5-54.更紗の父
その車椅子の持ち主である更紗は、園の子供たちとトランプに興じていた。あの生意気な克彦や、目の見えない達也も、そして健常者の彼方も含めてだ。
更紗は遥が来たことに気づいたようだ。彼方に押してもらいながら、こっちに来た。車椅子が止まると、更紗は彼方にありがとうと、小さな声でお礼をした。
「あの。神箸、遥、さん。この前はごめんなさい。あたし、寂しくて。お母さんにもあんまり構ってもらえなくて。ついあんな態度を」
「わかってくれて嬉しいよ。これからは、お友達と仲良くできるよね?」
「はい。頑張ります。けど……ええっと。家に帰ったら寂しいのは変わらなくて……。こんなどうしようもないこと、相談しても困らせてしまうだけなのはわかってるの。けど」
「うんうん。不安なことがあったら口にするのは大事だよ」
「そ、そう……なのかな……?」
坂本家の家庭事情は、俺たちにはどうしようもできない。更紗の知らない事実として、彼女の母親はしばらく入院が必要だし豹介は死んだのだけど。彼女の家庭環境がこれから好転するかは不透明だ。
そう考えていたのだけど。
「更紗! 無事か!?」
外の方から声がした。
園の先生方がなんとか止めようとしているけれど、男がひとり中に入ろうとしている。部外者が容易に入ってきていい場所ではないのだけど。
中年の男だ。あの顔、どこかで見たことが……。
「あ、不審者」
そうだ。前に園に来たときに軒先で見かけた、じっと園内を伺っていた不審者の男だ。こいつ、なんでまた。
「お父さん……?」
直後に、更紗が奴の正体を口にした。
お父さん?
もしかして、離婚していなくなった父親?
「失礼ですが、お名前は?」
男の前に立ちはだかり、訊ねる。この前、樋口に教えてもらった更紗の旧姓は。
「こういう者です。更紗の父親です」
名刺を見せてきた。俺も名前を知っている、地元の大手製造メーカーのマークがついている。
名字はそうだ、遠藤だ。名刺の印刷もそれを証明していた。
「更紗。良かった。近くに怪物が出たって聞いて、気が気じゃなかったんだ! 母さんに連絡しても出てくれないし。怪我はなかったかい!?」
身を引いたの横を通り、男は更紗の前で膝をつき、彼女の手を取った。
「だ、大丈夫よ。でも、え、あー……」
「心配してくれてありがとう」
「ええ! 心配してくれてありがとう、お父さん!」
こういう場合にどう返事をすべきかわからなくなった更紗に、彼方がそっと耳打ちをしていた。
「良かった。本当に……母さんはどうしている?」
「ええっと。さっきはいたんだけど、怪物に襲われて……どうなったかわからないの」
「そうか。……ごめんな。更紗が病気になったって知って、助けになりたかったのに、母さんからは関わるなって言われて。遠くから見守るしかなかったんだ」
だから、あんな不審者みたいな感じで園内を覗いていたのか。
「父さん、今度東京の営業所に転勤になったんだ。そこに、更紗と同じ病気の人たちが集まるサークルがあるって、調べたんだよ。ほら、これだ」
「あたしの病気の……仲間がいるの?」
「そう。障害に理解があるスタッフに助けてもらいながら、同じ悩みを持っている仲間と話せば、きっと得られることがあると思う。どうかな。一緒に来てくれると、悪いようにはならないよ」
「それは……わかるけど……でも」
ちらりと彼方の方を見た。
ふたりは和解して、友達になったんだろう。なのに東京へ行く父についていくってことは。
「そうだよね。こっちには友達もいるだろう。更紗は優しい子だから、別れるのは辛い。母さんの意見もあるだろうし」
「ええ。そうよね。ええっと……彼方はどう思う?」
「わ、わたし? えっと……もちろん、更紗がやりたいようにするのが一番なのは大前提だよ? その上で、そこのサークルの人と交流するのは、更紗のためになると思う」
「そう、かな?」
「うん。更紗の気持ちも、悩みも、経験してる人たちだから。それに……わたしたち、離れてても友達だよ? なにあったら電話してね。寂しくなったら戻ってくればいいんだよ。試しに行ってみてもいいんじゃないかな」
「……ええ。ええ! そうよね。お父さん! わたし、お父さんに着いていきたい! 実はね、お母さんそんなに好きじゃないの」
「更紗。あんまりそういうことは、言わない方がいいよ。言うにしてもゆっくり。お父さんが困るから」
「そ、そうよね! とにかく、お父さんと行きたい!」
「そうか。わかった……でも、お母さんのことも教えてくれ。なにか困っているのかい?」
「ガラの悪い男と付き合ってました。絶対に更紗の教育に良くないです。あれはたぶん、闇金の取り立て役とかが仕事ですね」
俺が隣から補足してやった。たぶんじゃなくて公安お墨付きの情報なんだけど、本当は俺がそんなこと知ってるはずがないから断定はやめておいた。
父親はかなり驚いていたけれど。
「更紗、それは本当なのか?」
「ええ。本当よ。ヒョウさん、本当に怖い人で……確かに、取り立てがどうとかよく話してた。というか、なんであんたがそんなこと知ってるのよ」
「内緒だ」
俺は、本当は豹介って奴と面識がないはずなんだ。
あくまで推測なんだよ。
「怪しい……まあいいわ。彼方から伝わったとかでしょ」
「そうそう。彼方から聞いたわたしが悠馬に伝えたんです! えへへー」
遥が誤魔化せば、そういうこともあるかとみんなが納得してくれた。
こういう所が、遥の美点だな。




