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森が軋み、悲鳴を上げていた。
それは音ではない。 概念としての警告。 世界そのものが「異物」を拒絶するために発する、原始の拒否反応。
マリーは、息を吐いた。 感情は、既に凍らせてある。
「……来たわね」
闇が、動く。
木々の影が歪み、地面が不自然に盛り上がる。 獣だ。 否――獣を“模した何か”。
鹿の角を持ちながら、頭部は犬。 腹は裂け、内臓を模した粘液が垂れ下がり、 脚は蜘蛛のように八本に分かれ、関節の向きがすべて逆だ。
一体ではない。 三体、五体、十体。
狼。 猪。 熊。 鳥。
すべてが「森にいるはずの動物」なのに、 すべてが「森のものではない」。
悦虐者の手駒。 痛みと恐怖を“鑑賞”するためだけに作られたかのような、歪な芸術品。
「――汚い」
その一言で、世界が反転した。
地面から、根が噴き出す。 太く、白く、血管のように脈打つ根が、最前列の化け物の脚を絡め取り、締め上げる。
骨が砕ける音。 肉が裂ける音。
だが、悲鳴はない。 喉の構造を、最初から持たされていない。
マリーは、指を軽く振った。
次の瞬間、空気が花弁で満ちた。 赤、白、紫、黒。 あり得ない速度で回転する花弁が、刃となり、化け物たちの皮膚を削ぎ落とす。
花は美しい。 だが、その散り際は、残酷だ。
剥き出しになった筋肉。 露わになる臓器。 それでも、化け物たちは止まらない。恐れない。
ならば、と。
マリーは、木に命じた。
古木が軋み、枝が“腕”のようにしなり、獣の胴体を貫く。 枝先から芽吹いた花が、内部で一斉に開花する。
内側から、咲く。
腹腔を突き破り、 肋骨を押し広げ、 頭部を割って、花が咲く。
暴力的で、 冒涜的で、 ――それでも、どうしようもなく美しい。
一体、また一体と、森に還っていく。
「……終わり」
最後の一体を、蔓が絞め殺した瞬間。
マリーは、眉をひそめた。
(……私の魔法が)
視線を落とす。 手元で、花が咲いては散り、また咲いている。
違和感。
森の反応が、過剰だ。 命令していない部分まで、先回りして動く。 怒りに呼応するように、世界が“盛られて”いる。
(私の力が、増した?)
否。
そんなはずはない。 自分の魔法の器は、とうに限界を知っている。 伸びる余地など、残っていない。
それなのに。
(……借りている?)
森から。 世界から。 あるいは――
マリーの背筋を、冷たいものが走る。
これは、花の魔法ではない。 花の魔法の顔をした何かだ。
悦虐者。 化け物。 そして――
「……あの子たち」
胸が、わずかにざわめく。
結界の中。 二人の反応は、まだ戻らない。
森は守ってくれている。 だが同時に、何かを代償として差し出そうとしている。
それが、 誰のものなのか。
考える暇はなかった。
遠くで、空間が――嗤った。
「さあ、花の魔女」
声は、どこからともなく降ってくる。
「その“違和感”、いつまで気付かないふりができる?」
マリーは、静かに立ち上がった。 血も、臓物も、花弁も踏み越えて。
「……姿を見せなさい」
花が、再び咲く。 今度は――怒りではなく、覚悟の色で。
森は、まだ彼女の味方だった。 だが、それが永遠ではないことを。
花の魔女は、理解し始めていた。




