8-37.モフミドロのフィアイーター
「キエラ……」
小さい方の少女の顔は初めて見る。けど確信は持てた。怪物騒ぎの元凶だと。
名前を呼ばれて、彼女もすぐに反応した。
「あら。わたしのことを知ってるの? 光栄……なことではないかもしれないわね」
「逃げなさい」
キエラの言うことは無視して、樋口は浩一たちに静かに指示を出す。突然出てきた少女たちに、若いカップルは狼狽えて動けないようだった。
「逃げて。今から怪物が出現する。怪我しないうちに逃げなさい!」
鋭く叫ぶように言えば、彼は恋人の手を掴んで外に駆け出していった。
「なによ。恐怖をくれる人間を追いやらないでよ。あなた何者? わたしたちのファン? だったら邪魔しないで」
「ファンのはずがないでしょ。おとなしく帰りなさい」
「嫌。せっかく来たんだもの。フィアイーターを作って恐怖を集めないと」
「やめなさい!」
キエラがコアを、モフミドロのスーツに押し込もうとしたのを阻止しようと手を伸ばす。しかしティアラが前に立ちはだかった。
樋口の手を掴み返し、押し合いになる。が、樋口はすぐに危険を感じた。ティアラは今や怪物の一種だ。腕力は向こうの方が上。それどころか、掴んだ樋口の手を、力を込めれば骨まで砕けそうな力を有しているらしい。
ティアラが口元に微かな笑みを浮かべ、手を握りしめようとした。まずい。樋口は咄嗟にティアラの腹を蹴り上げつつ、彼女の手を振り解いて距離を取った。
「ふふっ。今のあなたが感じた恐怖、結構美味しかったよ」
これが怪物のものでないなら、綺麗な笑顔だったのに。ティアラは今の自分の状況を楽しんでいる様子だった。
その間にも、キエラは黒い布にコアを押し付けていた。
薄暗い倉庫が、一瞬の間だけ完全な闇に包まれる。
光が戻ったときには、そこに一体の怪物がいた。
シーツをかぶっておばけを表現したようなシルエットの怪物。ただし白いシーツではなく漆黒で、表面は藻のように細長い布がいくつも生えている。
足はシーツの裾に隠れて見えないけれど、両腕は布を突き抜けて存在していた。その表面の質感も藻に似ているようだ。
しかも若干巨大化しているようだ。身長は二メートル半を超えていて、天井に頭がぶつかりそうになっていた。
吸血鬼モフミドロと人々が噂している怪物そのものの姿が、倉庫内に現れた。
「フィアァァァァァァ!!」
奴は咆哮をあげて、周りの水槽をなぎ倒しながら樋口に向かっていく。
これは自分ひとりでは勝てない。樋口はすぐに判断して、踵を返して逃げる。そしてスマホでフィアイーター出現の通報をした。
「た、助けてくれ……」
力なく叫ぶ声。そうだ、縛りあげられた教授のことを忘れていた。浩一は手足をしっかり縛ったらしく、教授は芋虫のように這うくらいしかできない様子。
見捨てることはしたくない。けど、奴を引きずっていたら自分も怪物に追いつかれて、殺されることだろう。ビニール紐を切る道具も手元にはない。
もう少し、救いたいと思える人間なら努力はしたかも。けど彼はそんな人間でもない。そこの判断は、警官として失格かもしれないとは少し思う。彼は事件の重要参考人だ。
けど、救う方法も思いつかない。
判断は一瞬だった。懇願するような視線を送る教授を振り切り、樋口は走った。
背後で、彼の情けない悲鳴が聞こえた。それから、恐怖を手に入れたことに満足するような少女の笑い声。
階段を駆け上がりながら、樋口は魔法少女たちに連絡した。
――――
「ラフィオ。お腹すいた。昼ごはんどうする?」
「作るか。そうめんでいいか?」
「うん。いいよー。細長い卵焼き作って」
「錦糸卵だね。わかった」
悠馬は遥の家から一日戻らないだろうし、昼食はふたりで食べることになる。
そうめんなら楽に作れていい。夏っぽいし。
ソファから立ち上がったところ、不意に怪物の気配を感じた。
「つむぎ。フィアイーターだ。昼食前にひと働きしてくれ」
「うん。わかった。場所まで乗せていって! デストロイ! シャイニーハンター!」
空腹を少し我慢しながら、つむぎは魔法少女に変身していく。ラフィオも、体を巨大化させた。
「闇を射抜く精緻なる狩人! 魔法少女シャイニーハンター!」
「乗れ。すぐに片付けるぞ」
「うん! 終わったら、悠馬さんたちとご飯にしなきゃね!」
ハンターを乗せたまま、ラフィオは跳躍。隣の家の屋根に跳び乗り、さらに別の屋根へと移りながら現場に向かっていく。
――――
「先輩! フィアイーターです! 模布大に出たそうです!」
「えー。またー? あの大学に、フィアイーターを引きつける何かがあるの?」
「わかりませんけど! 行きましょう! 運転しますから!」
「あー。ここからそんなに離れてないのね」
外回り中。昼休憩ということでコンビニで買ったおにぎりを車内で頬張っていた愛奈たちも、樋口からの通知で敵の出現を知った。
麻美はすぐに車を出して、大学に向かう。怪物が人目につく場所まで移動したのか、通報が一定数以上になってスマホから警報音が鳴り響いた。
「つまり樋口さん、怪物が出てくる場所にあらかじめいたってことかしら」
「そうなりますね。事件現場に出てきたとかかも」
「だったらあの人も大変ねー」
「先輩。今のうちに変身しておいてください」
「ええ。ライトアップ! シャイニーセイバー!」
走行中の車の中であっても、何事もなく変身は完了した。
「闇を切り裂く鋭き刃! 魔法少女シャイニーセイバー!」
「先輩! もうすぐ大学です!」
「ええ。ここからなら走って行った方が早いかもね! 麻美ここまでありがと!」
「わたしの手伝いはいりますか?」
「私の代わりに行ける外回りやっといて!」
「了解です!」
後輩にいい感じに仕事を押し付けながら、セイバーは車から飛び出してキャンパスに向かっていく。
「あー。わたしより高学歴の人たちが怯えてるのを助けるの、なんか気持ちいいわねー」
浅ましい独り言を、誰にも聞こえないように口にした。




