内しようかと。お会いしたいのでしょう?」
前回のときのように状況が全く理解出来なかった。
――あなたが待てと言ったから、待ってたのに!ていうか強引かつマイペースすぎる!
実は美波の心の声が聞こえているのではないかと思えるようなタイミングでクライヴはにっこりと微笑みかけてきた。
「そろそろ頃合いということですよ。――あの方も貴女を待っているようだ」
最後の言葉に胸が鳴った。
――私を待つひと。私を、この国に呼んだひと。
この国の王は一体どんな人なのか。美波には予備知識も何もなかった。顔も知らないその人は美波を待っているという。美波が、王に会いたいと願うのと同じように。
美波はそっと息を吐いた。鼓動のうるさい胸を鎮めようとする。クライヴが引く手にも熱がこもる。
「幸いにも時間は有り余っているようですし。さあ、行きましょうか」
これが漫画やアニメだったらヒロインはずるずると引きずられる場面なんだろうな、と考えながらヒロインではない美波はクライヴに大人しくついていくことにした。