ぷろろーぐ
善であれ、正しくあれ。
この世界、この人間の社会では常に多くの人がそう唱える。
多分に漏れず観月という男もまた、善を信じていたし、正しくあろうとしていた。
そう【していた】。
いつからだろう疑問を持ち始めたのは?
幼少期、観月は日曜日の朝に放送される特撮番組が好きだった。怪人が悪事を働き、ヒーローが善を成す。分かりやすい勧善懲悪。周りの大人達の一般的で偏りのない教育もあり、観月は世界とは概ねきっとそういうものなのであろうと信じていた。
その綺麗な幻想にヒビが入ったのが小学校に入学して幾日か経った頃。
放課後の夕暮れ時、いつもの様に帰路につこうと下駄箱で上履きから外靴に履き替えていた観月は、ふと足元から顔を上げると五人の少年が腕組みしながら自分を見下ろし、取り囲んでいる事に気がついた。
「ショウ君ちょっといい?」
その中で最も体格が良く、運動も勉強も得意な彼が観月に言う。
彼らとは何度も遊んだ事があるし、今日の休み時間も一緒にサッカーをしていた。また遊びの誘いだろうと考えた観月は、何も疑う事なく二つ返事で彼らに付いていった。
「うん!いいよ!」
校舎の裏、放課後という事もあり、観月達六人以外は誰もいない。
そんな人気のない場所で五人の少年は円を作り、その輪の中に獲物を入れ、殴り、蹴り、嘲り、自分達の欲望を満たす。
始まりは唐突で理不尽な一言だった。
「ショウ君って最近調子乗ってるよね」
そこから腹を殴られた観月が蹲ると、少年達は笑みを浮かべ、獲物を逃がすまいと取り囲む。そして観月へと目掛けて、暴力と暴言の嵐が吹き始めた。
「痛いっ!やめてよっ!やめろって!」
観月は悲しかった、友達からの突然の裏切り。
観月は痛かった、心も身体もこれまでにない程。
そして何より、観月は悔しかった。
何故自分がこんな目に遭っているのか、何故自分がこんな思いをしなければならないのか?
間違っているのはこいつらでこいつらは悪で、正しいのは自分で自分は善だ。
ならば自分が負ける道理は、惨めな思いをする理由はどこにもない。
そう考えると観月は内から力が湧き出るのを感じた。自らが正義だという自信、正義は勝つのだという信頼、プラシーボだとしても、それらは観月に勇気と力を与えた。
まず、蹲る観月を蹴飛ばしていた足を一本、腕で絡め取り、抱え込み体重をかける事で一人を転ばせた。
反撃されると思っていなかった彼は無防備に地面へと頭を打ちつけ、これまでに経験のしたことの無い痛みにワンワンと声を上げて泣き出す。
一人が転げ泣き出した事で、観月と一人を除き、集団に大きな戸惑いと混乱が生まれた。
その隙を逃さず、観月は一気に力強く立ち上がり、その勢いのまま両手で背後から一人の髪の毛を掴む。
「いでぇ!やめろ!」
掴まれた彼は頭を振り乱し必死に抵抗するも、背後を取られている事もあり、観月をなかなか振りほどく事ができない。
髪を掴み振り回しながら、そのまま彼を投擲の道具として、こちらに迫ろうとしているもう一人の顔面目掛けて投げつけた。
ごちん、という大きな音がして二人が地面に倒れ込み、泣き出す。
あとはお前らだ、と残る二人に睨みを利かす。
あっという間に三人がやられてしまった事と、これまでに暴力を振るわれる側に立ったことが無い経験から、一人は恐怖のあまり校舎へと逃げ出した。
それを侮蔑を込めた横目で見送ると、残った一人へと観月は目を向ける。
最初に声をかけてきた体格の良い少年、運動も勉強も得意な少年、そして観月が最も親しいと思っていた少年。
「なんでだ?なんでこんなことをする?俺がお前に何をした?」
観月は怒りを込めて、そして僅かな恐れを込めて問う。
「何も?なんとなくムカついただけ、面白そうだなって思っただけ」
少年は悪びれることなく、考えることもなく、さも当然かの様に答える。
「ぶっ飛ばしてやる!」
観月はこれまで喧嘩をした事もなければ、格闘技を習った事もない。
暴力を振るわれるのも振るうの初めて、実際に目にする事でさえ初めてであったが、同い年の三人を制圧し、一人を退けた事から、気が大きくなっていた。
やはり自らは正しいのだ、善なのだと一種の全能感に満たされ、突き動かされ、拳を少年へと突きだした。
そして次の瞬間、観月の身体は宙に浮かび、半回転して背中から地面に落ちた。
「がはっ!あ、が!」
凄まじい衝撃が身体を襲い、肺を圧迫し、上手く呼吸をする事ができなくなった観月は、ひっくり返った虫の様に手足をジタバタと動かし藻掻く。
「背おい投げ、一回やってみたかったんだ」
少年は楽しそうに笑みを浮かべると、地面で藻掻き続ける観月の上に跨り、抵抗させないように、観月の両腕を自らの両膝で押さえつける。
「オラ」
ポコンと間抜けな音をたてて、少年が観月の頭を軽く殴る。
明らかに手加減されたそれは、投げられた衝撃に今だ悶え苦しむ観月にそれ程の痛みを与えない。
それでも痛かった。身体ではなく心がどうしようもない程に痛かった。
正しいのは自分の筈なのに。
正義は自分にある筈なのに。
圧倒的な力の前に抵抗する事もできず、虫けらの様に、オモチャの様にいたぶられる。
心が、信じていた世界が、ピキリと音をたててひび割れていく。
ポコン、ピキリ
殴られる度に涙と鼻水が溢れ出す。無力な自分に、惨めな自分に、理不尽な世界に。
ポコン、ピキリ
ポコン、ピキリ
ポコン、ピキリ…
「先生こっち!」
しばらく続いたそれは甲高い声によって中断された。
ーーーーーー
「だから!あいつらが先に手を出してきたんだって!!」
「五人全員が嘘をついているというの?」
保健室で子供の叫びが響き、教師がそれを宥め、呆れ混じりに否定する。
放課後、六人は鬼ごっこをして仲良く遊んでいた。
しかし、観月が遊びの結果に納得できず、癇癪を起こし暴れ始めると、三人に暴力を振るった。
それを見かねた一人が教師を呼びに走り、
もう一人が友達を守る為、止むなく力で抑えつけた。
というのが教師の弁だった。
当然観月は何度も否定したが、聞き入れられる事はなかった。
ーーーー
「本当何だよお母さん!あいつらが先に手を出してきたんだ!あいつらは嘘つきだ!」
「やめて、お母さんそんな嘘聞きたくありません。拓くんとはあんなに仲良しだったでしょう?どうしてそんな事をするの?そんな事を言うの?」
観月の話は両親にさえ信じられる事はなかった。
拓くん、というのは観月に最初に声をかけた少年の名であり、観月を投げ飛ばした少年の名だ。文武両道、教師や親、大人の前では礼儀正しく模範的な少年であったが故、大人達は皆、観月ではなく彼の話を信じた。
観月の親は、息子の暴力的な一面を、特撮番組の戦隊ヒーローの影響であると考えた。
そしてそれからは特撮番組の視聴を禁じ、買い与えてきた玩具やグッズの一切を捨てた。
壁にあったヒーローのポスター、ベッドにあったヒーローの目覚まし時計、机にあったヒーローのフィギュア、それらが無くなった自分の部屋で、観月は一人蹲り泣いていた。
一日にして負け犬になり
一日にして嘘つきとなり
一日にしてあれほど嫌っていた悪人となった。
友達であった彼らは嘲りの目を向け
教師は嘘つきだと呆れ果て
親は教育を間違えたと失望し
観月の味方は誰一人いない。
どうすればよかったのか?
何が正しかったのか?
正義とは何なのか?
単純明快であり、それ故光り輝いていた観月の世界は、こうして色を失いひび割れていった。
『R国はU国へ攻撃を続けており、それを重く受け止めたA国の大統領は…』
『x党の宗教団体による組織票が問題視されており…』
『芸能人のxさんによる性加害の件ですが、被害者との話し合いにより示談が…』
高校生になった観月はハンバーガーを食べながらスマホのニュースサイトを慣れた手つきでスクロールする。
どれこれも見飽きた見慣れたニュースばかりで、コメント欄には道義や倫理や正義を謳うモノばかり
(くだらない)
この世は、この人間社会は力で動き、嘘でできている、と観月は思う。
力とは権力であり、財力であり、能力であり、嘘とは建前であり、見栄であり、信仰である。
善も悪も、人が作り、人が定め、都度その時々によって変わる曖昧なモノでしかない。
ならば何故、人はそれをあたかも大層なモノであるかの様に、唱え論じ謳い縋るのか。
それはどうしようもなく人間が、生物として、個として、あまりにも弱いからであると、観月は思う。
(くだらない)
スマホの画面を消した観月は、クシャっとハンバーガーの包み紙を握りつぶした。




