第 9話 1- 3 魔人 -魔人との遭遇-
俗界から迷い込んでくる人間は、決まったスポットに到達するらしい。ちょうどナナフが管理している薬草畑に近いようで、父さんが人の気配を察知すると見に行くということだ。
父さんはこれまで数人の俗界人を拾ったが、閉鎖的な世界に馴染めずこの村を出て行った者、逃げ出した者、「俺は転生したんだー!」と叫んでどこかに行ってしまう者など様々だという。
「ある程度したら村を出た方がいい。閉鎖的な世界に染まる必要はない」
シズは数少ない自警団として永住を熱望されていること。レイナはまだ生活力がないので面倒をみていること。そんな雑談をしていたら、父さんはふと気になることを漏らした。
「お前の拾うちょっと前に来たやつがひどかったよ。ありゃあ魔人にやられたな」
「魔人?」
「そうだ。霊界に魔物がいることは周知されている。しかし魔界の住人がいることはあまり知られていないんだ。魔界の住人は魔人と呼ばれ、俗界人に接触して欲望を吸い取るんだ」
無意識に身震いした。そんなのに出会ったら……でも……”帰らせてくれる”って言われたら……僕はどんな選択をするのだろう。
『ねぇカナタ、それって椚さんってことは考えられませんか?』
零の言葉にハッとした。霊界に迷い込みサガに拾ってもらってここにいる。まるでそのことが他人事のように感じていた。僕は俗界人である前に日本人である。その事実が薄らいでいることに言いようのない恐怖を覚えた。
「何をそんなに怯えている。気にすることはない、シズやレイナも通った道だ。接触されても“頼むことはない”と言えばそれ以上は何もされることはない」
そんなことを言われても“はいそうですか”とはならない……でも……これだけは確認しておかなければならない。
「椚って名前に聞き覚えはない?」。
「椚? そういえば、ここに来るときもそんなこと言ってたな。凄い勢いで俺を吹っ飛ばしてどこかへ行ってしまったからな。女ということくらいしか分からん」
「その人、どこに向かったんですか?」
「さぁな、もしかしたら天界の入口に向かったのかもな」
今度は天界? いったいこの世界はどうなっているんだ。いや、それよりももしこれが椚だったら?
「天界って何? そこって目指せるの?」
「いや、行先が天界かもってだけだ。”母さんの秘伝”に書いてあってな。俺も今話した以上のことは知らん。じゃあ先に帰ってるからあとは頼むな……あ、それとこの村で見聞きしたことを外で言うなよ。それじゃあな」
稽古をつけてもらったおかげで、家から畑までに出る獣なら十分にあしらえるほどに成長した。弱いものなら狩猟して持ち帰ることもできる。ひとり取り残された僕は、薬草の採取に取り掛かった。
“母さんの秘伝”か~。いったい母さんって何者なんだ……。いや、今は深堀しない方がいいだろう。今は……どうやって父さんが見た人物が椚だったのか確認するか、それが先決だ。
『どうやって椚さんだったのか確認しましょうか』
頭で考えていることを見透かされたようで、思わずドキッとしてしまった。
「今、同じことを考えてた。確かにそうなんだ」
椚だったの確かめる方法……普通に考えるなら……
「容姿とか声とか服装だよな」
『話し方ってのもありますね。でも服装とか声って説明で分かるものなの?』
「まあね。生まれた時から隣同士、ずっと固い友情で結ばれてきたからね」
零は不思議そうな、なんともいえぬ表情を浮かべている。
まずは父さんが見た女性が椚だったのかを確認しないと……。零とあれやこれやと様々な手段を話し合った。
『ねぇカナタ。誰もいないから聞くけど、薬草の隅にある耳って何かしら?』
「耳? 耳って耳だよね?」
自分の耳たぶを掴んで小さく前後に揺らしてみせる。薬草に耳なんてあるはずがない。
『ほら、付箋とかで剝がしやすいようにちょっと剝がれている部分あるでしょ。あれよ。いろんなものについてるのよ』
「そんなもの見えないけど……」
零はふわふわ~と薬草に近づくと薬草に向かってめくる動作をした。しかし特に変わった様子は見られない。
『ちょっと何これ? 薬草からマス目が出てきたわ』
何を言っているか分からない。いったい零には何が見えているんだ。僕には、零が一生懸命に薬草へ向かって、何かを書いているようにしか見えない。
「いったい何をやってるの?」
『何も起きないわね~。ほら、あそこよ』
零が僕に触れたその時だった。零が何かをしていた薬草に、うっすらとマス目が表示されたのは。
「なんだこれ?」
『見えた? マス目に何か書くのかなーって思ったんだけど、何も書き込めなかったわ』
この不思議な現象は一体何なんだ。薬草をめくるとマス目? 何を言っているのか自分でもサッパリだ。思わずマス目に近づいてマス目に指で書き込んでみた。
“甘”
書き終わった瞬間に、めくれていたはずの薬草が元に戻った。
『あれ? その薬草……耳の色が赤に変わったわ』
あまりにも現実離れした現象に、他の薬草でも試してみた。
零の言う”耳”だけはどうしても見えない。めくってもらえばマス目は見えるようになる。そして、そのマス目に文字を書き込めるのは、どうやら僕だけらしい。
「しかし、薬草によってマス目の数が違うってのも不思議だよな」
『メモができて便利じゃない。採取日程の管理が大変だって、この前言ってたじゃない』
「ただマス目の数が……1文字とか2文字しか書けなかったし」
《これって……霊界の錬刻術よね。しかも真髄の方だわ》
森全体が、急にざわめき始めた。夜の訪れを知らせるアラームとでもいうのであろうか。あと1時間ほどで、家へ帰ることすら困難になるほど強い獣が出るという。
「やば、全然今日の分採取してないや。ちょっとだけ集めてさっさと帰ろう」
家まで30分ほど。残り時間を考えて……30分ほど集めて走ればなんとか間に合うはずだ。急いで行動に移し、家路へと引き返した。
『こわい獣が出なくてよかったね』
「ああ、なんとか間に合ったよ。とりあえず集積所に置いてきちゃうね」
収穫した薬草を集積所に持ち込むまでが僕に課せられた仕事。これを特殊な技術でポーション化して他の都市に売ることで、この村は通貨を得ている。閉鎖的ではあるが、こういうところだけはしっかりしている。
「今日はずいぶん少ないな。獣に襲われて落としてきたか?」
「ははは、ごめんごめん。ちょっと稽古に時間かけちゃって」
「まぁ頑張れや。早く一人前になってくれよ」
関わりのある村民と多少なりとも話せる程度までは馴染むことができた。これから、もっといろんな人と仲良くなる必要がある。これも、零との話し合いで決めた “村民と仲良くなって情報を集めよう” 作戦の一つだ。
──そして翌日、事件が起きた。
「起きろ、奏多! お前が集めてきた薬草で作ったポーションが甘いらしいんだ!」
父さんの大声で叩き起こされた。
まさか、あの薬草に文字を書き込んだことが原因……? 頭の中が混乱する中、父さんに連れられ村の中心部へと向かった。