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「何度見ても、とんでもないな……万能かよ……」
「だね……記憶がないとはいえ……これは流石に異常だと思う……」
翌朝、ショウとニコは、鼻腔をくすぐる香りに叩き起こされた。
焦げ目のついた脂の匂いと、どこか甘い花の香。空腹を否応なく刺激するそれに、二人は同時に腹を鳴らす。
「おはよう。朝食を作るから、そこで待っていて」
マリーが指先で空間を示すと、地面がゆっくりと盛り上がった。
土の下から顔を出した根が絡み合い、やがてそれは木製の机と椅子の形を成す。まるで最初から“そうあるべきもの”だったかのように。
彼女の掌の上では、大輪の赤い花がくるくると舞っていた。
花芯からは小さな炎が噴き出し、その上に重なった分厚い花弁が、燃えることなくフライパンの役目を果たしている。
唖然と見つめる二人の前で、白い花弁がひらひらと舞い降り、慣れた所作で皿の上に料理を並べていった。
「……美味い!」
ショウは我慢できずにがっつく。
「これ、何の肉だ?」
一瞬、マリーの手が止まった。
それから、穏やかな笑みを浮かべる。
「ああ、それはね——」
言いかけて、彼女は首を傾げた。
「貴方達、記憶が無いのでしょう? 聞いても、後悔しない?」
「あっ……やっぱ大丈夫っす」
ショウは即座に引き下がる。
「賢明ね」
マリーは満足そうに頷いた。
「世の中には、知らない方が幸せなことがたくさんあるわ」
そう言って、何事もなかったかのように口元へ料理を運ぶ。
しばらくして、ニコが切り出した。
「ところで、俺達を育てるって話だけど」
「ええ。まずは魔法を使えるようになってもらうわ」
「魔法ッ!?」
ショウが勢いよく身を乗り出す。
「下品ね。一度口に入れたものは、ちゃんと飲み込んでから話しなさい」
淡々と叱ると、マリーは続けた。
「魔法、魔術、奇跡、超能力。呼び名はいくらでもあるけれど、この世界には確かに“超常”が存在する。まずは貴方達の適性を測るわ」
朝食を終えた三人は、森の開けた場所へ移動した。
「魔法を習得する方法はたくさんあるわ。その中でも——貴方達には一番早く、最も効率的な方法で覚えてもらう」
「……その方法って……」
嫌な予感を覚え、ニコが恐る恐る尋ねる。
「魔法をその身で受けて、死にかけるの」
「おいおい!」
ショウが叫ぶ。
「あの化け物に使ってた魔法を、俺達にぶっ放す気か!?」
「死にかけるだけよ。死ぬわけじゃないわ」
何でもないことのように、マリーは言った。
「それに私は花の魔女。生命を吹き込むのは得意なの。だから安心して、死にかけなさい」
彼女は微笑み、人差し指で地面をなぞる。
「生命を吹き込むって……それ、もう死ん——」
ニコが言い切る前に、地面が爆ぜた。
音よりも先に衝撃が来た。
内臓を直接揺さぶられるような圧力。土と石と根が混じった塊が弾丸のように跳ね、視界が一瞬で茶色に塗り潰される。
肺から空気が押し出され、喉がひくりと鳴った。
「――っ、げほ……ッ!」
宙を舞い、背中から叩きつけられる。
骨が折れた。そう確信できる鈍い痛み。白い花が咲くように、血が散った。
「立ちなさい」
淡々とした声が、痛覚の奥に落ちてくる。
マリーは少し離れた場所に立っていた。
髪も衣も乱れひとつない。ただ足元から、無数の蔓と根が伸び、獣のように蠢いている。
「今のが魔法よ。大地に命を流し込み、瞬間的に解放しただけ」
「だけって……ッ!」
ショウは起き上がろうとして崩れ落ちた。
肘から先が、あり得ない方向に曲がっている。
「ああ、折れてるわね」
指を鳴らすと、柔らかな蔓が腕に絡みつく。花が咲き、甘い香りが漂う。
次の瞬間、骨が音を立てて戻った。
「ぐ、ぁあああッ!!」
「治療よ。壊れたものを正しい形に“成長させただけ”。痛いのは当然でしょう?」
脂汗を浮かべるショウを一瞥し、マリーはニコへ視線を移した。
「次、あなた」
「……覚悟決めろ、ってことですよね」
色々と諦めたニコは乾いた笑みを浮かべ、一歩前に出る。足が震えていた。
「大丈夫。死にかけるだけ」
空気が変わった。
根が鞭のようにしなり、腹部を打ち据える。
視界が白く弾け、息が詰まる。続けざまに炎。遅れて皮膚を焼く痛み。
冷水が叩きつけられ、次の瞬間、凍える寒さ。
焼ける感覚と凍える感覚が同時に襲い、思考が崩れる。
「感じなさい」
マリーの声だけが、異様に鮮明だった。
「魔法は外から来るものじゃない。世界に満ちている命の流れに、自分を重ねるの」
何度も倒れた。
爆ぜる大地、貫く蔓、焼き尽くす炎、肺を満たす水。
そのたびに花が咲き、身体は無理やり“生きる形”に戻される。
「クソッ……!」
ショウが怒鳴る。
「わかった! 何か……何か来てるのは分かるんだ!」
「ええ、それでいいわ」
マリーは頷く。
「死の縁に立った時、人は否応なく生命を意識する。その瞬間に掴めるかどうか——それだけよ」
次の攻撃で、ニコは完全に地に伏した。
胸は動かず、指先は冷たい。
「……死んだ?」
ショウが掠れ声で聞く。
「いいえ。まだ」
その時、ニコの内側で、何かが大きく軋んだ。
歯車が無理やり噛み合うような、不快で、しかし確かな感触。
血と痛みと恐怖の底で、見えない何かが動き出す。
(……これ、か)
外から押し付けられていた力が、“こちら側”に流れ込んでくる。
大地の鼓動。根が伸びる感覚。花が開く瞬間の、生命の膨張。
指先が、わずかに動く。
地面に、小さな芽が生えた。
震えながらも、それは確かに、彼の意思に応えていた。
「……っ」
息を吸い込み、咳き込みながら起き上がる。
世界の輪郭が、ほんの少し違って見えた。
「今の……俺が……」
「ええ」
マリーは、初めて満足そうに微笑んだ。
「魔法の感覚よ。まだ赤子同然だけれど、確かに掴んだわ」
ショウは呆然と二人を見る。
「……じゃあ、次は俺だよな?」
「もちろん」
マリーの足元で、再び根が蠢く。
「今日は、死にかけ日和ね」
森に、再び爆音が響いた。
花は咲き、散り、そして——二人の中で、確実に“何か”が育ち始めていた。
「……おい、まさかもう終わじゃねえよな?」
身体は傷だらけでショウの声は掠れていたが、目だけは死んでいなかった。
痛みと恐怖の奥で、何かを掴みかけている――その色を、マリーは見逃さない。
「ええ、もちろん」
軽く指を鳴らす。
それだけで、足元の根が一斉に跳ね上がった。
「来いよ……!」
ショウが歯を食いしばった瞬間、
地面から放たれた蔓が、正面から彼を打ち抜いた。
「――がッ!」
衝撃。内臓が揺れ、視界が暗転する。
だが、倒れなかった。
(……?)
ショウの足元で、何かが弾けた。
眩い光。
それは炎でも雷でもない、純粋な光だった。
「……眩っ!?」
ニコが思わず目を覆う。
ショウの身体から、淡い白光が滲み出していた。
皮膚の内側から、血管の代わりに光が流れているかのように。
「ッ、なんだこれ……!」
彼が腕を振る。
それだけで、光が刃のように走り、蔓を寸断した。
「……光の収束」
マリーが、思わず小さく呟いた。
次の瞬間、地面が爆ぜる。
だが――衝撃は、ショウに届かなかった。
光が膜のように広がり、衝撃を逸らしたのだ。
「……は?」
本人が一番驚いている。
「見えてるでしょ、ショウ」
マリーは、くすりと笑った。
「あなた、命の流れを“照らして”いる。世界に満たものを、理解する前に可視化しているのよ」
光は攻撃にも、防御にもなる。
だがそれ以上に――道を示す力。
(……この段階で?)
マリーは内心で息を呑んだ。
――早すぎる。
早すぎる成長。
自分が、初めて魔法を“理解した”時のことを思い出す。
血に塗れ、花に縋り、命を奪うことでしか生きられなかった、あの頃。
(アーロンは……もっと遅かった)
彼は賢く、慎重で、優しかった。
光のようにまっすぐで――だからこそ、覚醒には時間がかかった。
それなのに。
「……ニコ」
マリーは、視線を移す。
「立てる?」
ニコは、ふらつきながらも立ち上がった。
その瞬間、ショウの身体から溢れていた光が――ニコに流れ込んだ。
「……え?」
ニコの呼吸が、整う。
骨の軋みが消え、痛みが引いていく。
身体が、軽い。
「……ショウ、今……」
「俺、なんもしてねぇぞ!?」
「無意識ね」
マリーは、はっきりと言った。
「ニコ、あなたの能力は“強化”。自分だけじゃない。他人の生命の流れを、底上げする力」
ニコが手を握る。
その指先から、淡い緑色の波紋が広がった。
足元の草が、一斉に背を伸ばす。
ショウの身体を包む光が、さらに強く、安定する。
「……繋いでる」
ニコは、呆然と呟いた。
「俺、草木と……人と……」
「ええ」
マリーは、静かに頷いた。
「あなたは“育てる側”の魔法よ。壊れたものを戻すだけじゃない。“見えない繋がり”を、押し上げる力」
胸の奥が、ざわつく。
(……異常だわ)
才能もある。
素質もある。
だかそれ以上に、速度が、狂っている。
過去の自分。
そして、愛した人――アーロン。
どちらと比べても、
この二人の成長曲線は、あまりにも急だ。
(……まるで)
誰かに、“急かされている”みたいじゃない
(選定者は一人ではないの?…)
それでもマリーは、表情を崩さない。
「まあ……」
彼女は肩をすくめ、いつもの余裕ある笑みを浮かべた。
「思ったよりは使えそうね。でも勘違いしないで。今のあなた達は、まだ雛よ」
ショウが苦笑する。
「その雛、さっきから死にかけてるんだけど……」
「元気じゃない」
さらりと返す。
「それに――」
一瞬だけ、マリーの視線が柔らぐ。
(アーロン……)
彼なら、きっとこう言った。
「才能があるからこそ、壊れやすい」と。
だからこそ、守り、育てる価値があるのだと。
「あなた達は、私が育てる」
マリーは、二人を見据えた。
「光と、強化。導く者と、繋ぐ者」
その声は優しく、だが逃げ場を与えない。
「どちらが選定者でも――ちゃんと、生き残りなさい」
森に、静かな風が吹いた。
花が揺れ、光が揺れ、力が巡る。
そしてマリーは、誰にも聞こえないほど小さく、呟いた。
「……あなたなら、とうしたのかしらね。アーロン」
答えは、返ってこない。
それでも彼女は、微笑んだままだった。




