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闇を裂いて走った光は、地表に刻まれながら絡み合い、意味を持つ形へと収束していく。
直線と曲線。
角度と比率。
ただの模様だったはずの線が、規則性を獲得した瞬間、淡い輝きを帯びた。
ショウを中心に、直径およそ五メートル。
円環の内側だけが、まるで別の世界のように照らし出される。
外縁は曖昧に溶け、光はそれ以上、決して先へは進まない。
――領域であり、境界。
暗黒に閉ざされた世界に対してそれは、あまりにも小さい。
だが、闇を払わんと拒絶する、、確かな“密度”を持った光だった。
ショウは、ゆっくりと息を吐き、構えを取る。
空手家のそれに近い、無駄のない姿勢。
重心を落とし、肩の力を抜き、両足で地を捉える。
左手はやや前へ、右は引き絞るように。
いつでも攻撃にも、防御にも移れる、均衡の取れた構え。
視線が、円の外――闇へと走る。
見えない。
照らされているのは、あくまでこの領域の内側だけ。
その外側は、相変わらず一切の光を拒む、均一な暗黒だった。
(……どこにいやがる)
ショウは即座に理解する。
この暗闇は、怪物が引き起こしたものだ。
ならば――怪物自身の視界に、影響がない可能性は高い。
こちらは、見えない。
向こうは、見えている。
じわり、と。背中を冷たい汗が伝った。
だが、視線は逸らさない。
目を細め、呼吸を抑え、わずかな違和感すら逃さぬよう、闇を睨み続ける。
その時。ほんの一瞬。
理屈にすらならない、微かな“圧”を感じた。
ショウは体を捻り、その方向へと踏み込む。
――だが。
そこには、何もない。
闇は闇のまま、沈黙している。
(……気の所為、か)
そう判断しかけ、気を緩めかけた、その瞬間。
ショウの目が、止まった。
暗闇の一点。
そこだけが、妙に――濃い。
黒の中に、黒がある。
まるで、既に塗り潰された黒いキャンバスの上から、さらにその一点だけに黒い絵の具を塗り重ねたような、不自然な違和感。
(……黒い、点……?)
思考が追いつくより早く、その“黒”が、動いた。
近づいてくる。
一直線に。
空間を削り、押し潰すしながら。
点だったそれは、瞬く間に“太い線”へと変わり――
理解した時には、既にそれは目の前に迫っていた。
光ではない。
だが、光線としか呼びようのない“黒”。
闇を圧縮し、質量を与え、奔流として叩きつけてくる――
黒の奔流。
「……っ!」
ショウは、即座に防御に移った。
構えていた左腕を、自身の身体を庇うように引き上げる。
次の瞬間。
盾ではない。だが、盾よりも厚い。
左腕の前に、分厚い光の壁が展開される。
幾層にも折り重なった光の平面。
緻密な幾何学が、瞬時に組み上がり、防壁として“成立”する。
――ギャリィィィィッ!!
耳を刺すような、不快な衝突音。
黒い奔流が、光の壁に激突し、削り取るように侵食していく。
足元の紋様が、僅かに点滅し、ブレた。
領域そのものが、圧力を受けている。
ショウは、歯を食いしばる。
(……重い……!)
だが、崩さない。一歩も、退かない。
左腕に力を集中させ――
「……らぁッ!」
短く息を吐き、左腕を、振り払った。
光の壁が、反発する。
黒い奔流を、弾き飛ばすように押し返し、闇の中へと叩き返した。
闇は、再び沈黙する。
だが、ショウは構えを解かない。
視線は鋭く、呼吸は浅く、領域の中心で、油断なく立ち続ける。
沈黙は、長くは続かなかった。
闇の一角が、再び“濃く”なる。
今度は――上。次に、左右。そして、背後。
黒が、走る。
上下左右、別々の地点から放たれた“黒の奔流”が、時間差で領域へと殺到する。
「……っ」
考える余裕はなく、ショウは、反射で動く。
左――壁。右――角度を変えて、壁。
背後――紋様を踏み鳴らし、下からせり上げる光の平面。
――ギィィィッ、ギャリッ!!
黒と光が衝突するたび、嫌な音が耳を劈く。
その一瞬。闇の向こうに――“輪郭”が浮かび上がった。
巨大な胴体に、骨の翼。
不自然に折れ曲がる関節、そして、三つの首。
だが、それはほんの刹那。
奔流が弾かれ、闇が揺らぐと同時に、怪物の姿は再び暗闇へと溶け込む。
……また来る。
次は、斜め後方。次は、低空。次は、ほぼ正面。
放たれるたび、弾き返すたびに
怪物の居場所と姿を、ほんの一瞬だけ捉えられる。
繰り返すうちに、ショウの眉が、わずかに動いた。
(……近い)
感知してから、攻撃が届くまでの間隔が――短い。
最初は、思考が一拍入る余裕があった。
だが今は、反応が遅れれば即座に直撃する距離。
つまり――
(……詰めてきてる)
黒の奔流を弾いた、その向こうに。
今度は、はっきりと、怪物の姿が見えた。
闇の中に立つ、異様な巨体。
三つの首が、それぞれ違う方向を向きながら――
領域の外縁、ほぼ境界線の手前に立っている。
中央の首が、ゆっくりと裂けるように――大口を開けた。
喉の奥で、黒が渦を巻く。
(真ん前!?)
次の瞬間。
闇と光の狭間、領域の目の前で、黒の奔流が叩き込まれた。
「……ッ!!」
ショウは即座に壁を展開する。
しかし、距離が近すぎる。
――ギャァァァッ!!
光の壁が、悲鳴を上げるように軋む。
足元の紋様が激しく点滅し、領域全体が揺らいだ。
それでも、押し返そうと力を込める。
だが――
別々の方向を向いていた左右の首が、ギョロりと首を回し、ショウヘと向く。それは確かに、口角を上げ、悍ましく、“笑った”
ぞくり、と背筋が冷える。
直感が叫び、ショウは即座に判断する。
左腕を僅かに傾け、壁に角度をつける。
角度を変えた壁は、黒の奔流を正面から受け止められることなく、面に沿って滑らせ――上空へと逸らした。
刹那の安堵。
だが、その刹那は、怪物を前にしては致命的だった。
巨大な左腕。
岩塊のような爪を備えたそれが、壁ごと領域を切り裂いた。
円環が、ひび割れ、境界が、崩れ――
領域は形を保てず、光の粒子となって空へと散った。
「……っ!」
続けざまに、怪物の右腕が横薙ぎに振るわれる。
ショウは咄嗟に後方へ跳んだ。
だが――
鈍い感触。腹部に、熱が走った。
(……浅い……!)
それでも、確かに裂かれた。血が、闇の中へと散る。
体勢を立て直す間もなく、左右の首が、大きく息を吸った。
喉奥で、闇が球体となって凝縮されていく。
次の瞬間。
黒いエネルギーの塊が、二つ、吐き出された。
左右、別々の軌道。
弧を描きながら、空中で――逃げ場を塞ぐように、ショウへと迫る。
(……間に合うか?)
足場はない。回避は、不可能。
ショウは、手を伸ばす、砕け散り、まだ空中に漂う領域の残滓へ。
光の粒子を指先が手繰り寄せ、形が収束する。
細く、長く、鋭い。いうなれば、光の槍。
ショウはそれを、斜め上――暗黒の虚空へと投げ放った。
光の槍は、何もないはずの空間に、ズド、と鈍い音を立てて突き刺さる。
その一点を中心に、光の線が走り、宙に、新たな領域が描き出され、暗闇に輝く紋様が浮かぶ。
ほんの一瞬、遅れて。
左右の黒い塊が、ショウのいた場所へ――同時に着弾する。
激突。破裂。轟音。
だが、そこに――ショウはいない。
簡易的な短距離転移。
彼は、宙に展開された領域の内側にいた。
浮いているのではなく、立っている。
ショウは強く足を踏み鳴らし、円環内の光を、自らの右腕へと収束させる。
再び形成される、光の槍。それを構え、
足元にいる巨大な怪物を、鋭く睨み据えた。
怪物も、この展開は想定外だったのだろう。
攻撃してから闇に溶けるまでに、今までにない――僅かな“間”が生まれた。
ショウは、その隙を逃さない。
「これでも――」
限界まで右肩を絞り、投擲のための助走をつける。
「喰らいやがれッ!!」
放たれた槍は、領域の外縁へと達する。光の膜が槍を包み込むが、それは槍の勢いを殺さず、むしろ新たな力を補強する。
やがて、膜は領域の内側から盛り上がり、突き出し、
通り抜ける頃には――
バリバリ、と雷鳴のような音を立て、槍はさらに加速した。
凄まじい速度。
怪物は、驚異的な反射でそれを迎え撃つ。
自らの中心へと向かってくる光の槍を、
両腕と、さらに翼をも盾にして、受け止める。
その威力は、怪物の想定を超えていた。
刺突こそ防いだものの、勢いを殺しきれない。
怪物は、光の槍に押し流されるように、後方へと吹き飛ばされる。
それでもなお、光の槍は消えなかった。
両腕と翼を同時に大きく開き、弾き飛ばすことで、怪物は、辛うじてそれを相殺する。
両腕と翼には、はっきりとした焦げ跡。 光に削られた装甲のような皮膚から、黒い靄が立ち上っている。
致命傷には至らない。しかし巨大な身体には、確かに傷がつけられていた。
暗闇の奥で、三つの首がゆっくりと蠢めく。
そして、ギョロり、と
六つの視線が一点に収束する。
その先にいる人間を――獲物ではない。
明確な「敵」として、怪物は認識した。




