12-15.野球少年の家
俺は併走しながら、伸ばしてくるリボンにナイフを振る。細くひらひらしたそれを刃が捉えるのは容易ではなく、リボンは俺の腕に巻きついた。
なるほど締め付けが強い。骨が折れるって程ではないけど、それでも筋肉が悲鳴を上げた。
「覆面さん!」
「お前たちはさっさと行け! 隠れろ!」
「はい!」
野球少年たちが家に入る。玄関先には少年の両親がいて、息子たちが返ってきたことに心底安堵した様子を見せながら家の中に引き入れていた。
とりあえず、市民は守れた。今度は自分だな。
「痛えな、おい……」
「フィアアアアァァァァァァ!」
俺に睨まれても、フィアイーターは余裕そうに叫ぶだけ。そりゃそうだ。覆面で睨んでも怖くなんかない。
腕に絡みついたリボンをナイフで切り裂く。端材となってもまとわりつくのを掴んで地面に叩きつけ、踏みつけた。
切ってもまだ、新しく絡みついてくる。フィアイーターが徐々にこちらとの距離を近づけながら、リボンを伸ばしているんだ。
これを続ければ、飛んでいるフィアイーターとの距離が詰まり直接攻撃ができるかも。けど、俺の片腕が持たないな。
それから、フィアイーターのリボンはもう一本あることが頭から抜けていた。奴も腕を切られ続けることに業を煮やしたのか、あるいはそういう作戦なのか。もう一本のリボンが不意に俺に迫ってきて、ナイフを握る手首に巻き付いた。
「しまった……」
両腕を掴まれた。しかも、俺よりも力の強い奴に。
ギリギリと腕が締め付けられる。逃れる方法はなく、痛みに耐えるしかない。まずい、どうすればいい?
「お困りのようねー」
すると、背後から声が聞こえた。随分と余裕そうな口調だ。
さっきは、墨がついた顔で人前に出たくないと言っていたのに。
振り返ると、魔法少女シャイニーセイバーが悠々と歩みを進めていた。片手には剣。そしてもう片方の手には、羽子板と羽根を持っている。
いや、なんでだ。さっき公園に落ちてたやつのひとつだとは思うけど。
「悠馬がこっちの方に走ったって聞いたから、駆けつけたのよ。黒タイツたちも、もうすぐ全滅ね。それより悠馬、ピンチね。ちょっと待ってなさい」
一方的に告げると、セイバーは羽根を上に放り投げて、次に羽子板を大きく振りかぶってこれを打った。
魔法少女のパワーによって猛烈な勢いで飛んでいく羽根は、まっすぐフィアイーターへ迫る。フィアイーターも避けようとしたため、直撃はならなかった。
しかし重りのついた羽根が至近距離を通過する際に凄まじい乱気流が発生。フィアイーターはそれに巻き込まれ、上空でバランスを崩して回転を始める。
そのせいで、俺に巻きついたリボンも引っ張られた。
「悠馬踏ん張って!」
セイバーはそれも織り込み済みだったらしく、俺の方へ駆け寄ると剣を振った。腕に巻き付いていたリボンが切断され、その先端をセイバーは握り返して思いっきり引っ張った。
バランスを崩していたフィアイーターが、その勢いに勝てずに落ちてくるのは道理で。
「死になさい! なんか凧!」
とても迫力の無い罵倒と共に、セイバーの剣が凧のボディを一閃。薄っぺらい体のどこにコアがあったのかはわからないけど、たぶん中心を通る線のどこかだったんだろう。
セイバーはその中心を正確にぶった切り、故にコアを真っ二つに砕いたらしかった。
「フィ……ア……」
フィアイーターの体が黒い粒子と共に、壊れた凧へと戻っていく。
俺の腕も解放された。まだ痛みは感じつつ、特に動きに支障はない。
「よし、終わったわねー。帰りましょうか」
「そうだな」
「あのっ!」
不意に声をかけられた。
さっき助けた野球少年が、危険が去ったと見て駆け寄ってきた。
「助けてくれて、ありがとうございました!」
そして朗らかに頭を下げた。
何かあればお礼を言う。両親からそうやって教育されてきたのだろうな。
その両親も家から出てきて、こちらに頭を下げた。市民から感謝されるというのも、いい気分だ。
「良かったな、セイバー」
一応、人前で俺たちが姉弟だと知らせる意味もないから、そう呼びかけた。セイバーはきっと、照れ隠しをしながら帰ろうと促すのだと思う。
けど、そうではなかった。
「……」
「? セイバー?」
セイバーは少年が出てきた家を凝視していた。あるいは、玄関先に出ている少年の両親を、だろうか。
あの家族になにかあるとでも言うように、半ば睨むような目を向けていた。それから剣をぎゅっと握りしめる。
隙あらば、あの夫婦に斬りかかり殺そうって様子だ。
「セイバー、どうした?」
「え? あ」
俺が手首を掴んで再度尋ねたら、セイバーは我に返ったように表情を戻す。
「なんか様子が変だけど、どうした?」
「ううん。なんでもない。なんでも……ほら、行くわよ」
「ああ……」
取り繕うような笑顔を見せたセイバーは、早くこの場から離れたいとばかりに早足で歩き出す。魔法少女の全力疾走をしないのは、俺がついてこれるよう配慮してるから。
俺は少し振り返って、少年とその家族の家を見た。なんの変哲もない、普通の家庭に見えた。
酒井。そんな表札が掲げられている。珍しくもない名前だ。




