15-1.記憶喪失
すぐに医者を呼んで詳しく話をしてみる。
頭を打ったショックだと思われる。一時的なものだろうから、この一年の出来事なんかを語りかけていれば、そのうち思い出すだろう。
医者の見解はそんなところだった。
「そのうち、かー」
病室前の廊下で壁にもたれかかりながら、愛奈が天井を見ながら呟いた。
「実際にいつなのかは、お医者さんにもわからないのよね」
「人の脳って不思議なものだからね。けど幸いに、悠馬には思い出がありすぎるわよ」
「ええ。この一年に関しては特にね。樋口さんとの出会いも含めて」
「それも思い出ね。わたしとは模布駅の高級フレンチ食べに行ったのよ。ふたりきりで。そう教えてあげれば思い出すかしら」
「思い出すかもしれないですけど、最初にそれはやめましょう。余計混乱させるだけ」
「確かにね。けど残念ねー。わたし、悠馬と結構いい雰囲気になれてたのに。それも忘れちゃったかー」
「だから。公安が未成年とそういう関係になるのはまずいから。……樋口さんはどうでもいいですけど、遥ちゃんとアユムちゃんは困るでしょうね。悠馬に本気で告白したみたいだから」
「妬けるわね。これだからモテる男は」
「みんなにも説明しなきゃいけないなー。……混乱させたくないから、いきなりみんなで押しかけるのは良くないけど」
「なんにせよ、早く記憶を取り戻してもらわないとね」
「……」
「どうしたのよ」
愛奈が、どうも煮えきらない表情を見せていて、樋口はそっちに向き直った。
「このまましばらく、記憶喪失でもいいかなって」
「……どうして?」
「悠馬は恐ろしい怪物と、生身で戦っている。ええ、剛みたいな仲間もいるわ。それは立派なことだし、頼りになってる。みんな納得してるし、今更言うことじゃない。それはわかってる。けど……怖かった。倒れた悠馬を見て、生きた心地がしなかった」
「気持ちはわかるわ。でも」
「このまま、しばらく記憶を失わせていいんじゃないかしら。戦いが終わるまでの間だけでいい。悠馬は怪物騒ぎとはなんの関係もない、平凡な男の子。少しの間、そうやって過ごしてほしいの」
「……隠せる話じゃないわ。姉と同級生ふたりとお隣さんの子供が魔法少女なのよ。すぐにバレるわよ。しかも、なぜか一緒に暮らしている」
悠馬の中の今の双里家は、姉との二人暮しだ。つむぎや遥が一緒に暮らしてるだけでも意味不明なのに、ラフィオやアユムがいる。
アユムとは面識があるとはいえ、当時からは容姿がかなり変わってるし、同居の理由も複雑。モフモフの妖精のラフィオに至っては説明しようがない。
この状況を悠馬に納得させるには、自分が魔法少女の戦いに誰より巻き込まれていると真実を告げるしかない。
愛奈だってそのことはわかっているのだろう。
「うー。そうなんだけど。でもなー」
「気持ちはわかるわよ。姉として弟を守りたい気持ちはね。けど、その段階はもう過ぎてるの。最初に悠馬が入院した時点でね。その時と同じ決断を、一年時間が巻き戻った悠馬もするはず」
「ええ。それはわかってる。親しい人間みんな魔法少女として戦ってるのに、自分だけ守られるようなことはしない。悠馬はずっとそういう子」
「でしょ? だから真実を伝えて、これまでのことを思い出してもらうしかないの。それに、年度が変れば彼は受験生よ?」
「あー。それはまずいわねー。ちゃんといい大学入って、わたしがいつでも会社辞められるようになってくれなきゃ困る」
「それはどうかと思うけど」
以前は本気で言ってたのかもしれない愛奈の願望は、今は冗談めいた口調になっていた。
とはいえ悠馬の大学受験は大事なイベント。一年遅れた状態で臨むわけにはいかない。はやく記憶を取り戻してもらわないと。
ふたりで病室を覗き込む。ベッドに寝転んだ彼はスマホで動画を見ているらしい。ここ一年の、魔法少女の活躍を紹介したものなのだろう。そういうのを投稿して、情報を纏めたり独自の解釈を付け加えたりして動画にする者は大勢いる。
その目的は再生数集めと、それに連なる自己顕示欲と金銭欲を満たすことで、奴らのやり方の是非には議論の余地がある。けど、自分の街で起こっていたことを知るのには便利だ。
「姉ちゃん。本当にこんなことがあったのか? 模布駅の金時計が怪物になってるし、この戦ってる場所は鷹舞公園だよな? あと、アメリカから軍隊が来て怪物と戦ったとか」
顔を出した愛奈と樋口に、悠馬は戸惑い気味に尋ねた。
まだ、自分がその戦いの当事者だと気づいてもいない。
「本当よ。あなたの街には怪物が出る。魔法少女がそれを退治しながら、みんな生活を送っている。それでね、悠馬。落ち着いて、わたしのことを見てて」
緊張するようなことじゃない。愛奈はスーツのジャケットの裏に隠してあるブローチに触れて、魔法少女シャイニーセイバーへと変身した。
「え……姉ちゃん……?」
呆気にとられる悠馬。スマホ画面の中の魔法少女が目の前にいて、しかもそれが自分の唯一の家族であることに困惑していた。
「見ての通り。わたしは魔法少女として街を守っている。それだけじゃないわ。遥ちゃんやつむぎちゃんも魔法少女なの。黄色いのが遥ちゃんで、青色がつむぎちゃん」
「……ごめん。頭が痛くなってきた。なんで姉ちゃんが遥のこと知ってるんだ」
「あなたが遥ちゃんを魔法少女にしたから」
そこの経緯はもう少し複雑だけど、要約したらそう言っても問題はないだろう。当の悠馬は愕然とした様子だけど。




