4
森での日々が、三日過ぎた。
時間の感覚はすでに曖昧だった。
だが、身体だけは正確にそれを覚えている。
朝と夜。
魔法。
痛み。
回復。
覚醒。
ただ、それを繰り返すだけの三日間。
ショウとニコは、明らかに“おかしかった”。
初日は、立ったまま魔法を維持するだけで限界だった。
二日目には、それが反射のように発動する。
三日目には、意識せずとも力が滲み出る。
蔓が迫れば、光が先に弾く。
刃が届けば、ニコの魔力が無意識に流れ込み、裂けた肉を塞ぐ。
成長速度は、狂気じみていた。
――だが。
「……ッ!!」
衝撃音。
次の瞬間、ショウの身体が宙を舞った。
背中から地面に叩きつけられ、視界が白く弾ける。肺から空気が抜け、息ができない。
「遅い」
マリーは、いつもの場所に立っていた。
花も、蔓も、炎も。
使っているのは、ほんの最小限。
それだけで、ショウは為す術もなく“殺されかけている”。
「クソ……!」
起き上がろうとして、膝が崩れる。
光は出ている。防御もしている。
それでも――届かない。
(……追いつけねぇ)
少し離れた場所で、ニコが息を整えていた。
彼は、ショウよりも明らかに安定している。
ニコの魔法は、使えば使うほど“周囲”を味方につける。
地形、植物、空気。
すべてが、彼を補助する。
対してショウは、ただ速く、ただ鋭い。
切り込むだけの力。
――それだけだ。
「焦ってるわね」
マリーの声が、淡々と落ちる。
「成長しているのは事実。でも、あなたは“比較”を始めた」
「……うるせぇ」
歯を食いしばる。
光が荒れ、揺らぐ。
「ニコと比べている。私と比べている」
一歩、距離が詰まる。
「そういう時、人は一番脆い」
次の瞬間、地面が裂けた。
蔓が、ショウの胸を貫く――直前。
光が、暴発した。
防御でも、攻撃でもない。
ただ、生き延びるためだけの光。
ショウの身体が弾かれ、木々の向こうへ転がる。
「……」
マリーは、追わなかった。
「今日は、ここまで」
踵を返す。
「生きているなら、夕食には戻りなさい」
それだけを残し、森の奥へ消えた。
————————
夜。
マリーの作った家は、相変わらず静かだった。
花の灯りが揺れ、温かな匂いが漂っている。
「ニコ、ちょっといいか?」
頭をかきながら、ばつが悪そうに声を掛ける。
ショウにしては、珍しい態度だった。
「何? 盗み食いならしないよ。夜だけはマリーに生命を脅かされたくない。俺はこの生活で、安心と安全の価値を学んだんだ」
一度盗み食いに付き合わされ、酷い目にあったニコは、冷ややかな視線を向ける。
「いや、そうじゃなくてだな……ちょっと夜の散歩、付き合えよ」
二人は、森へ入った。
夜の森は、昼とは別の顔をしている。
風は穏やかで、虫の音は遠い。
空には、信じられないほど澄んだ星。
初日は禍々しく感じていた森が、今では美しいとすら思える。
それだけの余裕が、生まれていた。
「……綺麗だな」
ニコが、ぽつりと言う。
「東京じゃ、こんなの見えなかった」
ショウは、少し黙ってから口を開いた。
「……なあ、ニコ」
「ん?」
「俺さ……思い出したんだ」
ニコが足を止める。
「少しだけだけど」
ショウは空を見上げる。
星を見ているようで、違う何かを見ていた。
「夜さ、踏切の前で……」
言葉を、探す。
「タバコふかしながら、スマホ見てた」
「……スマホ?」
「ああ。画面、割れてて。通知がやたらうるさくて」
風が、木々を揺らす。
「学校の名前も、駅の名前も……全部は思い出せねぇ。でもな」
胸に、手を当てる。
「毎日、踏切を横切る電車を見て、死にてえと思ってた」
乾いた笑み。
「理由は思い出せない。でも感情は覚えてる。死ぬのが怖くて、それでもどうしようもなく死にたかった」
言葉が、詰まる。
「ある日、一歩踏み出した。この勢いのまま、飛び込んでやろうって。そしたら、後ろから声を掛けられた」
ニコは、何も言わずに聞いている。
「そいつがさ……ムカつくこと言うんだ。何言われたかは覚えてねぇ。でも話して、ムカついて、死ぬのやめた」
苦笑。
「ここに来て、お前と一緒にマリーにボコられて、毎日死にかけて」
指先に、微かな光が灯る。
「今、生きててよかった。あの時、死ななくて本当によかったって思うんだ」
「それが……怖ぇ」
「……怖い?」
「もし、元の世界に戻ったら」
星空を仰ぐ。
「俺、またあの生活に戻れる気がしねぇ」
沈黙。
やがて、ニコが口を開く。
「俺も、少し思い出した」
「……え?」
「コンクリートの床。高い天井。誰かが俺の名前を呼んでいて、俺も、誰かの名前を叫んでいる」
拳を握る。
「でも……それだけだ」
二人は並んで、星を見る。
「なあ、ニコ」
「うん」
「俺、強くなりてぇ」
声は低く、真剣だった。
「マリーみたいに、全部分かって、全部できるくらい。悦虐者とか言う野郎から、自分も友達も、大事なもん全部取りこぼさず守れるように」
ニコは、少し困ったように笑う。
「欲張りだね。遠いよ?」
「分かってる」
ショウも笑う。
「でも……追いつけなくても、追いかけるのはやめたくねぇ」
星が、静かに瞬く。
遠くで、花が一輪、夜に咲いた。
「なんか、臭いこと言っちまったな」
照れくさそうに鼻をかき、手を差し出す。
「まあ、これからもよろしくな。相棒」
ニコは微笑み、同じように手を伸ばす。
「うん、相棒。よろしく――」
「そして、さようなら」
その言葉と同時に。
ニコの右手が、ショウの胸を貫いた。
音は、なかった。
—————————
(ありえない――)
マリーは、乱れかけた思考を一息で押さえ込む。
この森に根を張ると決めた時から、結界は常に張ってある。
触れれば分かる。壊されれば、なお分かる。
花の魔女は、この世界でも指折りの高位の魔女だ。
並の人間なら、この場所を認識すらできない。
力技で破壊するなど、論外。
仮に壊されたとしても、木々が、花が、大地が、即座に知らせる。
(内側に……?)
結界に触れず、傷つけず、術者に気取られず侵入する。
それは破壊よりも、数段上の魔法的技術。
そんな芸当ができる存在。
そして、する理由がある存在。
(悦虐者……!)
ショウとニコが森へ入ったことは、感知していた。
だが――二人の反応が、唐突に消えた。
同時に。
木が。
大地が。
花が。
今まで聞いたことのないほどの警笛を、森全体で鳴らし始めた。
森が——世界が——軋む。




