10-56.男がひとり消えただけ
それから。
「もしかしてお姉ちゃんに惚れちゃったかなー? まあ、頼れる歳上な所見せちゃったら仕方ないわよねー。ねえ悠馬、文化祭の準備もいいけど、早く帰ってきてほしいなー。晩酌の相手は悠馬じゃなきゃなんかつまらないっていうかー」
「寄るな。離れろ。さっさと帰れ」
雰囲気が急に変わった姉が抱きつこうとしてくるのを、俺は腕を伸ばして阻止することになった。
「本当に、普段は全然駄目なんだよね」
「ちょっと格好いいって思ったら、これだからな……」
「お姉さん! 悠馬を離してください! 嫌がってるじゃないですか!」
「そうだぞ! 悠馬はオレたちと学校に帰るんだから! オレが背負ってな!」
「あー! そうだった! 帰りはバーサーカーに背負わせるって話にしてたんだ。なんとか横取りしようとしてたけど忘れてなかったか……」
「おいライナーそんなこと考えてたのか!?」
セイバーを止めようとしたライナーとバーサーカーは、協力を試みたと思ったら共同戦線は一瞬にして瓦解してしまった。
こいつらは。揃いも揃って。全く締まらない……。
その場はなんとか収めて、当初の予定通りバーサーカーの背中で学校に戻った。
クラスメイトたちはさして不審に思った様子もなくて、不在の間に準備でわからないことがいくつか出来たと言われたから、それに答えてやった。
そうやって準備は順調に進んでいく。
――――
「正蔵さん死んじゃったね」
「そうねー」
仲間が死んだというのに、キエラはあまり気にしてない風に答えた。
あの人をそんなに好きじゃなかったんだろうな。言うこと聞かないし。体を洗っても臭かったし。男だったし。
なんか目がギラギラしてて怖かったし。
「やっぱり仲間にするには、かわいい女の子がいいわね。ティアラみたいに」
「まだ、味方を作るつもりなの?」
「ええもちろん。向こうの方が強いなんて嫌だもの。けどやり方は考えないとね。特別製のコアも新しく作らないとだし。その間も恐怖を集めなきゃだし! もう大変!」
そう言いながら、キエラはティアラの手を握って草原を駆け回った。
愉快そうだった。
――――
『正蔵の遺体は適切に処理されたわ。今は無縁仏として、骨になって眠っている。生前の親族はみんな亡くなってて、引き取り手もいなかった』
ある日学校で文化祭の準備をしていると、樋口からそんな電話が来た。
『正蔵はホームレスたちの中心的存在だった。家を持ってたしね。けど、それを失ってもホームレスたちは変わらない様子らしいわ』
「そういうものなのか? 薄情というか」
『そういう社会なのよ。人の出入りが激しい。人知れず、どこかに行って消えることも、死ぬこともよくある』
独特な社会だ。けど、その形でホームレス社会はうまく回っている。
正蔵は中心的存在だったけど、絶対に必要というわけでもなかった。いなくても社会は続く。
あいつが怪物になって死んだとしても、そこに意味を見出す人間はひとりもいなかった。あいつは、ただのちっぽけなホームレス。それだけだ。
『あの家は取り壊されることになったわ。ずっと放置していた管理会社だけど、知らない間にホームレスが稼ぐ場になってたことは見過ごせない。だから更地にする。なにか立派な家でも立てて、価値をつけて売り出すつもりなんでしょう』
「そうか。わかった」
こうして、正蔵がこの世にいた痕跡は消されていく。
あの家が無くなることは管理会社の決定で、他の何者も口を挟めることではない。けど、この事実を伝えておきたい人はいた。
『あなたが自分で伝えなさい』
「ああ。わかってる」
それは俺の役目だ。
樋口との電話を切った後、俺はすぐに師匠の店に電話した。
正蔵の件が片付いたことと、家が取り壊されることを伝えたところ、彼は穏やかに返事をした。
『そうですか。数十年前の因縁が、ようやく終わったのですね。……あの男は惨めに死んだ。そう言いましたか?』
「はい」
『それが、彼の運命だったのでしょう』
「けど、俺は師匠から学んだ棒術を、あの男には使いませんでした」
『それでいいのです。彼はちっぽけな男でした。悠馬さん。あなたが力を使うべき時は、他にあります。誰のために使う力なのか、よくわかっていることでしょう。あの男のためではない。だからいいのです』
「……わかりました」
「悠馬ー! 誰と電話してるのー? ちょっと手伝って!」
「おい!」
後ろから遥が絡んできた。わざわざ車椅子から立ち上がって、俺の肩を掴んで体重をかけてくる。
「師匠とだよ!」
「そっか! 師匠お久しぶりです!」
『その声は、車椅子のあなたですね。お久しぶりです』
「すいません師匠。ちょっと忙しくて、これで」
『はい。……学校、楽しいですか?』
「? はい」
『それが何よりです。私も人殺しの息子と蔑まれていた頃であっても、学生生活は楽しかった。そこには友がいましたから。悠馬さん。あなたも、今の生活をめいいっぱい楽しんでくださいね』
そうできなかった正蔵と違って。
「はい。もちろんです」
『よろしい』
それから、数度言葉を交わしてから電話を切った。
さあ。師匠から言われたんだ。文化祭はちゃんと楽しまないとな。
俺はこれまで以上に準備に力を入れて、遥たちもそれに付き合ってくれた。
こうして俺たちは文化祭当日を迎えた。




