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ラーメン屋の店主、異世界で最高の出汁を探す  作者: 髙橋彼方
第三章『リヴァイアサンの魚介豚骨ラーメン』
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リヴァイアサンの魚介豚骨ラーメン7

 ドームの端。

 小さな円形の床の中央に、水を張った鉢が置かれている。

 リプイは鉢の前に座った。背筋を伸ばすつもりはなかったのに、気づけば伸びている。

 目の前に立つ男が、モービルだからだ。

(……相変わらずだ)

 変わってない。だから厄介だ。

 この人の前だと、誤魔化しが効かない。

「……で、何する?」

 わざと軽く言った。軽く言わないと、飲まれる。

 モービルは鉢を指差す。

「いつもの癖、直す」

「癖?」

「出す時に全開にするやつ。昔から」

 リプイは一瞬、口を開きかけて止めた。

 否定はできる。でも、否定しても意味がない。

 どうせ見抜かれる。

「……分かった」

 短く頷く。

「燃費を良くする。無駄を減らす。今日はそれだけ」

 それだけ。

 モービルがそう言う時ほど、それが一番難しい。

 リプイは鉢の水面を見つめた。人工太陽が揺れて、やけに眩しい。

「まず、“ちょっとだけ”出して」

「……うん」

「水面が“ゆら”ってしたら成功。バシャってしたら失敗」

 リプイは小さく息を吐いて、目を閉じた。

 呼吸を整える。指先に熱を集める。

(いつもなら、ここで一気に出す)

 でも今日は違う。

 細く、少しだけ。

『……ゆら』

 水面が小さく揺れた。

 リプイは目を開ける。

「……できた」

「うん。今のはいい」

 短い。

 でも、その短さが刺さる。

 褒められたのが嬉しいのに、顔に出すのは悔しい。

 リプイは視線を鉢に落としたまま、次を待つ。

「次。戻す」

「……」

「消すんじゃなくて落とす。急に止めると跳ねる」

 リプイは頷いた。

 分かる。理屈は分かる。

 問題は――体が勝手に力むことだ。

 リプイは集中して魔力を引かせようとした。

 すると、つい“力で押さえる”形になる。

『ぱしゃ』

 水面が波立った。

「……っ」

 悔しさが喉まで上がる。

 でも言葉は出さない。

 出したら、それこそ誤魔化しになる。

 モービルは顔色一つ変えない。

「今のが“いつもの君”」

「……」

「速い。強い。だから雑になる」

 リプイは一度だけ、深く息を吸った。

 悔しい。でも、事実だ。

「どうすればいい」

 モービルの声は淡々としている。

「息。吐くのと一緒に落とす。力で閉じるな」

 リプイは深く息を吐いた。

 吐いた分だけ、指先の熱が抜けていくイメージ。

 水面の波が細くなり、少しずつ静まっていく。

『……すっ』

 鏡みたいに落ち着いた。

 リプイは小さく息を吸い直した。

「……戻った」

「うん。今のもいい」

 モービルは短く言う。

「もう一回」

 リプイは頷く。返事を増やさない。

 代わりに、視線だけをまっすぐ鉢へ落とす。

 ちょっとだけ出す。

 水面がゆら。

 吐いて落とす。

 すっ。

 もう一回。

 もう一回。

 額に汗が滲む。

 地味なのに、神経がすり減る。

 でも、“揃っていく”感覚が確かにある。

「……思ったより疲れる」

 ぽろっと本音が出た。

 モービルは鉢の水面を見たまま言う。

「燃費が悪いから」

「……うん」

「強い魔法は勝手に大きくなりやすい。大きいと疲れる。

 だから小さく出して、ちゃんと戻す。君の場合はそれだけで変わる」

 リプイは拳を握った。

 悔しさを飲み込むために、握る。

「……次」

 言葉は短く。

「次」

 モービルも短く返す。

「さっきより“ゆら”を小さくする」

 リプイは頷いた。

 もう一度、指先に熱を集める。

 ゆら。

 吐く。

 すっ。

 今度はさっきより早く静まった。

 モービルが小さく頷く。

「いい。戻しが速くなった」

 リプイは、胸の奥が熱くなるのを感じた。

 でも顔には出さない。出したら負けだ。

「……で。これ、マハソールも変わる?」

 質問だけを投げる。言い訳はしない。

「変わる」

 モービルは即答する。

「膜の厚さを必要な分にできる。厚すぎて勝手に疲れるのが減る」

 リプイの目が細くなる。

「同じ魔力で、もっと強く守れるってこと?」

「そう。強いのを一回だけじゃなく、強いのを維持できる」

 維持。

 その言葉が、やけに効いた。

 今までずっと“一発”に頼っていた。

 頼るしかなかった。

 でもそれは怖かった。次がないから。

(維持できたら――皆んなを守れる)

 リプイは鉢を見つめ、静かに息を吐く。

 そして、小さく言った。

「……できる」

 モービルは表情を変えず、短く頷いた。

「うん。じゃあ続き」

「……うん」

 リプイは鉢に向き直る。

 水面が、また“ゆら”と揺れた。


 白い鏡みたいなゲートを抜けた瞬間、足元の感覚が消えた。

 硬い床を踏んだはずなのに、音がない。

 呼吸の音すら薄い。

 目の前に広がっていたのは、奥行きの分からない真っ白な空間だった。

「……白いな」

 龍拓は反射で、まず鼻から息を吸った。

 匂いがしない。

 薬草の甘さも、鉄の匂いも、湿った土の匂いもない。まるで何も置いていない新品の部屋に入った時みたいだ。

 ナヴィが空中に円を描いた途端、真っ白な世界の一部が“厨房”に切り替わった。

 そして次の瞬間――

『ガシャン』

 金属が重なる音。

 龍拓が振り向くと、見慣れた道具が山みたいに積まれていた。

 寸胴。

 テボ。

 平ザル。

 湯切り網。

 タレ壺。

 丼。

 計量カップ。

 スケール。

 トング。

 まな板。

 麺上げ用の長い箸まで。

「……ちょっと待て」

 龍拓はテボを掴んで、重さを確かめた。

 手に馴染む。いつもの感触だ。

「これ、俺の店の道具と同じだ。重さまで」

 ナヴィは返事をせず、楽しそうに目を細めた。

 ヤーハンが短く言う。

「道具に驚いとる暇はないぞ」

 龍拓は周囲を見回した。

 白い空間のまま、匂いだけが抜け落ちている。寸胴を覗いても湯気は薄く、香りが乗ってこない。

「……匂いが立たない」

「ここはそういう場所じゃ」

 ヤーハンはそれだけ言った。

 ナヴィが指先を軽く振ると、作業台の上に布袋が落ちた。

『トサッ』

 龍拓が開けると、中身は肉の塊だった。

 赤身と白い筋繊維だけが、ぐちゃぐちゃに絡み合っている。脂の層が見えない。部位も分からない。

「混ぜてあるな」

 龍拓が言うと、ヤーハンが頷いた。

「豚、牛、鶏。筋だけ寄せ集めた。匂いで逃げるな」

 ナヴィはまたニコッとした。肯定にも否定にも見える笑みだ。

 ヤーハンが指を立てる。

「龍拓。これを仕分ける」

「どうやって」

「切り分けて、三つに分ける。制限時間は十八秒」

「十八秒?」

 ヤーハンが作業台の端を指差す。

 そこに、砂時計みたいな細い器具が置かれていた。上の球に淡い金の粒が溜まっている。

「落ち切るまでが十八秒じゃ」

「……短いな」

「短いから修行になる。急いでも崩さないのが技じゃ」

 龍拓は肉を見た。

 先に口が動くキャラじゃない。必要な手順だけを頭の中で並べる。

「匂いがないなら、触って取るしかないな」

「そうじゃ。だが――その包丁を使う」

 ヤーハンが棚の上、青く光る刃を指す。

 ヘレスケス。

 龍拓は一歩近づいて、手を止めた。

「触っただけで持ってかれかけた」

 ヤーハンは頷く。

「じゃから、これを使う」

 ヤーハンは金属の輪を取り出し、龍拓の手首に通した。

 腕輪みたいにピタリと収まる。

「冷っ……」

「エーゲルだ。光の制御具」

「制御具?」

「前に言ったじゃろ。リヴァイアサンを追い払ったのも、これじゃ」

 龍拓の目が見開く。

「……あれか!」

「外に広げれば“追い払い”になる。内に回せば“制御”になる」

 ヤーハンは龍拓の手首を軽くつついた。

「まずは内側から覚えろ」

「鍛えれば、俺も追い払える?」

 ヤーハンは答えず、口角だけ上げた。

 ナヴィも、同じようにニコッとした。

「……分かった」

 龍拓は短く言って、呼吸を整える。

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