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「……貴方達二人と過ごした時間は短い。それでも、私は二人を見てきた」
マリーは俯き、ショウの亡骸を片腕で抱き寄せた。
まるで眠る子供をあやすように、その頭を、静かに撫でる。
「何故なの……?貴方達は、友達ではなかったの……?」
「友達だよ」
即答だった。
迷いも、逡巡もない。
あまりに軽く、あまりに当然のように。
「俺は、親友だと思ってる」
ニコは肩をすくめる。
「まあ、ショウの方がどう思ってたかは分からないけどね。
何せほら――俺、ショウのこと殺しちゃったし?」
タハハ、と。
頭を掻いて笑うその姿は、罪悪感とは無縁で、
マリーが知っていた“いつものニコ”そのままだった。
「……なら、何故……?」
マリーの声が、かすかに震える。
「それ、さっきも言ったよね」
ニコは不思議そうに首を傾げる。
「殺されると思ったから、殺した。それだけだよ」
「なら何故っ!」
張り裂けるような声。
マリーが、初めて感情を爆発させた瞬間だった。
「何故、貴方はこの世界の人を殺そうとしたの!?
何故、傷つけようとしたの!?」
「面白そうだから」
即答。
理由と呼ぶには、あまりに軽い。
だが、その軽さこそが、決定的だった。
「初めて魔法を使った時さ。断片的だけど、思い出したんだよね」
ニコの視線が、どこか遠くへ流れる。
「俺、前の世界が――大っきらいだった」
吐き捨てるように。
けれど声は、不思議なほど静かだった。
「善悪とか、倫理とか、道徳とか。そういうのが、心の底から嫌いだった」
一拍。
「なあ、善悪って何だと思う?」
その問いは、マリーではなく、世界そのものへ向けられていた。
「俺はね、人間のために、社会のために都合よく作られた――欺瞞であり、詭弁だと思ってる」
淡々と、ニコは続ける。
「気になったから考えてみたんだ。何で人は、上から下まで“善”で正当化して、悪を罰したがるのか」
何故、人は奪うことを良しとしないのか。
何故、人は傷つけることを良しとしないのか。
何故、人は人を殺すことを良しとしないのか。
「人に、善性があるから?」
ニコは鼻で笑った。
「――否。断じて、否」
答えは、残酷なほど明快だった。
「人間は、個として、生命として――どうしようもなく脆く、弱いからだよ」
奪えば、奪われる。
傷つければ、傷つけられる。
殺せば、殺される。
「権力や財力、才能で、そのラインは大きく上下する。でもさ、完全に無視することはできない」
どれほど力を持った権力者であっても、欲望のままに振る舞うことは許されない。
「何でだと思う?」
ニコは、楽しそうに問いを重ねる。
「そんなことをすれば、すぐに多くの人間から非難される。顰蹙を買って、引きずり下ろされるからだよ」
だから彼らは――
言葉を変え、
手段を変え、
品を変える。
自分の行いを。
自分の欲望を。
「“善”っていう、綺麗な箱にラッピングして、必死に押し込める」
ニコは、静かに結論を告げた。
「そう。世界に善も悪も存在しない」
あるのは――
「己の欲と、それを満たしても“多数から脅威と見做されないためのバランス”だけ」
欲と、他者の反応を、ただ秤にかけているだけだ。
「思いやり? 優しさ? 善?」
ニコは肩をすくめる。
「違うよ。全部、自己保身だ」
それが、人間だ。
「……ッ! 貴方は……間違ってる……」
否定したい。
否定したいのに、言葉が形にならない。
思考が絡まり、感情が先走り、
マリーは何一つ、うまく言い返せなかった。
――それでも、決して納得したわけではない。
人は。
人間の感情は。
決して、そんな単純な論理と合理性だけでできているはずがない。
マリーは、そう信じている。
「まあ、聞きなよ。これが最後の会話になるんだ」
ニコは、笑顔で続けた。
「そんなこんなで俺は絶望した。この世界は嘘に塗れてる。どこへ行っても、くだらない善悪から逃げられない」
「だけどあの日――」
ニコは、ほんの少し声を落とす。
「俺は、夢の世界でカサンドラと繋がったんだ」
「……ッ!」
マリーの胸が、強く脈打つ。
カサンドラ。
予言の魔女。
かつての友人であり――
自らの手で、殺した存在。
自分が、今ここにいる理由。
「おっと、勘違いしないでよ」
ニコは軽く手を振る。
「俺は別に、カサンドラに何かしたわけじゃない。あの世界にいた頃の俺は、魔法なんて使えなかったしね」
「ただ、彼女が魔法で世界を漂っていた時、偶然、夢の世界で繋がった。それだけだ」
ニコの声に、熱が滲む。
「カサンドラの話は、どれも物凄く興味深かった」
「特に魔法だよ、魔法」
その力があれば――
人は、個として。
一つの生命として。
「強大になれるかもしれない」
「我欲のためだけに生きることが、許されるかもしれない」
善も悪も。
くだらない鎖も。
何一つ気にせずに。
「思うがままに、さ」
そして、もう一つ。
もし、魔法という超常があるなら――
神も、存在するかもしれない。
「いるなら、聞きたいことが山ほどあった」
ニコは、静かに言った。
「だから俺は、何度もカサンドラに頼んだんだ」
「こんな世界で生きるのは嫌だ。貴女の世界に行きたい、って」
当然、断られ続けた。
そんな方法は存在しない、と。
――それでも。
彼女があの世界に干渉できている以上、
何か方法はあるはずだと、ニコは信じていた。
「ある日、俺は意を決した」
ニコは、真っ直ぐにマリーを見る。
「最期に、本気で頼み込んだんだ」
「俺はもう、この世界に心底絶望した。だから――今日、この後、自ら命を絶つ」
淡々と、告げる。
「もし方法があるなら。どうにかして、俺をそっちの世界へ連れて行って欲しい、って」
「そこから先は、あんたの知っている通りかな」
ニコは、あっさりと続けた。
「優しいカサンドラは俺をこの世界に招き入れてくれた。で、彼女は――不幸にも、この世を去った」
多分、俺がこの世界に放り込まれたと確定した、その瞬間。
彼女の視る未来が。
彼女の予言が。
大きく、狂った。
「その結果、彼女は壊れたんだと思う」
友達であるマリーが、
自ら手を下さねばならないほどに。
「これはまさしく、悲劇だね」
ニコは腕を組み、うんうんと頷く。
「ふざけないで……貴方が殺したようなものじゃない……」
「おいおい。だから俺は何もしてないって」
ニコは、肩をすくめる。
「百歩譲って俺が彼女を殺したとしても、間接的だよ。直接手を下したマリーには、さすがに負ける」
「……あれ、面白くなかった?」
ニコは俯くマリーへ顔を向ける。
どうにも様子がおかしい。
予言の魔女――カサンドラの話に、興味がないはずがないのに、
やけに静かだ。
心が折れたのだろうか。
それは、少し残念で寂しいな――
そう思い、マリーの顔を覗き込もうとした、その時。
「……やっぱり私」
マリーの声は、低く、静かだった。
「貴方のこと、よく分かっていなかったみたい」
「無口な子だと思っていたけれど……」
ニコは、はっとする。
ショウを撫でていた右腕が、宙へ伸ばされている。
そこにあるはずのない――魔法の“気配”。
「案外、よく喋るのね」
マリーが、顔を上げた。
アメジストの瞳は、輝きを失っていなかった。
否――
先ほどよりも、なお強く、深く、光を湛えていた。
友をこの手にかけた時、愛する人に別れを告げた時。
彼女は枯れることを諦めたのだ。




