8-33.モフミドロの広がり
朝のまだ早い時間だけど、残暑は厳しく蒸し暑い。それでも公園では、子供たちが元気に遊んでいた。
「トンファー仮面参上!」
ごっこ遊びかな。トンファー仮面になりきった少年が、勇ましくポーズをつけていた。対峙するのは、悪役の少年。
「吸血鬼モフミドロ! お前の悪さもここまでだー!」
「マジか」
敵として設定されているキャラに、俺は思わず独り言を口にしてしまった。
モフミドロってつまり、あの噂のモフミドロなんだよな? 子供にまで広まっているのか。
「殺人犯がモフミドロだって考えている人、結構いるみたいだね。どこまで本気かはわからないけれど」
遥がスマホを見てわかったことを教えてくれた。与太話のはずなのに、なんでそんなことになった。
「お祭りの時のフィアイーターを撮影した人がいるんだよ。神社の所でだろうね。それがこれ」
既にネットのあちこちに転載されて有名な画像になっているらしい。
苔むした石のフィアイーター。それを慌てて撮ったから、かなり手ブレが激しい写真になってしまっていた。
結果として緑色の苔が強調されて、一面を藻に覆われた怪物に見えなくもない。これがモフミドロだと堂々と説明を添えれば、信じる人は多いだろう。
これが仮にモフミドロだとしても、魔法少女たちが倒した。だからもう出てこない思えるのは、当事者である俺たちだけだ。
苔の怪物が倒された後も殺人は起こった。第二のモフミドロが街に潜伏しているのではと人々は考え始めていた。
「いない怪物を怖がるなんて、馬鹿なことだよねー」
「不安なんだろ。殺人が起こってるのは本当なんだから」
子供が遊ぶ時のキャラクターに使われるのだから、そこまで恐れと共に受け止められているわけでもないのかも。
良くも悪くも、ネットのノリで生み出されて娯楽として消費される存在になってしまった。
犯人が捕まればモフミドロという謎のキャラだけが残り、それもいずれは忘れ去られるだろう。
「見て見て。ファンアートとかも作られてるよ」
「そうだな。調べるのはそれくらいにしようか」
「えー。でも」
「遥。宿題しないといけないだろ?」
「や、やだ! 絶対に嫌だ!」
夏休みも残り少なくなってきた。ちゃんと宿題を完了させてやらないとな。
学校では、俺の彼女ってことになってるんだ。彼女が落ちこぼれでは、俺の評判にも関わるから。
――――
夏祭りの日、そして最後に殺人事件が起こった日から、浩一の態度はさらによそよそしく、疲れているように美穂には見えた。
まるで、他に気にしなければいけないことがあるとでも言うように。例えば、誰にも打ち明けてはいけない研究のこととか。
彼は血にまつわる研究には関わっていない。血の研究は、教授と院生でやっている。樋口はそう、安心させるように電話してきた。けど、不安は募るばかりだ。
浩一は卒業せず、院に上がるつもりでいるらしい。ということは、今は違っても将来的には研究に関わることになるはずだ。
だったら、今から手伝うくらいはしてもいいはず。で、成果を上げたい一心で非道な手段に手を染めたのだとしたら。
馬鹿げた話だとは思う。けど、一人でいたら不安で仕方がなかった。
誰かに相談すべきだろうか。樋口に話しても、心配ないと宥めてくれるだけ。友達と会うべきかな。けど、みんな忙しくて相手してくれない。バイトだったり彼氏とデートだったり、帰省していたりで。
暇なはずで、美穂と浩一両方の友達にメッセージを送ってみたけど、既読もつかなかった。
リビングの椅子に座って、誰かから返事が来ないかと待っていると、不意に電話の着信が来た。
浩一からだった。
「は、はいっ!?」
『大丈夫か、美穂。今電話して良かったか?』
慌てて出たから、声が上擦ってしまった。それを、電話の向こうの彼氏は少し不思議そうに尋ねた。
「だ、だい、大丈夫! 大丈夫よ! どうしたの、浩一。急に電話して」
なんとか気を落ち着かせて返事をする。あなたのことを疑って、いろんな人に相談しようと考えていたなんて、口が裂けても言えない。
向こうも、それについて深く尋ねることはなくて。
『美穂、お前、しばらくは大学に用事なんかないよな?』
「え? ない。ないよ。卒論のための研究は家でやるから」
『そ、そうか。そうだよな』
「浩一、なんでそんなこと訊くの?」
まるで、美穂が大学に行けばなにか都合が悪いみたいな言い方だった。
見られたくない物がある、とか。
『なんでもないんだ。ただ、絶対に大学に来るな。しばらくは家でじっとしててくれ』
「う、うん。わかった……」
その剣幕に、美穂はおずおずと同意するしかなかった。この返答は、彼を安堵させたらしい。
『ありがとう。なあ、美穂』
「うん」
『好きだ』
「うん……」
その言葉に、嘘はないように思えた。けど、なにか大きな秘密を隠しているのも事実。
浩一はそのまま電話を切ってしまった。後には、悩みがより深刻になった美穂だけが残される。
友達からの返事はまだ来ない。
家族に相談する? けど、両親は仕事に行ってていない。この家にいるのは。
「あんた、いつかのあたしみたいな顔してるね」
「え?」
働きもせず居候している、周子伯母さんが不意に話しかけてきた。




