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ラーメン屋の店主、異世界で最高の出汁を探す  作者: 髙橋彼方
第三章『リヴァイアサンの魚介豚骨ラーメン』
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リヴァイアサンの魚介豚骨ラーメン1

 朝日が窓から差し込み、部屋の中にやわらかい光が満ちる。

 外では鳥がさえずり、平和な音だけが鳴っていた。

 一ノ瀬龍拓(りょうま)はソファーから起き上がり、寝室を覗く。

 体より小さな敷布団に丸まり、大いびきで眠るシュリル。

 ベッドではリプイが気持ちよさそうに寝息を立てている。

 二人の寝顔に、龍拓は小さく笑った。

(昨日は本当に大変だったな)

 夜中まで町の復興を手伝った。

 シュリルもリプイも疲労困憊だったはずなのに、最後まで動いていた。

 窓の外を見る。

 町はもう、襲撃前の姿に近いところまで戻っていた。

 龍拓は腰をさすり、机に置いてあるアイテムボックスを手に取って部屋を出た。

 洗面台で顔を洗いながら、龍拓の頭は料理のことで埋まっていた。

(特殊個体のギウマニール……脂が上質だった。背脂を使えば――)

 蛇口をひねり、水を両手に溜める。

『バシャッ』

 顔を上げた龍拓は、鏡に向かって笑う。

「今日は忙しくなるぞ」

 そう呟いた瞬間だった。

 窓の外から、いつもと違う匂いがふっと流れ込んだ。

(……潮?)

 この町は内陸だ。潮の匂いが来るのは変だ。

 けれど、確かに海の匂いがする。鉄と昆布みたいな、濃い旨味の気配。

 龍拓の腹が勝手に反応した。

(……出汁だ)

 自分でも嫌になるほど、反射でそう思ってしまう。

 龍拓は寝室へ戻り、シュリルの足元を軽く蹴る。

「起きろ。外、ちょっと見に行く」

「んぉ……? 散歩か!」

 シュリルは半分寝た顔で立ち上がった。

 次にリプイ。

 ベッドの端をそっと叩く。

「リプイ、外。変な匂いがする」

「……また食材の匂いで動いてるでしょ」

 目も開けないまま言われ、龍拓は苦笑する。

「気のせいだ」

「嘘つき……」

 三人で外に出ると、町の空気が妙に落ち着かない。

 人が早足で家へ帰っていく。屋台も店じまいが多い。

「おい、今日やけに静かだな」

 シュリルが首を傾げる。

 市場の端、魚屋の前で老人が怒鳴っていた。

「港に近づくな! 今日は“海が鳴いてる”!」

「海が鳴く?」

 龍拓が聞き返すと、老人は顔を青くして唾を飲み込んだ。

「昨夜からだ。水面が勝手に割れて、船が戻ってこねぇ。

 あれが来たら終わりだ……“リヴァイアサン”だ」

 その名を聞いた瞬間、リプイの顔が固まる。

「……冗談じゃない。今すぐ離れるよ、二人とも」

「リヴァイアサン?」

 シュリルの目が輝く。

「強そうだな!」

「強そう、で済むなら誰も逃げない!」

 リプイが腕を引いた。

 だが――

『ズ……ン』

 足元が、嫌な揺れ方をした。

「地震?」

「違う。これは……でかい何かだ」

 龍拓の声が妙に真剣で、リプイが嫌な顔をする。

「やめて。その“食材センサー”みたいな言い方」

 港(町の外れの大きな水路)が見える位置まで来たところで、三人は足を止めた。

 水面が――盛り上がっている。

 いや、盛り上がり方のスケールがおかしい。まるで巨大な背中だ。

「……背中?」

「背中だな」

「背中って言うな!」

『ゴボァッ!』

 水面が割れ、巨大な影が姿を現した。

 鱗は黒く、濡れた岩のように鈍い光。

 首だけで塔みたいに高い。吐く息が、潮と血の匂いを撒き散らす。

 港にいた誰かが叫ぶ。

「リヴァイアサンだぁぁぁ!」

 リプイが震える声で言う。

「……S級の中でも別格。トップクラスよ」

 龍拓は恐怖で足がすくむはずなのに、喉の奥が熱かった。

(魚介の匂い……昆布みたいな旨味。信じられない濃さだ)

 シュリルが一歩前へ出る。

「強そうだ。――なら、試す」

「待って! 今のあなたじゃ――」

 止める前に、シュリルは息を吸って叫んだ。

「レッツォォォォ!」

『ドガァン!』

 ――当たった。

 だが。

 リヴァイアサンの鱗は、びくともしなかった。

 むしろ、シュリルの腕が弾かれた。

『ビキッ』

 嫌な音。

 シュリルの腕が痺れ、膝がわずかに折れる。

「……硬っ」

「硬っ、じゃない!」

 リヴァイアサンが、ゆっくり顔をこちらへ向けた。

『ギロ……』

 視線だけで胃が冷える。

 空気の重さが、胸の奥にのしかかってきた。

 次の瞬間、息が詰まった。

 胸の前に見えない蓋が落ちたみたいに、吸えない。

「……っ」

「だから言ったのよ!」

 リプイが咄嗟に前へ出る。

「癒しのバリア《マハソール》!」

 淡い光の膜が広がり、三人を包んだ。

 だが膜が、みしみしと軋む。

「……割れる!」

「割れそうなのを、今言わないで!」

 その瞬間だった。

「――そこまでじゃ」

 低い声。

 桟橋の端に、一人の老人が立っていた。

 白髪。背筋は伸びている。目が鋭い。

「ヤーハン!」

 シュリルが目を見開く。

 ヤーハンはため息を吐き、静かに言った。

「今のシュリルでは、届かん」

 言葉が刺さる。

「殴るだけじゃ、あいつは揺れもしねぇ。ここで粘れば死ぬぞ」

 ヤーハンは一歩前へ出た。

 腰の刃――包丁にも似た刃に手を添える。

「下がれ。ワシが追い払う」

「でも――」

「でもじゃない。生き残って、勝ち方を覚えろ」

 ヤーハンが刃先を地面へ向け、短く息を吐いた。

「……エーゲル」

 刃が一瞬、淡い金に光った。

『シュン――!』

 音が遅れて来た。

 空気が切れた“線”が走り、次の瞬間、水面に円い裂け目が生まれる。

 輪の形をした切断が、港の水を静かに押し広げた。

 リヴァイアサンの目が、初めて細くなった。

 怒りではなく、警戒。

『ズ……ン……』

 巨体がゆっくりと引き、水がうねり、影が沈んでいく。

「……今は引いた。でも逃げたわけじゃない」

 ヤーハンが言う。

「“次”がある。覚悟しとけ」

 港が静まり、ようやく周囲が息を取り戻した。

 シュリルは悔しそうに拳を握る。

「……俺、届かなかった」

「届かせてやる」

 ヤーハンは短く言い切った。

「勝ち方を覚えろ」

 龍拓は割れた水面の残り香を吸い込む。

(……あれで出汁を取ったら、どうなる)

 恐怖と食欲が、同時に胸を叩いた。

 ヤーハンが龍拓を見る。

「料理人。魚介は強い。だが強いほど、扱い方を間違えると死ぬ」

 そして背を向けた。

「――来い。話がある。訓練の前に、まず“あれ”の怖さを体に刻め」

 三人は頷くしかなかった。

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