10-43.過去の因縁
彼の父親は人を殺した。しかし彼自身は何か罪があるわけではない。元来の人柄がわかるような話し声は、こちらの心も落ち着かせるようだった。
「店主さん。あの後、模布市に怪物が出ました。鷹舞公園に、です。ちょうど俺も少し巻き込まれて」
「ほう。そうでしたか。怪我はありませんでしたか?」
「怪我はしていません。けど、あるホームレスの男が怪物になってしまって、それに襲われました」
俺が覆面男で、一緒に店にいた女の子がどちらも魔法少女だとは言えない。言う気もない。
故郷から遠く離れた地で穏やかに暮らす善人を、これ以上面倒ごとに巻き込みたくなかったから。
「その際、棒術で少し身を守ったのですけれど、誰から教えられたかと聞かれました。店主さん、あなたの知り合いかもしれないと思いました」
『ほう。どんな相手ですか? 怪物になった人間というのは』
「あなたと同じか少し年下くらいの歳で、正蔵と名乗っているそうです。ホームレスで、あなたの家……鷹舞公園の近くにある、かつて事件があって何十年も放置されている家に勝手に住み着いています」
『ああ。私の家なんでしょうね。そうですか。新しい買い手を迎えるでもなく、放置されたまま……』
「正蔵という人に心当たりは?」
『さて。聞き覚えはありません。けれどこの人だろうと見当はつきます。ええ、私がまだ模布にいた頃、喧嘩をふっかけてきた相手ですね』
「喧嘩?」
『わたしの父は人を殺しました』
「ええ。そうらしいですね。セールスマンを殺したと聞いています」
『よく調べていますね。調べ物が得意な知り合いがいるのでしょうか』
「ええ、まあ」
昔の無名な事件なんて、調べるのにも手間がかかるもの。一介の高校生がやることではない。
店主は深く聞かなかったけれど。
『ええ、その通りです。しつこい男がいて。後に、詐欺まがいの商売をしている組織の人間だと判明しました。ある意味で、父は家族を守ったと言えるでしょう。だとしても、殺しは殺し。近所からは随分と陰口を叩かれました』
「そうだったんですか」
彼本人は、本当に穏やかな人。本来なら殺人事件なんか一生関わるようなことはあり得ない人間。けれど不幸は起こった。
近しい人から向けられる非難の声と軽蔑の視線。その苦労はどれほどのものだったか。
『居づらくなって、いずれ引っ越すことは決まっていました。しかしどこに行くにしても学は身につけておきたかった。それも大きな街で。だから大学を卒業するまでは住んでいました。経営を学びました』
大きな街にいることはそれだけで有利なこと。アユムが、よくわかるといった様子で頷いた。
『幸い、母の実家は模布市ほとではなくとも都市部で、住みよい場所でした。家業を継ぐこともできた。ですが、しばらく模布市にいた選択は間違ってなかったと思います。……ひとつの出来事を除けば』
「正蔵。というか、師匠にとっては誰ともわからない相手とトラブルになったことですね」
『はい。彼は家の近くの町工場で働いていました』
その経歴はさっき聞いたな。少年院上がりで用意された働き口。
となると、正蔵という男は師匠と同年代か。下手すると年上の可能性もある。
師匠が見た目より若かったというべきかも。落ち着いた雰囲気の人間は、実年齢よりも年上に見えると言うし。
そんな師匠は話を続けて。
『当時、私の家は殺人事件があった場所として、面白がって近くまで行く人が大勢いました。幽霊屋敷……と言われるほど酷い家ではないですが、幽霊が出るかも知れないという意味では幽霊屋敷でした』
人の住んでいる家に肝試しに行くとは、なんて奴らだろう。
『普通の人は、幽霊屋敷に住民がいると知ると、関わらずに帰っていきます。しかしあの男、正蔵はもう少し直情的な人でした』
「師匠に絡んだんですか?」
『はい。人を殺した時のことを教えろと、ちょうど大学から帰ってきた私に話しかけてきて』
めちゃくちゃだな。別に師匠が殺したわけでもないのに。
『他にも、幽霊がいるなら見せろとか、人殺しの子供のくせに偉そうに歩くなとか。色んなことを言われましたね』
「いるわね。自分より立場が下だと見なした人間には、何言ってもいいって思ってる輩。そいつが増長すると犯罪者になるのよ。馬鹿よね」
日頃犯罪者と関わってる樋口が、とてもわかるといった様子で頷いた。あるあるなんだろうな。
『彼はさらに殴りかかろうとしてきました。なのでさすがに耐えきれないと、庭先の箒を使って奴の攻撃をいなし、転ばせました。何かの役に立つと母から習っていた棒術が役に立ちました』
たぶん、あの時フィアイーターと化した正蔵にやったのと同じ動き。
『奴が激昂して、起き上がって何度も立ち上がって襲いかかっても、わたしの敵ではありませんでした。諦めるまで何度も転ばせましたよ。……結局、彼が転がっていた石で顔に傷を作ったことで、恐れをなして逃げたようです』
あの傷も、師匠が作ったのか。
「さすがです、師匠」
「悠馬の、あのおじいさんへの信頼がよくわかんないんだよね」
「オレはわかるぜ。格好いいものに惹かれるんだよな」
そこのふたり、うるさい。




