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8

マリーの伸ばした右手、その先に――

“生きている”気配が、確かに芽吹いた。

「……ユグドラシル・ロッド」

囁きは祈りのようで、同時に、告別の言葉でもあった。

虚空を縫うように、淡い光の糸が集まり始める。

それはショウの亡骸から、ゆっくりと、慎重に掬い上げられた魔法の残滓。

彼の指先から最後に零れ落ちた、弱々しくも温かな光。

未だ世界に溶けきれずに残っていた、意志の欠片。

――それらを、一針一針、縫い合わせていく。

本来、彼女はもう“花の魔法使い”ではない。

花を呼ぶことも、杖を喚ぶこともできない存在だ。

それでも。

時間を稼いだ。

ニコの饒舌に付き合いながら、怒りも悲しみも、すべて胸の奥に沈めて。

ただ、この瞬間のために。

「……あれ?」

ニコが違和感に眉をひそめた、その刹那――

顕現。

根を思わせる幾何学的な光が絡み合い、一本の杖を形作る。

樹皮のような質感。脈打つような緑の輝き。

先端には、小さな世界樹の芽。

ユグドラシル・ロッド。

「それ……」

ニコは目を見開く。

「昔、カサンドラから譲り受けたの」

マリーは微笑んだ。

かつて、笑って拒んだ日のことを思い出しながら。

「杖は趣味じゃない、ってね」

次の瞬間――

世界が、息を吐いた。

淡く光を放つ桃色の花弁が、爆発するように吹き荒れる。

風は嵐となり、花弁は刃のように舞い、空間そのものを押し広げていく。

「ッ……!?」

ニコは咄嗟に腕を顔の前に掲げた。

風圧に足を取られ、花弁が肌を叩く。

「なんだよ……これ……!」

あまりの力に、思わず目を閉じる。

――どれほどの時間が過ぎたのか。

やがて、風は少しずつ和らいでいった。

恐る恐る目を開けたニコの視界に映ったのは――

暴風と花弁に守られるように立つ、マリーの姿。

そして。

「……あ?」

気付く。

先ほどまで魔力に焼かれ、黒く染まっていた木々が――

その枝先に、桜の蕾を宿している。

生命が、逆流していた。

「……はは」

ニコの喉から、乾いた笑いが漏れる。

「まさか……」

魔法は、本来――

自らの命を代償にして発動できない。

命を燃やしても、術者の死後、魔法に意思は宿らない。

力は志向性を失い、霧散する。

それが、この世界の理だ。

「……そうよ」

マリーは、静かに肯いた。

「だから私は――杖を“魔法使い”にした」

ユグドラシル・ロッドに、そっと手を添える。

「生きた杖を、ね」

樹が、応えた。

世界樹は、魔法使いを必要としない。

差し出された代償は――

かつて花の魔女であった、ひとりの女の命。

マリーの足元から、桜が咲き始める。

一本、また一本と。

森全体が、春に染まっていく。

「……ニコ」

彼女は、初めて振り返った。

「覚えてる?」

かつて、何気なく口にした言葉。


「私、生命を吹き込む魔法は得意なの」


それは、いたずらが成功した時のような、

どこか無邪気な笑顔だった。

魔法が、完成する。


――《花葬》。


桜は、次々と花開き、やがて満開となった。

その瞬間、マリーの身体から力が抜け落ちる。

命が、確かに、尽きていく。

そして、代償が尽きた時。

桜は、静かに、散り始めた。

「ちょっとヤバいか……?」

ニコの声が、震える。

「何が……!?」

だが、魔法は――彼に向けられてはいなかった。

光が、ショウの亡骸へと集束する。

桜の花弁が、優しく降り積もり、その胸に、光が灯る。

「……ッ!?」

次の瞬間――息を吸う音。

微かで、確かで、紛れもない。ショウの指が、震え、

閉じていた瞼が、ゆっくりと、開く。

「…………」

掠れた声。生者の声。

「……よう、ニコ」

ニコは、言葉を失ったまま立ち尽くしていた。

背後で、最後の花弁が空に舞い、

風に攫われ、彼方へと消えていった。

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