15-13.ある記憶とない記憶
ひとりきりの病室は、俺にとっては退屈極まりなかった。
テレビを見ても、いまいち楽しめない。ちょっと好きだった番組がやるはずの時間に、全然別の番組が始まった。調べたら半年前に終わったらしい。
バラエティ番組のゲストに、今話題のタレントが出演している。皆さんお馴染み、テレビで見ない日はない人気者みたいな紹介のされ方をしてるけど、俺には見覚えはなかった。
これが記憶喪失か。変な感覚だな。
不思議なことに、ここ一年の記憶が全部ないわけではなかった。俺は自分を高校一年生だと思いこんでいたけれど、家から持ってきて貰った教科書やノートを見るに、高二で習った授業のことは思い出せていた。
たぶん、記憶喪失でも社会的常識は忘れないことに関係しているのだろう。会話はできるし文字も読める。信号が赤なら止まらなきゃいけないことも、忘れちゃいない。
一年間の記憶が無くなって、年度が変われば受験生。それでもなんとか勉強にはついていけそうな自信はあった。
つまりこのまま記憶が戻らなくても、学校に行けば一年間の人間関係の変化に戸惑いながらも普通に勉強して、受験をして大学に受かることはできる。そのまま愛奈の望むままに、いい会社に就職して楽させることも。
表面的には普通の人間を装いながら、違和感を自分の中だけで抑え込んでいれば、生きていける。
いや、違和感を隠す必要もないかも。愛奈も遥もつむぎも、そして知らない間に女らしくなったアユムや、この一年で知り合いになった多くの人たちが支えてくれる。だから俺は、記憶が戻らなくても双里悠馬として変わらず過ごすことができる。
ただし、この知り合いたちと知り合った原因だけは、話が別だ。
「俺も戦うべきなのか? 戦い方なんか全然覚えてないのに」
天井を見ても何があるわけではないけれど、それ以外に見るものもないから仕方なく見る。
今日も戦っていたらしい。みんな目の前で変身して、慌ただしく病室から飛び出していった。本当に魔法少女で、遥は自分の足で走れるようになって、つむぎは大きいモフモフを手に入れたんだなあ、みたいな感慨を抱いている間に、俺は取り残された。
俺も行くと言うべきだったんだろうか。止められるだろうけど、言えば喜んでくれたかもしれない。
そして、実際に戦うべきだったのかもしれない。何ができるかわかったものじゃないけど、それでも言い出すべきだった。
現実感がない状況に戸惑うだけなんて、格好悪いから。
だけど俺は、戦うのが怖かった。
ベッド脇の机に置かれた覆面に目をやる。俺は本当に、これを被って戦ってたのか? 変身するわけでもなく、生身で?
急に同じことをしろと言われても無理だ。絶対に断るし、だから魔法少女たちもしろとは言わなかった。
情けないな。みんな戦っているのに、俺だけ安全地帯で寝てるなんて。
なんとかしないと。やっぱり、記憶を取り戻すのが一番だけど。
そしたら、あれも思い出せるのかな。
遥とアユムに、同時に告白された。というか、ふたりとも前から俺のことが好きだったらしくて、どうやら俺もそのことは把握していたらしい。
俺、何やってたんだよ。女の子ふたりから好意を向けられて、それを放置してたのか? 俺はふたりのこと、そんなに好きでらなかったから、ただの友達とあしらってたのか?
あんなかわいい子たちを。
「わかんねえな。どうすりゃいいんだよ」
天井に話しかけても、答えは帰ってこなかった。
退屈しかない病室で、いつしか俺は睡魔に負けてしまった。気がつけば考えていることに答えが出ないまま朝になってしまった。
遥たちは学校だろうな。夕方には、またお見舞い来るんだろうな。
愛奈はたぶん、今日も仕事は休むだろう。こういう機会があれば、可能な限り有給を取りたがるはずだ。俺の記憶が確かならば、もう年度始めに付与された有給は使い切ってるはずなんだけど。記憶がない一年で少しは節度ある暮らしになったのかな。なってるかもしれないな。
普段は見ない朝のニュース番組をぼんやり見ている。知ってるタレントも知らないタレントもいる。たぶんそれは、記憶の有無には関係ない。
栄養満点だけど味気ない病院食を食べていると、スマホに愛奈からメッセージが来た。昼ぐらいにお見舞いに行くけど食べたいものはあるか、と。案の定休んだか。
ピラフ食べたいと送ったけど、直後にそんなもの愛奈が用意できるはずがないと思い直して、無理ならなんか味の濃いものが食べたいと再送信した。
そして昼まで暇になったことが確定。どうしようかな。
俺は頭に問題が出来たから入院してるけど、体にはなんの異常もない。ベッドから起き上がって、トイレにも普通に行けるし病院内にある食堂や売店にも足を運べる。
でも、愛奈がなにか持ってくるなら、先に何か食べるのは良くないよな。
行く当てがあるわけではないけれど、病院内をウロウロすることに。他の患者や職員の迷惑にはならないようにな。
そして、数分で飽きた。病院って退屈なところだな。当たり前だけど。楽しく騒げる場所だったら、病気や怪我が治るはずがない。
入院してるののほとんどはお年寄りだし。お前ら絶対に深刻な病気じゃないだろって感じの患者たちが、休憩スペースみたいなところで世間話している。お前たちに合わせて病院食が作られてるから、あんなに質素で味気ないものを俺は食べなきゃいけないんだぞ。
とまあ、当人にとっては理不尽な文句になりかねない言葉を飲み込んで、病室に帰ろうとしたところ。
少年の姿を見つけた。




