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亡国のパイロット

 坂本新蔵は優秀な人材をとりそろえた日本軍の中でも、とりわけ腕の立つパイロットだと自負していた。軍役で招集されてからというもの新米兵士の頃から常に文句なしの成績を収めてきたし、前線に駆り出されればいつだって敵を何機も撃墜して帰ってきた。

 幼少の自分から視力が良く、そのためにパイロットに選ばれたのが合っていたらしい。まさに天の与えた才能だと坂本は常々から語っていた。同僚からの信頼はあつく、戦場に出ればそれこそ一騎当千の働きをするものだと信じて疑わなかった。

 その坂本が新たに最新鋭の機体に乗り換えることとなった。

 日本軍が開発したその飛行機は、日本刀のようになめらかな表面をしていたが、坂本にはこれ以上にない駿馬のように感じられた。

 黒を基調とした色合いの中央に巨大な日の丸が刻まれている。太陽をかたどった円形から伸びている何本もの赤い線を眺めているとなぜだか胸がいっぱいになって涙がこみ上げてきた。

 坂本新蔵には横浜においてきた家族がいた。

 病弱な父親は兵役を免除されていたが、働くことはできず代わりに母親とまだ十五になったばかりの華奢な妹が家庭を切り盛りしていた。家は当然、貧乏だった。その日をしのぐための食事すら手に入らないこともままあった。

 二人の働き手は寝る間も惜しんで裁縫などの内職に励んでいたものの、例にもれず得られる金は微々たるものだった。

 あちこちに雨漏りのある屋根の元で暮らす家族のためにも、彼は功績を挙げなければならなかった。

 軍功をたて昇進すれば家族への仕送りを多くすることが出来る。

 少しでも彼らの生活を楽にすることが可能ならば、新蔵はなんでもするつもりだった。そのためなら命を捨てる覚悟もあったし、なにより祖国への忠誠は揺るぎないものだったのだ。

「坂本中尉」

 呼びかけられて振り向くと、そこには坂本が所属する部隊の隊長が立っていた。髭の濃い、熊のような顔をした隊長はポンポンと坂本の肩を二三度叩いた。

「今度の戦闘はかなり厳しいものになるだろうが、君の働きには存分に期待している。どうか敵機のひとつやふたつではなく十も二十も撃ち落としてくれたまえよ」

「は! この身が朽ちても戦い続ける所存であります!」

「いい返事だ。この戦いで中尉が戦功を上げれば大尉への昇進も確実なものになるだろう。そういうわけだから頑張ってくれ」

「ありがとうございます!」

 背筋を鉄板のように伸ばし敬礼する。

 隊長は「うむ」と満足げにうなずいて立ち去って行った。

 その後すぐに米軍との熾烈な戦闘がはじまった。奇襲をかけた日本軍は当初こそ優勢だったが、圧倒的な物量に勝る米軍に巻きかえされ、やや劣勢の状況となっていた。

「……米兵め、小癪な真似をしてくれる」

 坂本も背後に敵の戦闘機の影を感じながら、懸命に操縦桿を握っていた。エンジンの駆動音と音速で風を切る音が耳にたたきつけてくる。身体に襲いかかってくる遠心力も相当なもので、旋回しながらの応戦は死と隣合わせだった。

 敵の小銃が脱穀したばかりの米がらを飛ばすように、新調したばかりの戦闘機の装甲を剥いでいく。

 そのたびに小さな破片が大量に視界を横切っていった。

「……くそっ!」

 操縦桿を思いきり手前に引きよせる。

 天地がひっくり返り、空が足元へと反転する。

 強烈な負荷が全身を押さえつけた。

「――よし、背後をとったぞ!」

 坂本が歓喜の声を上げた瞬間、視界を黒いなにかが横切った。記憶はそこで途切れた。



 次に目覚めたとき、無意識に敵の姿をさがしていたが、視界に入ってくるのは白い天井ばかりだった。腕に繋がれているのは点滴だろうか。それまで怪我ひとつなく医者の世話になる必要のなかった坂本の目には、半透明のそれがひどく異質なものにうつった。

 室内を見回してみるものの誰の気配もない。

 白い部屋にはベッドがひとつだけ。畳十畳ほどの狭い空間のなかで坂本はたった一人だった。

「おい、誰かいないのか!」

 怒鳴りつけるように叫ぶ。

 こんなところで休んでいる場合ではないのだ。幸いなことに筋肉がそげ落ちたみたいにだるいのを除けば四肢のどこにも痛みはなかったし、すぐにでも戦場に復帰できるはずだ。

 坂本の声が終わらないうちに、一人の看護婦が飛び込んできた。

「目が覚めましたか」

「もう平気だ。すぐに退院させてくれ」

「いけません。もう少し安静になさってないと……」

 看護婦は困惑したような表情をしていたが、なんとか坂本をなだめると体の各部に異常がないかなどということを尋ねた。

「なにも悪いところなどない」

「それはよかったですね」

「だからはやくここから出せ。お国のために戦わなければならんのだ」

「ええ……」

 白衣に身を包んだ看護婦は、日本人には珍しく長身だったが医者を呼んで来るといって去ってしまった。坂本は憤慨しながら医者の男が入室してくるのを待った。

 しばらくして、小太りな男が汗をかきながら入ってきた。

「おい、遅いじゃないか」

「申し訳ありません。急いで来たのですが――」

「ふん。さっさと診療してくれ」

 医者は坂本の目にしたことのない道具を両耳につけて、心臓の鼓動をはかっているようだった。しばらく検査が続いて、医者は口を開いた。

「どこも問題はないようです。どこにも異常は感じられないのですね?」

「だから大丈夫だといっているだろう。とにかく早くここから出してくれ」

「まあまあ、焦らずに」

 はぐらかすように曖昧な笑みを浮かべて医者は看護婦をひきつれて部屋を出ていった。

 手持無沙汰になった坂本は憤慨しながら、病室を見まわした。

 不自然なほどに小奇麗だ。病院とはこんなに清潔な場所だったのだろうか。

 それに窓もなにもないくせにやたらと明るい。どうやら天井から光が来ているらしかったが、それがどのような仕組みになっているのかはわからなかった。

 それから数日の間は、代わるがわる違う医者がやってきて、坂本の身体中を調べ尽くした。頭の中身から五臓六腑、爪の伸び具合まで計測される。

「おい、そんなに検査が必要なのか。おれはどこも怪我などしていないぞ」

「まあまあ、安静になさっていてください」

「お国のために戦わなければならぬのだ、わかったらさっさと退院させてくれ」

「――ここで急に動いたら、かえって周りの人に迷惑をかけてしまいますよ。どうかしばらくはゆっくり身体を休めていてください」

「……ちっ」

 医者の言うことにも一理ある。

 坂本は不貞腐れたようにまっ白い毛布をかぶると、しばらく眠った。

 することといえば、故郷にいる家族に想いを馳せるくらいしかなかった。

「戦況はどうなっているのだ。よもやあの戦いで負けたわけではないだろうな」

 正直なところ、ほとんど勝てる見込みのない戦いだった。しかし参戦した以上は勝敗の行方が気になるというものだ。

 墜落したであろう新型戦闘機のことも尋ねてみたが、医者も看護婦も曖昧にはぐらかすばかりで明確な回答は得られなかった。

 おおかた、芳しくない結果になっているのだろう。

 そう思うと坂本はいても立ってもいられなくなるのだった。

 だが、異常とも思えるほどの数の検査はとどまることを知らなかった。そのどれもが病室で行われ、何名もの白衣を着た男女が坂本を取り囲んだ。

「これはなんだ」

 ある日、坂本の腕から点滴が外された。

 その代りにさし出されたのが食事だった。献立はやわらかいお粥のようなものと、良く煮込んだ野菜、それから魚肉をほぐした肉団子だ。

 まるで赤ん坊に食べさせる食事である。

「これまでは栄養を血管から入れていたのですが、体調もよろしいようなのできちんと食事をとっていただこうかと」

「それにしても、なんだこの飯は。食べた気がしないぞ」

「消化器官に多少の不安がありますので。柔らかいものから食べていただくことにしました」

 食べてみると、味付けも薄い。

 坂本の不満はどんどんと募っていった。


 そんなある日のこと、廊下を出歩いてもいいという許可が出た。

 訝しく思いながらも立ち上がってみると、なるほど脚がぐらつく。眼を回したときのように平衡感覚がおかしくなっている。

「大丈夫ですか」

「――ああ」

 気絶しているあいだになにかがあったのだろうか。

 坂本は両脇を看護婦に抱えられながら、不思議に思っていた。

 腑に落ちないといえば他にも気になることがいくつかあった。病院が妙に小奇麗なのだ。まるで日本にいるのではないかのように。

 その時、唐突に強い違和感を覚えた。

 ……あれはなんだ。

 坂本の目は天井に埋め込まれた蛍光灯に向けられていた。そんなものは日本の病院にあるはずがなかった、戦場に近い場所ならなおさらだ。

 それはごく小さな球体の集まりで、白い光を放っていた。

「……そうか、ここはアメリカにちがいない」

 坂本は確信した。

 アメリカ軍が日本の病院であるかのように偽って自分から軍事機密を聞き出そうとしているのだ。捕虜となったことは恥辱の限りだが、敵の策略にはまる前に罠と気付けて良かった。

 あの医者や看護婦が外に出すのを渋っていたのもうなずける。

 窓さえあればそこがアメリカだと一目瞭然だっただろう。

「おい、ここから出せ!」

 坂本が思い切り病室の扉を殴りつけると、すぐに青い顔をした看護婦が飛び込んできた。

「どうしたんですか」

「裏切ったな、この売国奴め!」

 いまにも殴りかかりそうな勢いで怒鳴りつけると制止する看護婦の腕をはらってずかずかと外に出る。往来を走る見たことのない車。空が見えないくらいの建物が並んでいる。その看板に書かれているのは英語の文字。

「ほら見ろ、間違いなくここはアメリカだ! 貴様らごときの浅慮に惑わされる俺ではないぞ!」

「先生、こちらです」

 看護婦が医者を連れていそいそと駆けつけてくる。

 坂本は白衣の襟をつかむとぐいと顔を寄せた。

「さあ、貴様らの考えは読めたぞ。洗いざらい白状してもらおうか、この非国民め。どうして貴様はアメリカについているのだ」

「……実は」と医者はいった。「騙していて申し訳ありませんが、あなたを驚かせたくなかったのです」

「どういうことだ」

「あなたが意識を失ってからすでに百年が経過しているのです。日本はすでに併合されアメリカ領となっています。ですが、戦前の記憶を持ったままのあなたにショックを与えたくなかったもので――」

 妙に発音のいいshockという単語が坂本の浮ついた頭をすりぬけていった。

 目の前では、アメリカ人とそん色のない恰幅をした日本人たちが流暢に英語をしゃべりながら歩いていた。

一部、看護婦という表記を使っていますが、これは作品の時間軸の都合上ふさわしいと考えたためであり、他意はありません。

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