第 3話 0- 3 魔紋 -疑惑の六芒星-
入院して早6日、とうとう退院が明日に迫った。白い壁、白い天井からオサラバできる。でも、母に邪魔されずに勉強できる静かな空間だけは手放しがたい。
「また明日から勉強にバイトに頑張らないと」
サイドテーブルに広げた参考書類を片付けると勢いよくベッドに横になった。あれから椚の情報は何も入ってこない。スマホでいくら検索してもニュースになっている様子すらない。
ガラッ──勢いよく仕切りカーテンが開かれた。
「大丈夫か家庭教師。私の話を聞いてくれる人がいなくて寂しいぞ」
来るはずがないと思っていたふたりについ大きな声を出してしまった。
「澪ちゃん! ……と、雨宮さん!」
「突然来てごめんなさい。ちょっと相談したいことがあって」
壁に立てかけられた来客用のパイプ椅子を2脚並べると座るように促した。雨宮姉妹は、お見舞いの品を床頭台に置くと椅子に腰かけた。
「僕に相談?」
「ええ、椚さんのこと、何か聞いたりしていない?」
予想外の質問。雨宮さんと椚はクラスメイトだからおかしくはないんだけど。
「椚……何かあった?」
「実は最近、椚さんの夢を良く見るの……真っ暗な闇の中で何かを伝えようともがいている椚さんの夢を。彼女は苦しそうに手を伸ばして、何かを訴えかけてくるんだけど、その声がどうしても聞こえないの」
雨宮さんの言葉に僕は息をのんだ。真っ暗な闇の中でもがいている椚。それは、もしかしたら現在の状況を暗示しているのかもしれない。
「きっと、椚先輩の思念を姉が感じ取っているのだろう」
「ちょっとやめてよ澪。もし思念を送るとしたら、相手は奏多くんの方でしょ。幼馴染なんだから」
「……波長とか?」
澪ちゃんと話したことがある。思念はその人が持つ波長の合いやすい人の方が届きやすいと。
「こんなこと警察に言っても相手にされないし、相談したかったのは……この夢を見た朝は必ずめまいがひどくなるの。まるで、夢の中に引きずり込まれるような感覚に襲われるのよ」
考えてみたら雨宮さんの調子が悪くなったのは椚が行方不明になった日。もしかしたら椚の失踪と雨宮さんに何か関係があるのだろうか? ……って、そんなはずはないか。
「姉はな、夢を見るたびに吸い込まれそうで怖いって気にしているんだ」
オカルト的な話に困惑してしまう。話しとして話題にする分には楽しいが、現実として突きつけられるとどうしていいか分からない。
「そうしたら明日退院できるから、一緒に椚の家に行ってみよう。何か手がかりが見つかるかもしれない」
「私も行くぞ。姉の話を聞いてから思念のことを勉強してな。何か嫌な予感がするんだ」
そしてちょっとした雑談の後、雨宮姉妹は帰っていった。
翌日、桜花の付き添いで家に帰った。
帰り際、母が怒っていること、入院費の支払いのこと、またバイト漬けになりそうだということを話した。椚の件についても進展はないようだ。
「よし、また勉強しないとな……その前に……桜花、今日は雨宮さんたちと椚の家に行ってくるよ。雨宮さんが椚の夢を見るんだって」
「零ちゃんが? 椚の夢を?」
不思議そうな顔をしている桜花。
「なんだろう……嫌な予感がするわ」
「なんだよ嫌な予感って、友達の夢を見るなんて普通だろ」
「まあいいわ。モテないくせに鈍いなんてダメダメなお兄ちゃんね。いいわ、私が荷物を持って帰るから零ちゃんの所に行きなさい」
良く分からないが桜花は何か察しているのかもしれない。なぜか胸の中に小さな期待が膨らんだ。きっとこれで解決する。そんな予感がしていた。
▷ ▶ ▷
雨宮さんと澪ちゃんを連れて、神山家に来た。椚の母は憔悴仕切ってひどく痩せていた。当然と言えば当然だろう。娘が突然行方不明になったら、誰だってこうなる。
「あら奏多ちゃん、来てくれたの? 椚ったらどこに行ったのかしらねぇ」
懸命に平静を装っているのが見て取れる。なんとか解決してあげたい。
「雨宮さんが椚の夢を良く見るって言ってたから、ちょっと部屋を見せてもらいたいんだ」
「雨宮零です。こっちは妹の澪です」
雨宮さんと澪ちゃんが深々とお辞儀をした。
「あら、あなたが零ちゃん。娘からお金持ちで美人な子がいるって聞いているわ。そういえばあの子、いなくなる前……零ちゃんが遊びに来てくれないかなって言ってたわ」
椚の部屋がある2階に案内してくれた。しかし……どうもおばさんの『いなくなる前に』という言葉が気になる。まるで、椚が零に何かを伝えようとしていたかのような……。
部屋の中はきれいに整理されていた。僕が最後にここを訪れたのが……2月か。同じ高校を合格したお祝いにおばさんが料理をふるまってくれたっけ。うちの事情を知っているだけにほんと良くしてくれたよな。
「ねぇ、何あれ?」
澪ちゃんが見つけたのは机に置かれた1枚の紙。円の中に六芒星が描かれ、見たこともない字で周囲が彩られている。
「ははは、椚のやつもオカルト好きだったんだな」
「なんだろうこれ、すごく嫌な感じがする」
澪ちゃんの嫌そうな顔に不安が募る。まさかこんなもののせいで行方不明になったなんて考えにくい。オカルトにも程がある。
「ただいまー」
階下から声がした。
「あの声は、弟の閂か」
階段を上がってきた閂は、部屋の前を通りがかった時にこちらに気づいた。
「奏多じゃないか、姉ちゃんの部屋で何をしてるの?」
「ああ、ちょっとな。友達が椚の夢を良く見るから何かあったのかと思っておばさんに頼んで入れてもらったんだ」
突然驚く澪ちゃん、それにつられて驚く閂。
「神山くんって……弟なの?」
「雨宮さんじゃないか」
どうやらふたりはクラスメイトらしい。神山家は居合系道場を営んでおり閂はそこの跡取り候補。あまりにも強すぎることから仲間から敬遠されて学区内の中学には行かず、歓迎してくれた学区外の中学校に通っている。
「びっくりしたよ。まさか澪ちゃんと閂がクラスメイトだったなんて、ねー雨宮さん」
雨宮さんの方を振り向いた。すると、六芒星の紙を見たままフリーズしていた。顔色は真っ青で額には脂汗が浮かんでいる。それに気づいた澪ちゃんも駆け寄った。
「お姉ちゃん」「雨宮さん」
声がハモリ、澪ちゃんが揺さぶった。雨宮さんは我に返ったのか頭を押さえて辛そうにしていた。
「大丈夫? 調子悪そうだけど」
「えぇ、大丈夫よ。なんかボーとしてしまって、わたし、調子悪いから帰るわ」
雨宮さんはふらふらと出て行った。追いかえるように「私もお姉ちゃんと帰るね」と澪ちゃんも行ってしまった。
追いかけようとしたその時だった。
「奏多、ちょっと待ってくれ……」
言いにくそうにする閂、しばらくして口を開いた。
「神山家は昔、この世で悪さをする死者と戦ってきた家系なんだ。姉ちゃんは何かに囚われているんじゃないかと思ってる。信じても信じなくてもいいが、俺はきっと姉ちゃんを助ける」
閂は強い決意の表情を向けると部屋に行ってしまった。
《この子……ヤマのエネルギーを。ということは子孫かしら。それなら行方不明になったお姉さんと閻魔大王が倒されたことに関係がありそうね》
──そして翌日、雨宮 零が行方不明になった。