episode3 The sad law of the village (村の悲しき掟)
乳児の頃の記憶を覚えているだろうか。多くの場合は望まれた出産であり、周囲の祝福の中、1人の人間として命を歩み始める。兄や姉が乳児の真似をして赤ちゃん返りすると言われるほど、家族の中で注目を集め、家族生活が乳児中心となる。そんな、人生の中でこれほど祝福されている時の記憶を、我々は持ち続けることはできないのであろうか。
こうしてレオンと名付けられた僕は、新たな人生を歩むことになった。
生まれてすぐの僕は黄疸が出ていた。なので僕は日中、ずっと太陽の当たる場所にいた。太陽光で黄疸がよくなるのだ。僕を日中ずっと世話してくれたのは、5つ上の姉のマレーネだった。5歳にしては手慣れた手つきで僕のオムツを変えてくれたし、ピンボケしてまるで役に立たない視覚の代わりに大活躍の聴覚からは、姉が床から出れない母の代わりに様々な家事をこなしている様子が伺えた。
ここで、レオンこと、僕の家族に触れておこう。僕のここでの家族は、父母と姉と僕の4人家族だ。僕の家は貧しい貧農で、父のジャンは、まだ暗いうちから起き出し、夜遅くまで懸命に働く素敵な父親だ。母のエレンは、豪快な性格で、父を見事に尻に敷いていた。産後の肥立ちが悪いらしく、僕としては申し訳なく思っている。姉のマレーネは愛麗しい家族想いの優しいお姉さんだ。僕のオムツも嫌な顔をせず「たくさん出したねぇ。」なんて、まだ喋れない僕に話しかけながら、優しい手つきで変えてくれる最高の姉だ。僕はそんな姉が大好きだ。
僕が生まれて3ヶ月、正直に言うと赤ちゃん生活は社畜だった前世より、僕にとっては苦手だった。馬車馬のように働き続ける社畜の生活が長かったせいなのか、赤ちゃんの生活は自堕落に感じた。オムツ生活も罪悪感が拭えず慣れないものだった。
でも、初めて目の前の世界がくっきり見え、姉の綺麗で優しい笑顔が眼前いっぱいに広がった時、転生してよかったと初めて僕は感じた。抱かれている時の姉の体から伝わる温かさや、ほのかに匂う姉の汗の匂いも僕は好きだったが、姉の弟を慈しむ優しい笑顔はまるで聖母のようだった。こう言うことを言うのは気がひけるが、僕は正直に言うと母より姉の方が好きだった。
僕は一歳になった。よちよち歩けるようになり、歯も生えてきて食事もみんなと同じものが少しずつ食べられるようになった。言葉も「パパ、ママ」など少し喋れるようになった。実は転生してから今まで、内面では言語化して表現しているのに、それを喋ることができなくて、もどかしい思いをしていた。喋れるって最高だ。僕の一番好きな言葉は「マーネ」。もちろん姉の名前だ。
僕が一歳になって少し経った頃、僕はこの世界で初めて心の底から怒りを感じた。前世では感じたことのないほどの苦しみを感じた。姉のマレーネが人身御供にされたのだ。
数日前から父や母の様子がおかしくて、何だか不安だった。父も母も泣きながら姉や僕を無茶苦茶に強く抱きしめたり、絶対に飲まないお酒を浴びるように飲んだり、今まで食べたことのない豪華な食事が出たり‥。何かあるとは思っていたが、まさか姉と今生の別が来るなんて。せめてそのことが分かっていたらどんなによかったか。
あの日、いつものように姉の隣で眠りに落ちた僕が目を覚ますと、もうそこに姉の姿はなく、父と母がまるで魂が抜かれたかのように、ただただうなだれて座り込んでいた。僕は最初は意味が分からず、母親に「マーネは?」としつこく聞いた。母は僕を無視をしていたが、突然気が触れたかのように号泣しはじめた。父が「レオン、マレーネは村のみんなのために、神様のところに行ったんだよ。マレーネはもう戻っ‥」と父が途中で泣きながら話してくれた。僕は姉ともう会えないと理解すると同時に、やり場のない怒り、悲しみが一気に吹き出し、絶叫して泣いた。声が枯れても泣いた。泣き疲れて寝てしまい、起きて姉の寝ていた場所に姉のいないことを再確認してまた絶叫して泣いた。
後で知ったことだが、この村には年に一度、神様のお世話をするためと称して、「シシン」と呼ばれる人身御供を行う習慣があった。新年を迎えて最初の新月の日、村中の3歳から7歳までの子供から1人を選び、村外れにある遺跡に連れて行き、置き去りにする。選ばれた子供は生きて帰ってくることはない。文字通り生贄だ。
さらにこれも後で知ったことだが、実は姉のマレーネと僕の間にはジュエという姉がいて、何とその姉も3歳の時に「シシン」の犠牲になっていた。僕が乳児の頃、僕のお世話をしてくれる姉のマレーネが妙に手慣れていたことに納得ができた。マレーネは初めてできた妹のお世話を、戸惑いながら、覚えながら、たくさんしたのだろう。そして大切な妹が人身御供にされて悲しかったに違いない。なので僕には最上の愛を注いでくれたのだ。我が家は三人の子供のうち2人までもが村の生贄にされていたのだ。両親の心境を思うと、マレーネがいなくなったあの日、両親に寄り添って悲しみを分かち合いたかったと、今は後悔している。
その日を境に、僕はあまり笑わない子になったらしい。
科学の発達していなかった時代、人は自然の事象に畏れおののき、非科学的な対処法を用いていた。人身御供もその一つだ。人身御供に選ばれるのは誉であるという考えで生贄を行なっていたケースも多いが、人身御供に選ばれた人の家族は、本当に誉と感じていたのだろうか。