回る回る
―――気持ち悪い
どうやら、昨日は調子にのって飲み過ぎたらしい。頭はガンガンし吐き気もヒドイ。その上、目の前はグルグル回っている。先ほど駅のトイレにあった鏡で見た顔は、化粧は崩れているわ、髪はボサボサだわ、目の下のクマはヒドイわで、とても花盛りの20代のOLには見えなかった。
―――幸い今日は休日だし、家に帰ったら熱いシャワーを浴びて夕方まで爆睡してやるわ
これまた花の乙女の休日とはかけ離れているような気もしたが、そんな些細なことは気にしない。億劫なのは、家に帰るのに電車で30分かかることだ。大体、職場の最寄り駅が急行も止まらないような小さい駅なのが悪い。急行が止まるのであれば、今右手から来る急行列車に乗れるのに・・・
そんな私の頭の中での独り言は、後ろからの
―――トンっ
という衝撃で中断された。
自分の体がゆっくりと円を描きながら駅のホームから線路へ向けてダイブしていくのが分かる。私の視線の先には急行列車。まるでスローモーションのようにコマ送りで周りの景色が過ぎ去っていく。
列車が私の体に接触した瞬間、今までスローモーションだった私の世界が急に速度を取り戻し、私は自分の体が弾き飛ばされ、線路の上を鉛筆のようにゴロゴロと転がって行くのを認識する。不思議と痛いとは思わなかったが、自分の右腕や左脚がもげるのを見るのは、出来の悪いスプラッタ映画を見ているかのようだった。ようやく体の回転は止まったものの、今度は頭の中がグルグルと回り出し、私は意識を失った。
◆◆◆
「大変だっ!女が列車に轢かれたぞっ!」
「俺は見たぞっ!誰かが女を突き落したんだっ!」
誰かがそんな事を叫んでいるのを背後に聞きながら、俺は自らの手際の良さを褒め称えたい気分になった。飲み会帰りのOLらしき若い女を線路に突き落してやろうと思ったのは突然だったが、わりと良い暇つぶしになった。
―――自分が死んで行くのをゆっくりと認識していくあの顔
あの顔は良い・・・特に若い女の表情は最高だ。それに、列車に轢かれた人間の体が転がっていく様子もなかなか愉快だった。病みつきになるかも知れない。今度、ほとぼりが冷めたころにまたやってみるか―――
―――ドンッ
そんな俺の気分に水を差したのは、気の弱そうな若い兄ちゃんだった。いきなり俺のわき腹に横からぶつかって来やがった。
「てめえっ!どこ見て歩いていやがるんだっ!」
「す、すいません・・・」
若い兄ちゃんは俺の剣幕にビビったのか、一目散に逃げて行った。
・・・人がせっかく良い気分になっていたのに、俺にぶつかるとはふてぇ野郎だ。なんだかぶつかられた腹が変な感じだぜ。
そう思いつつ自分の腹を見てみると、ぶつかられた場所には赤い染みが出来ており、そこからはナイフが飛び出ていた。
『ん?』
もう一度腹を見てみると、そこからはやはりナイフが飛び出していた。
そう気がついた瞬間、俺の体から力が抜けた。腹からの血が止まらない。いつの間にか俺の足元は真っ赤な液体で水浸しになっていた。何とか助けを求めようと、這って前へと進もうとするが
―――ズルッ
血だまりのせいで豪快に転び、俺は仰向けになった。
あれ、おかしいな・・・俺の体はもう動いていないはずなのに、どうして周りの連中はぐるぐる回っていやがるんだ?
いや・・・そもそも俺は、どうしてここに居たんだ?
分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない分からない
そのうち周りの連中だけじゃなく、俺が寝転んでいる床自体もぐるぐる回り始め、最後に俺は意識を失った。
◆◆◆
『うまくいった!うまくいった!』
―――見知らぬチンピラをナイフで刺し、しかも誰にも見られなかった
僕は興奮のあまり早足になるのを自覚しながら、自らの手でやり遂げたことの偉大さに天にも昇る気持ちになった。
『どうだ、僕だってやれば出来るんだ。今まで僕をバカにしてきた大学の友達。いつまでたっても小言を止めないくそババア。そして僕のことを我が家の恥、とまで言ったクソじじい。みんなみんな、殺してやるぞ!』
そんな期待に胸を膨らませながら、家に帰るためにホームへと足を進める。ホームに入った途端、野次馬が大勢集まっているのが見えた。どうやら、誰かが列車に轢かれたらしい。
―――バカな奴だ
僕は内心で線路へと落ちるようなマヌケをあざ笑った。
だけど僕はふと、そんなバカな奴の顔が見たくなった。どうせ僕と違って、見るからにマヌケな顔をしているに決まっている。野次馬をかき分けつつ線路へと向かい、死体があると思われるあたりに進もうとすると、駅員と話している男と目が合った。そしたらそいつは俺の顔を見るなり
「あいつだ!あいつが女を突き落したんだ!」
などと言い始めた。
『え?え?』
僕が戸惑っているうちに、僕の周りからはサーッと波が引くみたいに人が居なくなっていった駅員が僕の方へと小走りで向かってくる。僕は急に怖くなって、念のため持ってきた予備のナイフを駅員に突きつけた。
「く、来るなぁ!」
ナイフをやたらめったらに振り回し、どこか逃げる場所がないかと辺りに眼を走らせる。
『どうしてこうなった?どうしてこうなった?どうしてこうなった!」
頭がパニック状態で何も考えられない。駅員と反対方向へ向かいながらナイフを振り回し、必死に打開策を探る。
―――ズルッ
周りに気を取られ過ぎて足元がお留守になっていた僕は、ホームの縁で足元を滑らせた。
一瞬、全ての重力から解き放たれる。ゆっくりと後ろ向きに倒れていく僕の目には、僕の周りをぐるりと取り囲む野次馬の群れが映っている。そいつらを全員殺してやりたいと思いつつも、僕の眼は一点に釘付けになった。
―――そこには、異質な男が居た
その男はまるでここで起きた全てを初めから見ていたかのような、それでいてそれを心の底から楽しんでいるかのような表情をしていた。そして、その男の唇がこう動いたのを確かに僕は見た。
『御苦労さま』
と。
そいつが、『女を突き落したのは僕だ』と証言した男だと気付いた瞬間、僕の体は線路へと落下した。
―――ズッ
何の音か分からなかった
何の音か分かりたくなかった
それが僕の持っていたナイフが僕の咽喉を貫いた音だとは
―――熱い
―――熱い
―――熱い
僕の咽喉から命がこぼれるごとに、僕の咽喉は激しく燃えた。その咽喉の痛みを消すために、僕は線路上を転げ回った。ばたばたと転がりながら、何とか助けを求めて辺りを見回した僕の目に飛び込んできたのは―――
―――右腕と左脚が奇妙な形にねじれ、眼はうつろ、そして何より全身から流れる血の量が確実な『死』を感じさせる、若い女の死体だった
目が回る
脳が現実を拒絶する
頭の中がぐちゃぐちゃにかき乱される
・・・意識を失う寸前に僕が聞いたのは、ホームから遠ざかっていく一つの足音だった




