第 1話 0- 1 異変 -霊界からの衝撃-
閻魔大王のひとりが倒された──
この衝撃的な事件は、霊界だけでなく、人間たちが住まう俗界、そして天国と地獄にまで激震を走らせた。
俗界で命を落とした魂は霊界へと辿り着く。そして四十九日後、閻魔大王によって審判にかけられその行き先が決まる。
三つの道。天国へ昇るか地獄へ堕ちるか……そして天国に行くほどの徳はなく、地獄に堕ちるほどではない者は、俗世へと再評価する準備のため霊界へと送られる。
しかし、生者として死することなく霊界に迷い込む者も少なくない。そのイレギュラーによって霊界だけでなく天界をも巻き込んだ大事件に発展する――これは、そんな物語である──。
《私は案内係のひよ。今、私はとある公立高校1年3組の教室にいる。古びた制服を着た少年が、真剣な眼差しで勉強に打ち込んでいる。さて、彼の心の中を少し覗いてみようか》
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僕は必死に勉強をしている。
絶対に特待生として大学に合格してやる。そう固く決意している。
不倫して出て行った父、妹ばかりかわいがる母、こんな家とは一刻も早くおさらばしたい。
「ねえ奏多、奢るから帰りにカラオケでも寄っていかない?」
目の前に立つショートカットの少女は、神山 椚。昔から僕を気にかけてくれる気の置けない幼馴染だ。椚がいるからこそ、”僕は男女間で友情が成立する”という論法が信じられる。
「悪いな、今日はバイトだ。生活費くらいは自分で稼がないと」
「……私たち、まだ高校1年生よ、しかもまだ6月。もうちょっと遊んでもいいんじゃないの?」
椚は軽く髪をかき上げながら不満げに頬を膨らませる。ほのかに彼女のシャンプーの香りが鼻腔をくすぐった。
「今日は雨宮さんの所で家庭教師だよ」
「ああ~、零さんの妹だっけ?」
雨宮 零はクラスメイトのひとり。ひょんなことから、彼女の妹である澪ちゃんの家庭教師を引き受けることになった。
「よし! 今日の勉強はここまでだ」
ポフッと勢いよく教科書を閉じる。この音を響かせることで、気持ちをバイトモードへ切り替えるのが僕のルーティンだ。
「……まったく、おじさんもおばさんも何をやってるんだか。奏多が割を食うことないのに」
「いいんだよ。おかげで妹のために特技だって身につけたし、勉強だって優秀生として扱ってもらえるまでになったんだから」
その時、教室のドアが開いた。入ってきたのは、学校のマドンナ的存在である、おしとやかで美しい雨宮 零だった。
「奏多くん、今日は澪の家庭教師の日でしょう? 一緒に帰りましょ」
「ああ、今行く。悪いな椚。また今度な」
軽く椚に手を振り教室を出ると、部活終わりの時間帯と重なり、廊下には多くの生徒が行き交っていた。
「ねえ、零でいいっていつも言ってるじゃない。雨宮さんじゃ、澪とどっちのことかわからないでしょう?」
確かに彼女はいつもそう言う。けれど、僕が女性を名前で呼ぶなんて照れ臭い。せいぜい椚と妹くらいなものだ……あとは澪ちゃんか。
「ははは、いつかね」
そう軽く笑い、お茶を濁す。
《ちょっとちょっと、あの椚って女性、恨みがこもった目で睨んでるわよ。あのオーラ、大丈夫かしら……?》
道中、雨宮さんは途切れることなく話し続けた。僕はただ頷きながら相槌を打つ。雑談という高等スキルは、僕には備わっておらず、会話を続けることに苦労していた。
「奏多くんは手芸が得意なんでしょ。凄いわよね~」
「あぁ、妹と仲良くなれるように練習したんだよ。中学までの桜花といったら母親の影響でひどく僕を見下してわがまま放題だったからな」
「甘やかされ放題で自由奔放に育ったって言ってたわね」
「そう。おまけに父親も出て行っちゃったしな。だから僕がなんとかしなくちゃって思ったんだ。信頼を勝ち取るために頑張ったんだ」
つい、口数が増えてしまう……自分でも分かっている。話せる話題になると、ついマシンガンのように言葉を並べてしまうことを。
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雨宮さんの家はいつ見ても圧巻の広さ。超がつくほどの金持ちだからこそ僕なんかを家庭教師として雇ってくれるのだろう。感謝しかない。
「来たか家庭教師。よろしく頼むぞ」
立派な門扉の前で腕を組んで待っていたのは、零の妹である雨宮 澪。今時珍しいツインテールの中学生である。
オカルト好きな彼女とは、そうした話題で意気投合した結果、すっかり仲良くなった。
「外で待ってなくてもよかったのに」
「いち早く、用意したネタを聞かせたくてな!」
目を輝かせて喋りたそうにうずうずしている。
「まったく澪は……まずは勉強よ、勉強。私と同じ高校に入るんでしょ」
「大丈夫だ、勉強はちゃんとやってる」
外で話しをしていると零と澪の母出てきた。
「ほら、そんなところで話しをしていないで中に入りなさい」
おばさんに促され澪ちゃんの部屋に入った。そして部屋に入るなり澪は本を取り出して満面の笑みを浮かべた。
「これを見せたくってな」
本に描かれているのは『ヴォイニッチ手稿の謎を紐解く』というタイトル。
前の授業でヴォイニッチの話題の考察をした。その時に転生者が書いたんじゃないかとか、実は人間は植物に操られているだけなんじゃないかという話しで盛り上がった。
「先に勉強しちゃわないとお母さんに怒られるよ」
「見ろ」と差し出されたのは中間テストの結果 (体育を除いた全ての科目で3位以内に入っている)。「どや、この時間に少しでも家庭教師と話せるように頑張っているのだ」と得意気。
「良いのか悪いのか……」
「良いのだ。分からない所とか考え方を教えてもらっているからな。全ては応用だ、それでこの本だがな……」
いつものように澪ちゃんは机に座り、勉強を僕が見ている体勢になる。いつ誰が部屋を訪ねてきてもいいように偽装している。
勉強?は、澪の母がお菓子を持ってきたり雨宮さんが様子を見に来たりしつつ無事に終了した。
「いつも澪の話しに付き合ってくれてありがとうね」
帰りがけに雨宮さんは何らかの一言をくれる。可愛くて優しい気づかいが出来る女性に憧れないわけがない。しかし、学校のマドンナ的存在であり、婚約者がいるという噂のある彼女に好意を抱いてはいけない。
バイトが終わって自宅に帰ると今日の予習復習が日課。
「ねえお兄ちゃん、椚ちゃんと何かあったの?」
双子の妹である桜花が部屋に入ってきた。その彼女の言葉に心当たりはない。
「いや、何もないよ」
考え込んでいる桜花。真剣な表情になった。
「お兄ちゃんは椚ちゃんのこと、どう思ってるの?」
「椚?……椚とは堅い友情で結ばれているんだ。男女の友情はありえないっていうやつもいるが、絶対にありえると断言できる親友だ!」
桜花はため息をつく。
「お兄ちゃん。本当にそう思っているなら考えた方がいいわ。雨宮さんのこともあるし……」
呆れたような顔をして部屋を出て行ってしまった。
「なんだよ一体。雨宮さんと何の関係があるっていうんだ……もしかして、桜花のやつがもっと椚と仲良くなりたいってことか……それとも雨宮さん?」
良く分からないことを話す桜花に辟易し勉強を再開した。
──そして翌日、神山 椚が行方不明になった。