【精霊国物語番外編】星語り
本編より十数年前。マリーエルが六~七歳頃のお話。
アントニオは二十代前半。アメリアは十三、四歳。カルヴァスは十歳頃。
本編より、アントニオの知識が全力です。
月が輝く夜空を見上げ、マリーエルは首を傾げた。
「今日は、お星さまいないねぇ」
窓枠に立てた両手に顎を乗せ、面白くないとばかりに唇を尖らせる。
「あら、本当だ」
隣で窓の外を見上げたアメリアが言った。「灯りを増やそうか」というアメリアに、マリーエルは夜空を見上げながら首を振った。
「お月さまは、いつもあるのにねぇ」
「月は夜を照らすモノだから、ですよ。以前お教えしたでしょう?」
その声にマリーエルは勢いよく振り返り、目を見開いた。
「アントニオ!」
「まだ寝ていらっしゃらないだろうと思って、様子を見に来ました」
そう言いながらマリーエルの許まで歩み寄ると、ポンポンと優しく肩を叩く。さぁ、と寝台へと連れて行こうとするのに、マリーエルは首を振って抵抗した。
「まだねたくないもん。ねむくないもん」
「そう言って、明日の朝起きられなくては困りますよ。明日は貴女の好きな舞の稽古もあるでしょう?」
「そうだけど」
マリーエルは夜空を見上げて溜息を吐いた。その様子を見ていたアントニオは、眉根を寄せ、僅かに首を傾げると椅子を引き寄せた。
「では、あと少しですよ。さぁ、お座りなさい」
アントニオの言うままに椅子に腰を下ろしたマリーエルは、ふと考え、隣に腰掛けたアントニオの袖を引いた。
「ねぇねぇ、お星さまのおはなしして」
「星の?」
「うん、なんか前に話してた……たましいがめぐるってお話」
マリーエルの言葉にアントニオは眉間の皺を深くした。話した筈のことが、全く身についていない。緩く頭を振り、「いいですよ」と答えると、マリーエルは瞳を輝かせた。
アントニオは月だけが浮かぶ夜空を見上げ、話し始めた。
「月とは夜を照らすモノ。陽とは昼を照らすモノ。そして星とは、巡るのを止めた魂が空に昇ったモノ。幾度も命を得て世界樹へと巡り還ることを繰り返した魂が最期の地に選ぶ場所が空です。昼には陽が明るく照らしその姿を見ることは叶いませんが、いつでも彼等は空に在る。勿論、彼等の気分次第ですが。今夜のように姿が見えない時は、星々は遥か遠くの地で瞬いているか、地表近くで微睡んでいるか、です。彼等の輝きは地上の我々を見守り、導き、誘う為に在る。そしていつしか永い時を経てその輝きは燃え尽き、消える──」
その時、アントニオの横に立ったアメリアが、肩をトントンと叩き、マリーエルを目線で示した。
「よくわかんない」
顔を顰めたマリーエルは、唇を尖らせた。アントニオは溜息を吐き、眉間を指で軽く叩いた。
「判りました。そうですね──例えば、私がこの命を終え世界樹へと還った後、私は世界樹で魂を濯ぎ……えぇと、傷つき汚れた魂を綺麗にし、またこの世界に生まれて来るわけです。それを何回も繰り返して、もういいと思ったら空に昇って、今度は地上を照らすようになる。そしてその役目も終えたら私の魂は燃え尽き消えることとなる。……これで判りますか?」
そう訊いたアントニオは、黙りこくったマリーエルに首を傾げた。
「姫様?」
「……アントニオ、死んじゃうの」
そう絞り出したマリーエルは、不安そうにアントニオの顔を見上げている。アントニオは内心で、マリーエルの兄であるマルケスのことを思い出し、気遣うようにマリーエルの背を撫でた。
「いいえ。私は死んだりしません。まだまだ姫様にお教えしたいことが沢山ありますからね」
「じゃあ約束して」
「ええ、いいですよ。誓って、姫様を残し、死んだり致しません」
アントニオはマリーエルの手を取ると、その甲に額を合わせた。
「約束です」
えへへ、と笑ったマリーエルは、ふいに窓の外に目をやり、あっと声を上げた。
「お星さま出てきたよ!」
マリーエルが指さす先を見やったアントニオは、小さく頷いた。
「あぁ、丁度良い所に。あれはこの世界に書というものを生み出したロマリオ様の星と言われているものです。今夜も知性溢れる光を湛えていらっしゃる」
感激したように言うアントニオの衣の裾を引っ張り、マリーエルは首を傾げた。
「何でロマリオさまだってわかるの?」
以前にお話ししましたが、という言葉を飲み込んで、アントニオは答えた。
「それは私が知の精霊の呼び掛けを受けた者だから、というものは別として、惹かれ合う星の力というものがあるのです。どのような由縁であるかは人それぞれですが、この世界に在った時にどのようなモノで在ったのか、それを我々は感じ取ることが出来る。星語り、とも言いますね。しかし、それを実際に確認する術はないのですが。そこに魅力を感じる方も遠い地には居るとか。私もロマリオ様の星を夜空に見つめる時、気が引きしまる思いがします」
再びアメリアに肩を叩かれ、アントニオはハッとマリーエルを振り返った。既に理解することを諦め、関心を失いつつあるマリーエルの姿に、アントニオは頭を抱えた。姫様、と呼び掛ける。
「姫様も感じることが出来る筈ですよ。精霊姫の感覚は精霊に近い、と考えられていますから。精霊は世界樹の存在を命世界の者より感じ取りやすい。これは精霊の力が気の流れに沿って……いえ、ともかく、姫様であれば星々の力を感じ、もしか、その語りを、記憶を読むことも可能かもしれません」
アントニオの言葉に、じぃっと夜空を見上げたマリーエルは、次の瞬間に笑い声を上げた。
花の幼精が煌めきと共に姿を現すと、マリーエルの周りを飛び回り始める。幼精達はきゃあきゃあ楽しそうな声を上げ、マリーエルの髪や鼻、指をくすぐる。花弁が部屋に舞った。
眉間を押さえたアントニオは、緩く頭を振った。折角姫様が興味を取り戻したというのに……。
しかし、マリーエルが集中したことによって気の力が高まり、幼精を呼び寄せたのは確かだった。幼精と歌い始めたマリーエルに、アントニオは仕方なく椅子に背を預けた。アメリアが淹れた茶を受け取り、口に運ぶ。精霊姫が精霊と歌を重ねるのに、それを止めることは出来ない。
「楽しそう」
隣に腰掛け微笑むアメリアに、アントニオは僅かに探るような視線を向けた。ほんの僅かな疑念に気が付いたアメリアが、小さく笑う。
「私には見えないけれど、マリーの側で過ごすうち、何が起きているのかは少しずつ分かるようになったの」
「そうですか」
「精霊の姿が見えるってどんな感じなのかしら」
そう言ったアメリアは、ふと口を噤み、取り繕うように茶器を傾けた。
「貴女には全く見えないのでしたよね」
「えぇ、でもこのところ──」
その時、マリーエルが窓の外に視線を向け、体を乗り出した。アントニオは慌てて立ち上がると、その体が窓の外に転げてしまわないように掴み支えた。
マリーエルは気にせず、ぶんぶんと手を振り、声を上げる。花の幼精がそっと窓の外を見やり、煌めきと共に姿を消した。
「カルヴァスー!」
中庭の先を歩いていた火色の頭が振り返り、ニッと笑みを作る。
「おー、お前まだ寝てなかったのか?」
「カルヴァスこそ。たんれんしてたの?」
言いかけたマリーエルはハッと息を飲んだ。カルヴァスの頭に巻かれた薬布に目を釘付ける。
「けが、大丈夫?」
「あー、霊鹿から落ちたけど平気」
窓近くまで歩いて来たカルヴァスは、アントニオの鋭い視線に一瞬怯み、睨み返した。
「この間の新兵ですか。姫様に対する無礼な物言いをおやめなさいと言ったでしょう」
カルヴァスはふん、と鼻を鳴らし、マリーエルに笑いかける。
「オレ達、友達だもんな」
「ねー。お友達だもんねぇ」
ニコニコと笑うマリーエルにアントニオは眉間を押さえた。再び口を開こうとすると、マリーエルが、それに、と継いだ。
「カルヴァスは火の精霊のよびかけを受けたんだもんね。一緒にいると火の精霊と同じ力を感じるよ。すごくあつくて、心地いい」
マリーエルが歌うように言うのに、カルヴァスは目を瞬いてから笑った。勝ち誇ったような瞳でアントニオを見やる。
アントニオは溜息を吐いた。
「私としては、その態度を改めて頂きたいものですが。それに──」
そこで一度言葉を止めたアントニオは、じろりとカルヴァスの全身を見回した。
「貴方もさっさと眠った方が良いのでは。体を鍛えるばかりで睡眠を疎かにしては、成長を見込めませんよ。まだまだ未熟なその体では、兵としての役目を果たすことも出来ません。霊鹿から落ちたのならそれこそ安静にして今夜は眠るべきです」
顔を顰めたカルヴァスが、口を曲げる。
「別にオレはお前の文句を聞きに来た訳じゃないんだけど。それに同じようなことをさっきまで教官からきつく言われてたところだし。というか──」
ちらと視線を動かしたカルヴァスは、マリーエルを指さした。
「マリー、眠そうだけど。というか、もう半分寝てるけど」
アントニオは、掴み支えていたマリーエルの顔を覗き込み、その体を抱え上げた。
「姫様、眠るなら寝台で。全く、先程まで眠くないとぐずっていたと思ったら気が付けば寝ているなんて、貴女は本当に──」
「あー……カリュヴァシュおやすみ……」
「カルヴァスな。おやすみ、マリー」
手を振ってマリーエルを見送ったカルヴァスは、期待に瞳を輝かせながら窓を覗き込んだ。包みを手にしたアメリアと目が合う。アメリアは包みを差し出して微笑んだ。
「ほら、これ。今日のお昼にこれはカルヴァスにあげるのってマリーが」
「お、やった。中身は……焼き菓子か?」
包みの上から匂いを嗅いだカルヴァスは、いそいそと包みを開き、一瞬奇妙な顔をした。包みの中に目を落としたまま、思わずといった風に笑みを浮かべる。
「マリーが作ったの?」
「えぇ、そうよ。一番よく出来たのをカルヴァスにあげるのって。この間のお茶会のことを気にしているみたいなの」
「……別に、あれもなかなか味があったけどな」
そう言いながら、カルヴァスは焼き菓子を口に放り込み、むぐむぐと味わうと、目を瞬いた。
「旨い」
そう言った後、気まずげに視線を泳がせ、「いや、この間のもな」と繰り返した。
それを微笑みながら見ていたアメリアは、奥の間から聞こえたアントニオの呼び声に顔を上げた。カルヴァスを見下ろし、小さく手を振る。
「じゃあ、もう行くわね。貴方も早く寝ること。いいわね?」
「おー、判ってるよ。明日は昼くらいに来られると思う」
「そう。じゃあ、また明日。おやすみなさい」
「じゃあなー」
カルヴァスは包みを懐に仕舞うと、中庭を兵舎に向けて歩き始めた。
ふと見上げた夜空には、先程までなかった星が煌めいていた。火色に輝くその星は、温かく強い光で照らしている。
その光が胸に灯った心地がして、カルヴァスは一人笑みを浮かべた。
「よっし、明日も頑張るか」
星々は、今夜も地上を照らし、命在るモノ達を見守っている。