ギウマニールの豚骨ラーメン1
森を抜けた瞬間、空気が変わった。
人の声。鍋を叩く音。香辛料と焼き物の匂い。
石畳の道に、屋台と露店がぎゅうぎゅうに並ぶ。
「うわ……」
龍拓は思わず足を止めた。市場――というより、街そのものが厨房みたいだ。
(この世界、出汁がどこにでも落ちてそうだな)
「ここはアゴーラ。私の故郷よ」
リプイが胸を張る。
「この辺で一番大きな市場があるの。今日は月曜だから、新鮮な食材が揃ってるはず」
「新鮮な食材……」
龍拓は目を輝かせる。
「どんなのが――」
「市場は後」
リプイがきっぱり言った。
「先にギルド。納品してお金を受け取らないと、買いたい物があっても買えないでしょ」
龍拓のテンションが露骨に下がる。
「……現実だな」
「少し辛抱だ!」
シュリルが肩を叩く。
「龍拓には最高のラーメンを作ってもらわないと困る。まず資金だ!」
龍拓は名残惜しそうに市場を振り返り、渋々ついていった。
町の脇にある巨大な石階段を上ると、城のようなレンガ造りの建物が見えた。
入口は高く、扉は分厚い。
「これがギルドか……」
近づくほど、背中が冷える。
空気が“ぴりっ”としている。
シュリルが低い声で言った。
「龍拓。ここにいる奴らは全員が味方じゃねぇ」
「揉め事の匂いがするの?」
「クエストは限りがある」
リプイが続ける。
「だから、蹴落とし合いが日常茶飯事。話しかけられても深入りしないで」
「分かった」
シュリルが扉を押し開けた。
『ギィィィ……』
嫌な音。
瞬間、ロビーにいた冒険者たちの視線が、三人へ突き刺さった。
「シュリルか」
「アイツのせいで収入が減った」
「原人が来たぞ」
さらに――リプイへも。
「回復しかできない小娘が」
「たまたま勇者に拾われただけでしょ」
龍拓の中で、何かがカチッと鳴った。
(陰口で群れるやつ、ラーメン屋の行列でも一番信用できないタイプだ)
龍拓はため息を吐き、わざと聞こえる声で言った。
「あー……ギルドって聞いてたから、もっと凄い人が集まってるのかと思った」
視線が一斉に集まる。
「でも、面と向かって言えない小物ばっかりなんだな。残念」
空気が一段冷える。
「……何だアイツ」
「調子乗ってると――」
リプイが慌てて龍拓の口を塞いだ。
「っ、ちょ……!」
その前へ、シュリルが一歩出る。
背中が妙に大きい。
「俺のことを何と言おうが構わない」
声が低い。
「だが――仲間を侮辱するのは許さん」
シュリルがぐるりとロビーを見回す。
「俺ならいつでも相手してやる。文句があるやつは――掛かって来い」
誰も動かなかった。
というより、動けなかった。
龍拓はリプイの手をどけて、小さく言う。
「……ありがと、シュリル」
「礼はいらねぇ。行くぞ」
三人はロビーを横切り、二階へ向かう階段を上がった。
その背中を、円卓に座ったフードの三人が眺めていた。
男二人と女一人。ニヤついた空気が、粘るようにまとわりつく。
「相変わらず、変わらんな」
「いつになったら“勇者らしく”なるのかしら」
「変わった服の男、肝が据わってる。何者だ?」
中央の男が立ち上がる。
「まあ、いずれ分かる。俺たちも行くぞ」
フードの三人は、追うように階段を上がっていった。
――二階。
赤いカーテンの受付の前に、傷のある金髪の屈強な男が立っていた。
「シュリルか!」
「ミルコ、獲物は確保したぜ!」
シュリルが満面の笑みで言うと、男――ミルコは豪快に頷く。
「お疲れさん。……リプイも、今回も大変だったみたいだな」
「もう、たまったもんじゃないわ」
リプイが愚痴りかけたところで、ミルコの視線が龍拓に止まる。
「アンタ……この国の者じゃないな」
眉が少し寄る。
「厄介事に巻き込まれる前に着替えた方がいい」
龍拓が答える前に、背後から声が割り込んだ。
「その忠告は少し遅かったみたいだな」
振り返る。
フードの三人が立っていた。
先頭の男がフードを払うと、白銀の鎧が光を弾く。
整った顔。金髪。立ち姿まで“絵”になる男。
「アミル……」
シュリルが小さく名前を漏らす。
アミルはシュリルに向けて、上から視線を落とした。
「よう、シュリル。まだ臆病な回復屋と組んでいるのか」
リプイの頬が、悔しさで赤くなる。
「それに、異国の者まで連れているとはな」
アミルは龍拓を値踏みするように見た。
「勇者を名乗る資格を貰ったなら、民に示しが付く振る舞いをしろ。相応の仲間を選べ」
シュリルが一歩前へ出る。
「俺が誰と組もうと、お前に関係ない」
拳が握られる。
「リプイも龍拓も、俺には必要な仲間だ。愚弄するな」
アミルの後ろにいた二人もフードを脱いだ。
妖艶な女魔術師――シファ。
そして、漆黒のローブを着た巨体の男――ゾーア。
シファがくすっと笑う。
「相変わらず熱いのね、シュリルくん」
ゾーアは何も言わず、ただ視線だけで圧をかけてくる。
場が割れそうなほど重くなったところで、ミルコが咳払いをした。
「……査定を始めるぞ。リプイ、アイテムボックス頼む」
「え、ええ……」
ミルコがレバーを引くと、受付の台が横にずれ、地下へ続く階段が現れた。
「獲物がデカい。続きは地下の査定室だ」
階段を降りると、巨大なドーム状の空間が広がっていた。
水槽。檻。吊り下げられた外骨格。
保存された怪物が、ありとあらゆる方法で並んでいる。
「……すげぇ」
龍拓の口から、素直に声が漏れた。
(この世界、食材が“強すぎる”)
龍拓の指先が、無意識に疼く。
(今すぐ厨房に立ちたい……)
ミルコが査定台へ案内する。
分厚い鋼の台。百人が乗れそうな大きさだ。
リプイのアイテムボックスが台に投げられる。
『ポォン!』
破裂音と共に、グランドセントピードが現れた。
「ほほう。デカい……」
ミルコが目を細める。
「依頼の推測値より一回りは大きい。久々の大物だ」
シュリルが全力でドヤ顔をする。
アミルが舌打ちしたのが分かった。
ミルコが胴体の傷に気付く。
「……くり抜かれた跡があるな。どうした」
シュリルが即答する。
「まぜそばに使った!」
「言うなっ!」
リプイのツッコミが飛ぶ。
ミルコは頭を掻いて、淡々と言った。
「傷が深い。買取りは下がる」
リプイがわざとらしく潤んだ目を作り、ミルコを見る。
「ミルコさん……お願い……」
ミルコは真顔で返した。
「すまんな。俺はお前から色気を感じたことが一度もない」
「やめて!」
リプイが赤くなって叫ぶ。
龍拓が苦笑しながら肩を叩く。
「リプイ。交渉は“目”じゃなくて“言葉”だ」
「うるさい!」
ミルコは咳払いして続けた。
「……七万ケッセフでどうだ。世話になってる分、少し上乗せしてる」
「……分かったわよ」
金貨が七枚、手渡された。
その直後、アミルが赤いアイテムボックスを出す。
「次だ」
台の上に現れたのは――
ライオンの頭。山羊の胴。蛇の尾。翼。
神話の怪物が、そのまま“現物”で横たわっていた。
「……キマイラの納品、うちでは初めてだ」
ミルコの声が、震えていた。
シュリルとリプイが唖然とする。
龍拓は逆に、背筋がぞくっとした。
(こいつ……出汁、どう出るんだ……)
ミルコが外傷を探す。見当たらない。
アミルが胸を張る。
「俺の聖剣ハザークなら外傷を残さず、内部を断てる」
値段を調べたミルコが、息を呑む。
「……三十三万ケッセフだ」
木箱から金貨が三十三枚。紫の巾着袋に入れられて渡される。
シュリルが羨ましそうに見て、ぽつり。
「……巾着、欲しい」
「ルールだ。金貨十枚以上からだ」
「くぅ……」
アミルたちは冷ややかに去っていく。
去り際、シファが振り返った。
「またね、リプイちゃん」
リプイは笑顔を作るが、指先が少し震えていた。
「……さあ、行くわよ」
リプイは言い切るように立ち上がった。
「市場で買い物。龍拓、必要な物を揃える」
ギルドを出ると、昼の風が甘い。




