7-32.まるで子守り
と言っても、つむぎのスイミング講習は順調に進んでいるようだった。
腰くらいまで水面が来るところまで歩いて、そこでしゃがんで海中に潜る練習。そこでブクブクと息を吐いて、少ししたら立ち上がって呼吸する。
そうやって、少しずつ水に慣れていく。
「最初は浮き輪使って泳ぐのもありかもね。絶対に沈まないし」
「ひっくり返ったら大変だけどな」
「まあねー。でも、それでもすぐ体勢変えやすいじゃん? 持っていってあげようよ」
浮き輪は用意している。そのひとつを、遥は口をつけて膨らませ始めて。
「つ、疲れた……悠馬代わって……」
すぐに息切れして、俺に渡してきた。いいけどな。
「ちよっと待ったー! 間接キスに持っていこうとしない!」
愛奈がすかさず、身を起こして抗議する。ああ、そういう意図があったのか。
それはいいんだけど。
「お姉さん、ブラ外したままですよ」
「ひぁっ!?」
慌てて胸元を押さえて、シートの上の水着を掴んでつけ直していた。そして俺の手から浮き輪をひったくる。
「いいわよ。浮き輪ならわたしが全部膨らませてあげるから……」
「そうですか! じゃあ、わたしはちょっと悠馬と一緒に泳いできますね! お姉さん頑張って!」
「ちょっ!? お姉さん言うな! てか待って! 麻美! あなたも手伝って!」
「仕方ないですねー。では、このサメのフロートを。……というか、なんでサメなんですか? シャチだと似たようなもの、よく見ますけど」
「なんか格好いいでしょう?」
「え!? 先輩のチョイスなんですか!?」
「えへへっ! 悠馬行こっ!」
「あー。うん。剛。つむぎたちの見守りお願いできるか?」
「うん。任せて。遥ちゃんも気をつけてね」
「はい! 片足無くてもなんとか泳いでみます!」
俺は遥を支えながら海に向かっていく。
ちよっと泳ぐにも騒がしいんだよなあ。
泳ぐための最も基本的な動作は、バタ足だ。それがあれば水中ではとりあえず前進することができる。動きも単純で誰にも習得しやすい。
が、片足がない遥はそれができない。片足だけバタバタさせても推力は得られるけど、左右のバランスの違いから真っ直ぐ泳げないだろう。
海上で、いつの間にか変な方向に行ってましたとかは避けたい。
というわけで。
「えへへー。悠馬、手を離さないでね」
「ああ。わかってる」
俺が立った時に海面が胸くらいまでの深さの場所まで、遥を支えながら歩く。
そして遥の両手を握った状態で、浮いてもらった。
不完全なバタ足で進む遥と向かい合うようにしながら、俺は後ろ歩きで進む。足がつかない所は危ないから、沖に出ないように気をつけながら歩き回る。
泳いでいるような、あるいは手を取り合って踊っているような。不思議な体勢。
「なんか、お父さんに初めて泳ぎを教わってる気分」
「誰がお父さんだ」
「でも、悠馬っていいお父さんになれると思うよ」
「ちょっと想像できないな」
「あはは。ねえ、わたしはいいお母さんになれるかな?」
「なれるだろ。面倒見もいいし。家事も得意だし」
「えへへー」
「そこまでよ! 面白い泳ぎ方してるのはいいけど、なんか不穏な会話は許さないから!」
サメのフロートに跨りながら、愛奈がやってきた。あれ、上でバランスを取るの結構大変なんだよな。
「……お姉さん」
「なによ」
「お姉さんって、サメと似てますよね。胸の真っ直ぐさとか」
「面白いことを言うわね。遥ちゃんのこと、サメに食べさせちゃおうかしら」
「ふふっ。わたし魔法少女だから、サメにも勝てます! さあ勝負ですサメお姉さん!」
何の勝負なんだ。
遥は俺から手を離し、即座にサメのフロートに掴まる。流線型ボディのサメは少しのバランスの崩れで容易にひっくり返る。むしろ愛奈がここまで乗ってこれたことがすごい。
「わっ! ちょっと! 待って! うわっ!」
パシャンと音がして、愛奈が海に投げ出された。
「見たかー! 邪悪なサメをやっつけたぞー」
神話の英雄気取りみたいな口調で、遥はひっくり返ったサメに抱きつき、浮いていた。これなら俺の手助けが無くても溺れはしないな。
「わっ! 悠馬! 助けて溺れちゃう!」
一方の愛奈はといえば、水面でわざとらしく手足をバタつかせていた。
「落ち着け。普通に足がつく深さだぞ」
現に俺は立ち続けている。
「そうかもしれないけど、沈んじゃうかもー」
水面に仰向けで普通に浮いていて、何が沈んじゃうだ。
「悠馬ー。砂浜まで運んでー」
「まったく。遥、そこで待ってろ。サメから手を離すなよ」
「えー。お姉さん戻したら、またわたしと一緒に泳いでねー?」
「わかったよ」
子守りって忙しいな。
水中で愛奈をお姫様抱っこして、そのまま海岸に上がる。
水に濡れているとはいえ、着ている水着の布面積が小さいのもあり、別に重くはなかった。
「あ、なんか今、本当に溺れていた所を素敵な男性に助けられたってシチュエーションっぽい」
「姉ちゃんが元気そうで何よりだよ」
そんなに元気なら、溺れることもないだろう。というか、愛奈は普通に泳げる人間だ。
「先輩おかえりなさい。悠馬くん、女の子に挟まれて大変ね」
「本当だよ。しかも片方は実の姉」
「先輩、あんまり弟さんを困らせちゃ駄目ですよ?」
「姉弟だからいいのー。悠馬、そこに寝かせてください。うつ伏せにね」
「はいはい」
愛奈の体をお尻から下ろして、肩と腰を持ってすくい上げるように体を転がして反転させた。
「ぐえっ! ねえ悠馬!? お姉ちゃんの扱いが雑じゃないかしら!?」
「姉弟だからいいんだ」
「たしかに、姉弟で似てるのかもね」
「どこがだ」
「どこがよ!?」
麻美が笑いながら言ったことに、声を揃えて反応してしまった。今のは言い訳きかない。血の繋がりを感じてしまう。




