10-12.愛奈は怖がる
自前で用意して鞄に入れてたのだろう。安っぽく薄い生地の和服的な衣装と、同じく白くて細長い帯。
結ぶのが下手すぎる上に床を這ったものだから、前が開きかけていて胸の谷間というか下着がチラ見えしていた。
もちろん凝視なんかしてないぞ。すぐに目を逸したから。
「ちょっと!? なんで見ないの!?」
「怖くないから」
「え? 怖くないの? なんか雰囲気出そうとしたんだけど」
「出せてないからな。見慣れた俺の家だし、遥だってわかるし。なんか衣装とかも雑だし」
「ほら見て。血の涙メイク。つむぎちゃんに手伝ってもらったの」
「はいはい。わかったから。近づくな」
キッチンで物陰に隠れて着替えるのに、俺やラフィオが一緒にいるのはまずいって理由でつむぎを連れていったのはわかる。
その配慮ができるなら、俺に接近するのはやめろ。ゆるゆるの開いた和服を上から覗き込んだら、いろいろ見えてしまうから。
「こら。あまり悠馬に近づかないの。というか、帯解けかけてるわよ? 直してあげるから」
と、樋口が割って入ってくれた。助かった。うん、助けてくれたんだと思う。
「ありがとうございます。樋口さん、わたし怖かったですか?」
「あんまり。知り合いだってわかってたからね。というか昭和が舞台のお化け屋敷なら、白装束って時代が違うんじゃないかしら」
「確かに! ……じゃあ昭和らしい幽霊ってどんな格好してるんでしょう」
「わたしに聞かないでよ。当時の写真とかテレビとかを参考にしなさい」
「バブル時代とかの?」
「もうちょっと前じゃないかしら?」
「難しいなー。昔のことわかんないし! 死んだらお葬式でみんなこの服着るから、それでいいじゃん!」
何にキレてるんだ。しかも公安相手に。
寛大な大人である樋口は怒り返すこともなく、淡々と続ける。
「研究を続けなさい。あとそのメイクも、正直あまり怖くはないわ」
「えー! そうですか……。樋口さん、お仕事柄死体とか見慣れてるんですか?」
「慣れてはないわよ。見ても怯えないだけ」
「本物の死体っぽいメイクの仕方、教えてください」
「メイクは詳しくないの。というか、そういうのは本物のお化け屋敷とかホラー映画で学びなさい」
「そうだ。アユムがお化け屋敷行ったこと無いって言うんだ。今度の週末行かないか?」
「悠馬と遊園地デート!? 行く行く!」
「お前話聞いてないだろ」
アユムも一緒に来るんだよ。だからデートじゃない。
「悠馬さん悠馬さん。わたしたちも行ってもいいですか?」
少年姿のラフィオに後ろから抱きつきながら、つむぎが尋ねた。ラフィオは疲れた顔をしながらも、別に反対する様子はない。
「いいぞ。一緒に行こう」
「つまり、ダブルデートってこと?」
「俺たちはデートじゃないからな」
遥は俺の話など聞いてない。急に思いついた様子で。
「そうだ! この格好みんなは怖がってくれなかったけど愛奈さんだけは怖がってくれるはず! よし! 行ってきます! 悠馬も来る?」
「……行く」
別に愛奈が怖がってる所を見たいわけじゃない。ただ、俺がいないと収拾がつかなくなる気がして。
「アユムも一緒に来てくれ」
「オレか? わかった」
楽しいのか、白装束で松葉杖を使ってスキップみたいな動きをしながら向かっていく遥から少し遅れて、アユムもこっそり連れて行く。
風呂場に行くと、ちょうど愛奈が出てきたところだった。バスタオルを体に巻いて自室まで行こうとしたその前に、這いつくばった遥がいる。
「う゛あ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛ぁ゛」
「ぎゃぁぁぁぁぁぁ!」
うるさい。
目の前のそれが幽霊と認識した愛奈は腰を抜かしてしまった。その拍子にタオルが解けてしまう。
「はい。驚かすの終わり。効果があるってわかったんだから行くぞ」
「あ! 待って! まだ足りない! どんな風にするのがいいかの研究とか! ヴぁ゛ぁ゛ぁ゛!」
「アユム。姉ちゃんにバスタオルかけておいてくれ」
「なんでアユムちゃんまでいるの!?」
遥の足首を掴んで引きずり、リビングまで戻す。
もう片方の途中までしかない足がバタバタと暴れて裾がめくれて、下着が見えそうになっているのから目を逸した。
こいつは根本的に、和服で過ごすのに向いていない。
「悠馬。愛奈気絶してたぞ」
「わかった。起こしてくる。タオルは?」
「かけておいた」
「ありがとう。遥を着替えさせてくれ。この格好はすぐにやめさせる」
「おう。任せろ」
「え。アユムちゃん待って。落ち着いて! なんで脱がそうとしてくるのでしょうか!? あーれー!」
床をゴロゴロ転がりながら帯を解かれる遥。なんでちょっと楽しそうなんだ。さらにアユムが白装束を剥ぎ取りにかかった。
あられもない姿にされていく遥を見ないようにしながら、俺は風呂場に戻った。
「うーん……」
壁にもたれかかるように座らされた愛奈の体には、白いバスタオルがしっかりかけてあった。
「姉ちゃん。おい姉ちゃん。起きろ。なんかすごい悲鳴が聞こえたけど、大丈夫か?」
「うあっ!? ……なんだ悠馬か。ねえ聞いて。なんだか、すごく怖いものを見た気がしたの」
「怖いもの?」
「よく覚えてないけど、幽霊みたいな」
「そんなものどこにもいないぞ。夢でもみたんじゃないか?」
「夢?」
「酒飲んで風呂なんか入るからだ」
「あー。それやるとフワフワして気持ちいいんだけど、しすぎて幻を見ちゃったかな」
「たぶんそうだな。確実に体に悪いから、ほどほどにしろよ」
「うえーい。それもこれも、遥ちゃんが怖い話なんかするのが悪いのよ。お化け屋敷なんかにのめり込みすぎ」
原因が誰かは理解しているあたり、さすがだ。




