8-14吸血鬼モフミドロ
現場で目撃されたという、緑色の物体。それが藻に例えられたことだけなら、単なる偶然と言えるだろけど。
「生き物の血液から抽出される成分で育成が進む藻が発見されたって、彼が電話で話しているのが聞こえて」
「……」
それは不穏だな。
「もしかしたら、浩一が事件に関わってるんじゃないかと思ったんです。彼に電話して見たんですけど、心配しなくていいって言うだけで」
「でも不安だから、わたしに相談したわけね」
ちょうど警察の知り合いができたから。偶然というかタイミングが良かったな。誰かにとっては悪いのかもしれないけど。
「あの。樋口さん。わたしどうすれば」
「落ち着いて。知ってることを教えてください。そして、あとは警察から言われるまでは気にしないこと。今後も、土居浩一とも恋人でいたいんでしょう?」
「は、はい! もちろんです!」
「だったら、不安を本人に悟られないようにすること。確かに事件と彼の属性は一致している。けど、それで事件関係者だと断定するのは気が早いわ。無関係かもしれない」
「そうでしょうか……いえ、そうですよね。浩一が、そんなことするはずがないですよね!」
「ええ。そうね」
事件関係者が、必ずしも犯人そのものを指すわけではないのだけど。美穂は視野狭窄になってしまっている。それでも恋人を信じる気持ちだけは立派だけど。
「そんな、藻の怪物に人を襲わせるなんてするはずないですよね!」
「……はい?」
なにか、とんでもない妄想をしているらしかった。
浩一が被り物をした上で、女性を襲って血を抜き取り逃走した。そんな犯罪を心配しているのではないかと思ったんだけど。
「ネットで話題になり始めてるんです。吸血鬼モフミドロ」
「モフミドロ」
「巨大な藻がお腹を空かせているから、水槽から出して人を襲わせて血を吸わせてるんです……」
「映画の見すぎよ。斉藤さん。あなた、大学の研究テーマは?」
「戦前から戦後にかけての海外の怪奇映画の受容の歴史です」
「そう……」
昔の怪奇映画の感じそのものだ。よく似たタイトルの日本映画も知っている。というか、名前をつけたネット上の誰かが元ネタにしたのもそれだろう。模布市の事件だからモフミドロ。
卒論のためにその手の映画を見ていた美穂も影響を受けてしまった。恋人が関係者っぽいのも、拍車をかける要素だ。
「レールガンでしたっけ。そんなSFみたいな物を作れてしまう街ですし」
「あー。まあ、そうね。あれはこの街の職人が頑張った結果ね」
それでも、大きな電源車が無いと撃てない代物。藻の怪物なんかよりずっと現実的な兵器なんだけどな。
「落ち着きなさい。そんな生物は、たぶんいない。ネットの噂に惑わされないで」
「そ、そうですね。ごめんなさい。なんか混乱してて……」
気持ちはわかる。恋人を疑うなんてしたくない。自分でも罪悪感があって、心が弱っていたのだろう。そんな精神状態では、荒唐無稽な与太話も信じてしまいがちだ。
「あなたは恋人のことを信じなさい。教えてもらった情報は、捜査関係者に伝えておくわ。なにかわかったら連絡する。それまでは行動を起こさず普段通りにしておきなさい。いいわね?」
「はい。わかりました……」
とりあえず納得はしてくれたようだ。あとは土居浩一という男について調べないとな。
人の調査と監視なら公安の得意事項。県の公安課にお願いしよう。けど、やりすぎると県警の捜査班との関係が悪化するな。それはそれで避けたい。
ここから先は政治の問題だ。
面倒なことになった。
――――
「吸血鬼モフミドロ……?」
夜。俺のマンションまで来た樋口が大真面目に言ったことに、俺は怪訝な声で返した。
酒を飲んでる愛奈も手を止めて樋口の方を見て首をかしげるし、夕飯を作りに来た遥も同様。
つむぎはモフという言葉に素早く反応していたが、なにか言う前にラフィオに止められていた。
実際にネットで調べた所、その言葉はトレンドランキングの上位に登っていることが判明。言葉を作ってSNSに投稿したアカウントは、舞い上がって随分と調子のいい呟きを繰り返している。
具体的には、モフミドロなる怪物の性質はこんなものではないかと、あれこれ想像を巡らせている。この人の中では、モフミドロは実在することになってるらしい。
「一般人が急に注目を浴びて調子に乗る。よくあることよ。考えたモフミドロの性質っていうのも、元になった大昔の映画に出てくる怪物を参考にしてるだけだし」
そんな映画があるのか。
とにかく、そんなネットの書き込みを信じ込むものではないな。バズった本人が嬉しいのはわかるけど。
「こういう時に気をつけないといけないのは、過去にまずい投稿をしていないか振り返って、ちゃんと消しておくこと」
「……というと?」
「アカウントが有名になると、過去の投稿も掘り起こされる。軽犯罪行為をやった自慢とか、差別的な発言とか。無名で見る人もいなかった時の投稿が、再び日の目を浴びたらどうなるでしょうね」
このアカウントが炎上しないよう祈るばかりだな。




