第1話|ちらつく未来
昼下がりの書斎は、穏やかな光に満ちていた。
大きな窓から差し込む陽光が、机の上の書類を照らす。
規則正しく紙をめくる音。
向かいに座るヴァルディアは、いつも通り冷静で、隙がない。
氷青の瞳は文字を追い、指先は迷いなく次の頁へと進む。
(変わらない……)
その横顔を見つめながら、ルミエールの胸がわずかにざわついた。
——違う。
“変わらない”のではない。
“まだ”変わっていないのだ。
脳裏に、別の光景がよぎる。
冷え切った謁見の間。
血に染まる赤。
感情を失った瞳。
かつて読んだ物語の中の、彼。
すべてを失い、感情を凍らせた男。
(……私が、いなくなった後の)
喉の奥がきゅっと締まる。
原作では、彼とルミエールは夫婦になる。
だがその幸福は長く続かない。
皇太子の陰謀。
疑い。
そして——死。
彼女が命を落とした瞬間、ヴァルディアは変わる。
守れなかった後悔と怒りに飲まれ、皇室すら敵に回す存在へと堕ちていく。
愛ゆえの、破滅。
(あんな顔を、させたくない)
今、目の前にいる彼は違う。
静かで、誇り高く、誰よりも責任感が強い。
半歩後ろに立つあの姿勢も。
肩書きを戦場だけに置こうとするあの矜持も。
全部、壊れてしまう未来。
「どうした?」
不意に声が落ちる。
顔を上げると、氷青の瞳がこちらを見ていた。
ほんのわずかに、探るように。
「いえ……」
咄嗟に笑みを作る。
「少し、考え事を」
「顔色が優れない」
即座の指摘。
視線が、ほんの少し柔らぐ。
それだけで、胸が痛い。
(この人は、きっと)
守ることしか知らない。
剣を握るその手は、誰かを救うためにしか振るわれない。
だからこそ、失ったときに壊れる。
未来を知っているのは、私だけだ。
ならば——ゆっくりと息を吸い込む。
「大丈夫です」
強く答える。
(今度は、違う未来にする)
守られるだけでは終わらない。
彼が闇に堕ちるなら、その前に。
皇太子の陰謀が動くなら、その前に。
私が動く——
ヴァルディアは数秒こちらを見つめ、やがて視線を戻す。
だがその前に、ぽつりと告げた。
「無理はするな」
短い言葉。
けれど確かに、温度がある。
胸の奥が静かに熱を帯びる。
(あなたを、守る)
その決意は、まだ誰にも知られていない。
昼の光の下で。
未来は、確かに揺らぎ始めていた。
——まだ、誰も知らないままに。




