第 4話 0- 4 幽体 -霊体の少女-
日曜日の朝、桜花の激しい足音と勢いよく開かれた扉の音で、僕はうっすらと目覚めた。
「なんだよ桜花、今日は日曜日だろ。もうちょっと──」
寝ぼけ眼で文句を言いかけた僕の言葉を遮るように、桜花は勢いよく布団を引っぺがした。いつもは冷静な桜花が、妙に焦った表情をしている。
「ちょっとメッセージアプリ見てないの? 零ちゃんも行方不明になったって!」
「夢か?……桜花が変なこと言ってる」
「馬鹿なこと言ってないでサッサと見なさい!」
投げつけられたスマホでメッセージアプリを確認した。メッセージは、閂と澪ちゃんから来ていた。
澪:──お姉ちゃんが行方不明になったの? 何か知らない?──
閂:──雨宮さんからお姉さんが行方不明になったと連絡がきた。何か気になることがあったら教えて欲しい──
手からスルリとスマホが抜け落ちた。桜花が何か言っているが、全く耳に入ってこない。頭の中が真っ白になった。椚に続いて、零まで……。
「お兄ちゃん、お兄ちゃんってば、昨日、椚の家に行ったんでしょ。何かあったの?」
こうしてはいられない──「すまん、ちょっと探してくる」と最低限の着替えだけ済ませ、急いで家を飛び出した。
行く当てなんかない。ただできることは闇雲に走り回ることだけ。神社やお寺を中心に探し、揺れる木々や空飛ぶビニール袋にさえいちいち反応してしまう。
「あら、奏多くんじゃない。どんなに慌ててどうしたの?」
声をかけてきたのは、アパートの隣に住む戸成 優さん。3年前にアパートの隣に引っ越してきた大学生。苦学生らしいが、母に虐げられる僕を見かねて、食事を作ってくれたり、文房具を買ってくれたりする優しいお姉さんだ。
「ちょっと友達が行方不明になったって……見つかるわけないのは分かってるんだけどじっとしていられなくて」
「友達って椚ちゃんのことじゃなくて?」
「違うんだ、椚もだけどもうひとりいなくなったんだ!」
《この女性……メラ? メラということは自覚はないようね》
戸成さんに零の特徴を話すと、椚と同様に探してくれるという。軽く挨拶を交わすと、また走り始めた。
▶ ▷ ▷
見つかるわけない。見つかるわけはないんだ。それは分かってるけどなんか悔しい。既に陽は傾き辺りは夕焼けに染まり始めていた。
「いったん帰るか……」
何かの手がかりがあるかもしれないと自宅に向かって歩き始めた。この場所は……雨宮家の近くか。帰りに澪ちゃんに声をかけていこう。そう思って歩いていた時だった。
雨宮家の前にふわふわ浮かぶ人影を見たのは。いや、そもそもふわふわと宙に浮く人影なんていう事象はあり得ない。
「あ、雨宮さん……」
宙に浮かんでいる人影はうっすらと透けて見える雨宮さんだった。
目の錯覚か、はたまた考えすぎて幻が見え始めたのか……。
道行く人に話しかけては無視され、道行く人に話しかけては無視される。どうしてよいのか分からずただただその様子を見ていることしか出来なかった。
目が合った──雨宮さんらしき霊? は、ふわふわとこちらに近づいてきた。その顔は泣きはらしたのか目が赤く腫れていた。
『奏多……くん?』
自信なさげな雨宮さんの声。こんな弱々しい雨宮さんはじめてだ……それどころか、宙に浮いている人、透けている人、すべてが初めての経験だ。いったい何が起こっているんだ!
『ふぅー。やっぱりダメか。見えてると思ったんだけどなぁ』
あ、混乱して返事ができなかった──「雨宮……さん?」
すごい勢いで引き返してきた。
『わたしが見えるの? 誰もわたしのことが分からなくて! えっとえっとね──』
「ちょ、待ってくれ。そんなに一気に話されても分からないよ。雨宮さん、見えてるから落ち着いて」
大きく深呼吸する雨宮さん。僕は1周回って不思議と落ち着いている。時折飛んでくる木の葉が雨宮さんをすり抜けるたびにドキッとしてしまうが。
『わたし──』雨宮さんはゆっくりと話し始めた。最終的には“分からない”という結論に至ったが、気づいたら大きな森の中にいた。そこで体を落とした感覚を覚え、椚に会ったような気もするということだった。──『もしかしたら違うかもしれないわ。夢の中で椚さんの家でみた六芒星に引っ張られた気がするの』
「夢のようは話しだけど、現実に雨宮さんはその姿でここにいるし。信じるしかないけど……どうすればいいのかサッパリだ」
六芒星。椚の部屋で見つけた奇妙なマーク。あの日、椚の部屋で見た夢と雨宮さんの話が繋がっているのだろうか。
「夢のようは話しだけど、現実に雨宮さんはその姿でここにいるし。信じるしかないけど……どうすればいいのかサッパリだ」
椚がもしかしたら雨宮さんの夢の中にいるのかもしれない……普通に考えたらバカみたいな話。でも、霊のような姿をしてここにいる雨宮さんを見たら……「いやいや、本当に夢が現実だったとしてどうやって……現実が夢なのか調べるんだ?」。頭を搔きむしらずにはいられない。
「おい家庭教師、何一人でおかしなことをやっているんだ。もしかして誰かに憑依でもされたか」
この混乱のさなかに澪ちゃんまで登場してくるとは……。
「ん? 澪ちゃん?」
「何をしている。家に用があるならさっさと入らんか」
そうだ、オカルト好きな澪ちゃんなら何かわかるかもしれない。
「ちょっとお邪魔させてもらっていい? 相談があるんだ」
「家庭教師が相談とは初めてだな。いつも世話になっているお礼に何でも答えてやろう。ちなみに彼氏はいないぞ」
雨宮さんに一瞥して付いてくるように合図して澪ちゃんの部屋にお邪魔した。
「して、相談とはなんだ?」
雨宮さんのいるあたりに大きく丸を描いた。
「この辺りに人の気配とかする?」
「虚空に円を描いて何を試そうっていうんだ。何かの心理テストか?」
澪ちゃんに家の前で起こった出来事を話した。
「普通に考えたら、こんな状況に悪い冗談をやってふざけるなーって怒られるところだな」
「確かに。でも、これは澪ちゃんにしか相談できないなと思ったんだ」
不思議そうな顔をする澪ちゃんに信じてもらうため、ふたりしか知りえないことを雨宮さんに言ってもらって通訳した。
「にわかには信じられないが……ウチの方でも調べてみる。姉さんは家庭教師のそばにいるといい」
「僕のそばに?」
「そうだ。目を離すと見つけるのが大変だからな。家庭教師のそばにいれば、何かがあっても分かる!」
雨宮さんが付いてくることになったこの状況。その先にきっと椚がいるのだという予感があった。