第2話|戦場前の微妙な日常
初春の昼下がり。
リュシアン侯爵家の広い演習場に足を踏み入れた瞬間、ルミエールは空気の張りつめ方がいつもと違うことに気づいた。
「皇室騎士団長ヴァルディア殿が、指導に来られるそうだ」
兄アントワーヌが静かに告げる。
皇室騎士団を率いる、ラヴェル公爵家の子息。
その人物が自家の騎士団を直接指導する――それだけで胸が高鳴った。
やがて現れたヴァルディアは、漆黒の短髪を揺らし、鋭い氷青の瞳で兵士たちを見渡す。
無表情。
まるで氷の城壁のように揺るがないその姿は、規律そのものだった。
「……やはり、現実なのね」
思わず息をのむ。
かつて読んだ物語の一節が脳裏をよぎる。
憧れた騎士団長の勇姿が、今、目の前にある。
兄は旧知の間柄らしく、軽く会釈した。
「久しぶりだな、団長」
「アントワーヌ……」
短い応酬。
それだけで場の空気が引き締まる。
ヴァルディアが号令を発すると、演習場は一変した。
剣が閃く。
無駄のない動き。
的確な指示。
戦場そのものだった。
ルミエールの鼓動が速まる。
自然と背筋が伸びる。
だが、次の瞬間。
鋭く振り抜かれた剣先が、ぴたりと止まった。
ヴァルディアの視線が、わずかにこちらへ向く。
氷青の瞳が、ほんの一瞬だけ細められた。
――見られた。
心臓が、大きく跳ねる。
それだけで、十分だった。
やがて演習が終わると、彼の表情は再び静かな無表情へ戻る。
戦場の鬼と呼ばれる冷徹さと、屋敷で見せる揺るがぬ静寂。
その落差に、胸が締めつけられる。
「……守られるかもしれない」
心の奥で、そっと呟く。
未来の危機を知る身でありながら。
それでもなお――
春の光の中で、ルミエールの胸は静かに揺れていた。




