グランドセントピードのまぜそば1
幻想的な木が生い茂る、美しい森。
本来なら、深呼吸して癒やされるために来たいような場所だ。
――なのに。
一ノ瀬龍拓は、脂汗をだらだら流しながら全力疾走していた。
『ゴゴゴゴゴゴゴォ!』
背後から地面を叩くような地響き。
反射的に振り向いた瞬間、龍拓の喉がひゅっと鳴る。
顔だけで、龍拓よりデカい。
ドラゴンみたいな顎に、ムカデみたいな節。
黄緑色の涎を垂らし、木々をなぎ倒して迫ってくる化け物がいた。
「……マジかよ」
走れ、走れ、走れ。
肺が燃える。脚が千切れそうだ。
――死ぬ。
そう思った、その直後。
(……今、出汁の素材に良さそうな匂いがしたんだが?)
なんで俺がこんな目に。
しかも、うまそうな気配までして。
龍拓は泣きそうになりながら、森を駆けた。
[三ヶ月前]
湯気が立ち込める騒がしい店内。
厨房で龍拓は声を張り上げ、従業員に指示を飛ばしながら麺の湯切りを続けていた。
「おい! スープの準備は出来てるか!」
「はい!」
どんぶりが台に次々と並ぶ。
龍拓は手早く麺を入れ、ほぐし、トッピングを“目にも留まらぬ速さ”で盛り付ける。
一瞬で十三杯。
さっきまでの怖い顔から一変し、龍拓は笑顔でカウンターに置いていった。
「お待たせしました! チャーシュー麺大盛りです。ごゆっくりどうぞ!」
配り終えると、龍拓は――
美味そうに食べる客と、ラーメンをどこか悲しそうに見つめた。
(……まだ、届かない)
ランチタイムが終わり、夕日が店先を赤く染める頃。
店の外では取材班が待ち構えていた。女性アナウンサーとテレビカメラ、ディレクター、助監督。
龍拓のTシャツの襟に、ピンマイクが素早く付けられる。
「龍拓さん、緊張しなくて大丈夫ですよ。いつも通り自然に、で!」
「は、はい……」
「では本番いきます! カメラ回して下さい!」
「回しました!」
「五秒前、四、三、二、一……」
アナウンサーは満面の笑顔を作り、カメラに向いた。
「今回の『ラーメン道』では、最近話題の二つ星店『龍昇』を取材させて頂きました!
私もイチオシのチャーシュー麺を頂きましたが絶品でした!
皆さんも是非、一度食べてみてください!
そして番組恒例――店主が目指す“今後の目標”を伺って締めたいと思います!
龍拓さん! ズバリ、今後の目標は何でしょうか!?」
龍拓は少し俯いた。
喉の奥に、熱いものが引っかかる。
「……いつか叶えたい目標なんですけど」
撮影班が息を呑むのが分かった。
「生涯の間に、“全く新たなラーメンのベース”を作ることです」
アナウンサーの目が丸くなる。
「え、えっと……。それは一体、どんなラーメンなんでしょうか?」
「まだ分かりません」
龍拓は、正直に言った。
それでも続ける。
「ただ……今のラーメンって、開拓されすぎてるんです。
塩、醤油、味噌、豚骨。大きく分けると、結局この四つに収まる。
新しい食材を使っても、調和させようとすると“どれかのベース”に寄ってしまう」
龍拓は、ほんの少しだけ笑った。
悔しさを飲み込むみたいに。
「先人が残したベースが優秀すぎるんです。……だからこそ、越えたい」
アナウンサーが恐る恐る聞く。
「つまり……塩、醤油、味噌、豚骨を使わないラーメンを?」
「はい」
龍拓は決意を秘め、カメラを真っ直ぐ見た。
「いつになるか分かりませんが。必ず、作って見せます」
インタビュー動画はネットで拡散され、賛否両論が巻き起こった。
「新ジャンルのラーメン、楽しみ!」
「料理の歴史舐めてるだろ」
「でも龍拓ならやりそう」
「二つ星で天狗?」
「宣戦布告だな」
――そして番組後。
龍拓の“満足がいくラーメン”は、なかなか出来なかった。
夜更け。客はすっかり帰った店内。
従業員が暖簾を下げ、清掃を始める。
龍拓は目の下にくまを作り、鍋をじっと見つめていた。
厨房の端で、従業員二人――狐季と直哉が、心配そうに囁く。
「なぁ。最近の店長、どう思う?」
「アンチも多かったしな……流石に傷ついてるんじゃねぇか」
龍拓は鍋を見ながら、頭の中で食材を片っ端から並べ替えていた。
(寝る間も削って探してるのに……一つも決定打が出ない)
叩かれるのはどうでもいい。
ただ、新しいベースを作りたい。
それだけだ。
(まだ、俺はラーメンに向かう姿勢が足りてない――)
龍拓は、ふっと顔を上げた。
「昆虫とかで……スープのコク、出せないかな……」
ぽつり。
二人の従業員が、同時に固まった。
「……店長、大丈夫かよ」
「いや、待て。俺、ちょっと思い出した!」
狐季が急にニヤつき、腕に付けた紅い数珠を見せる。
「最近さ、良い神社知ったんだよね!」
「またスピリチュアルかよ……俺は信じねぇぞ」
「聞けって! この数珠つけてから、マジで運が良いんだよ!」
直哉はモップを動かしながら、渋々聞く。
「で、その“運”って何があったんだ?」
「まずさ――俺、来月で辞めるって言ってただろ? 親の会社継ぐやつ」
「ああ」
「それが、継がなくてよくなった。叔父さんが継いでくれるって」
「マジか! 良かったな!」
狐季は勢いよく頷いた。
「それに今日、社員の雄二さんがさ。明日から茹で教えるって」
「お前が茹でだと……抜け駆けしやがって」
直哉は呆れつつも、少し笑った。
「で、その神社はどこだ?」
「杉並区の大宮にある命婦白狐神社。目標成就で有名らしい」
狐季は一拍置き、言いづらそうに続けた。
「……注意があってさ。
願いを叶える価値があると判断されると、女性の声が背後から聴こえるって」
「はいはい幻聴」
「違うって! 俺、聴こえたんだよ。“お前の願い、手伝ってやろう”って」
その会話に――
「その貢物ってのは何なんだ?」
唐突に割って入った声。
二人が振り向くと、腕を組んで仁王立ちしている龍拓がいた。
「聴いてたんですね……」
「掃除そっちのけで楽しそうに喋ってたら、そりゃ聴こえる」
直哉は慌てて頭を下げる。
「すみません」
狐季は嬉しそうに早口になる。
「食べ物です! でも殺生は御法度で、肉と魚は禁止。
鳥居を潜るのに食べ物が必要って看板にも書いてあるんですよ」
「食べ物を欲しがる神様か」
龍拓の目が、ほんの少しだけ光った。
「飲食店をやってる俺としては、会ってみたくなるな」
直哉が口を開ける。
「まさか、本当に行くんですか?」
「明日は店も休みだ。行ってみる」
龍拓は狐季に微笑んだ。
「教えてくれてありがとうな」
「はい!」
[翌日]
朝早く。龍拓は自宅のキッチンで黙々と酢飯を油揚げに詰めていた。
(貢物は、誠意だ)
弁当箱には十八個、拳ほどの稲荷寿司がぎっしり。
龍拓は包み、工夫して大きなリュックサックに押し込んだ。
「……よし」
見るからに重そうなリュックを背負い、部屋を出る。




