5-24.筋肉が動かなくなる病気
表面的には先生たちが取りなして、お外で楽しく遊んでいるように見える。けどあからさまに、こちらを気にしていた。
「なにか手伝えることはあるかしら?」
愛奈がこっちにきて、話しかけてきた。
「姉ちゃんは彼方の所にいてやれ」
「なんで……かは、悠馬にもわからないのよね」
「うん。でも、さっき彼方が姉ちゃんとくっついていたの、無関係じゃなさそうだ」
「そうね。年上に頼りたかったのかもしれないわね」
愛奈も頷いて、彼方の方に歩み寄っていく。
「澁谷、撮影は」
「ええ。今はカメラは止めてるわ。……マスコミ的には、トラブルは美味しい場面なのかもしれないけど」
「澁谷は、そういうのを望む種類の人間じゃないものな」
「ええ。だから中央では働けなかったのかもね。とにかく、遥ちゃんの家庭のプライバシーに関わることだし、記録はしないわ。ドキュメンタリーの趣旨にも沿わないし。ちょっと園の人と話してくるわね」
「ありがとう。俺も。なあ克彦」
「俺のこと、頼りになるって思ったか?」
俺が園の事情を訊くとしたら自分だと、この少年は確信していたらしい。上機嫌で、足を引きずりながら歩いてくる。その後ろを達也もついてきていた。
ちょっと癪だが、その通りだから頼らせてもらおう。
「ああ。あの女について教えてくれ」
「坂本更紗。中学二年生。見た通り、嫌な奴だよ。生意気で癇癪持ち。自分が一番偉いと思ってる」
「それは見たらわかる」
客観的な情報量はほとんど増えてない。
彼方のクラスメイトなら学年も同じだろうし。あの女の態度が、他のみんなにも好ましいものではないと映っているとだけは確認できた。
「あの子はなんて障害なんだ?」
「なんか難しい名前の病気だよ。筋肉が動かなくなるって」
「正確には、筋肉を動かすための神経の病気だ。筋肉は脳からの命令が神経を通って動くんだ。その神経が衰えていく、らしいよ」
中学生の少年が、車椅子を動かしながら近づいてきて説明を引き継いだ。彼も通っている学校が違うのか、更紗に関して限られた情報しか持ってないようだけど。
筋肉の仕組みについては、なんとなくわかるとも。
「筋肉が動かないという結果は同じだから、使われなくなった筋肉はどんどん痩せ衰えていく。そして、この病気は進行性だ」
「というと?」
「神経の衰えは徐々に進んでいく。今、軽い物が持てたとしても、将来はできなくなる。喋ることも、いずれはできなくなるだろうね」
「そうか……」
それは、かなり辛い病気だ。
「まだ子供の女の子が発症するのは、珍しいことらしい。けど彼女のような例は他にもあるはずだよ」
「病気なんだよな? 治療は」
「詳しい原因がわかっていないそうだ。だから治療法は、今はない」
「あの子が発症してからどれくらいかは、わかるか?」
「いいや。けれど園に来たのは、一年ほど前だ」
建物の方を見る。
発症したのは一年以上前なのかも。けれど、この病気は段階的に進んでいくもの。ある瞬間から車椅子が必要になり、障害者と呼ばれる人間になった。
体が徐々に動かなくなっていき、今できていることも、いずれは自分の力では何もできなくなる。呼吸すらできないなら、食事もトイレも自力では無理。
いずれは呼吸器に繋がれて生かされる未来が待っている。
中学生の女の子が負うには辛すぎる障害だ。
だとしても。
「君の言いたいことはわかるよ。だからって、他人にあんな態度を取ることは良くない。先生たちは優しいし立場もあるから、接し方に困っているし穏やかに接しようとしているけど」
澁谷と話す園長先生の方をちらりと見ながら、車椅子の彼は淡々と話している。普段は温厚な人間なのだろう。そんな彼が腹に据えかねている。
「僕たちは彼女が嫌いだ」
「そうだな」
大人じゃない。割り切ることはできない。障害を持った仲間同士、仲良く楽しく過ごしている所に訪れた異物。
あからさまに態度がでかいし、ひとりで移動できないために誰かに押してもらうにしても、頼み方がなってない。
押してもらえたところで、それが当然のことのような態度を取っているのだろう。挙げ句、周りに合わせようとしない。
嫌われるのは当然だ。
「辛い境遇なのはわかるけど、誰かしら辛いのは一緒だ。身勝手が許される理由にはならない」
「その通りだ。あの子自身も楽しそうには見えないな」
「うん。一緒に過ごそうとは思っていないようだね」
「じゃあ、なんでここに来てるんだ?」
「親に連れてこられたからだよ。自分で動けないなら、親の動きに逆らうことはできない」
なるほど。
「休日はいつもこうだよ。母親に連れられて来る」
「父親は?」
「さあ。知らないな。話す機会がないから。坂本さんとも、母親とも」
「坂本本人は、あんな感じだもんな。母親も、さっきみたいにすぐに帰るのか?」
「出掛けてるのかも」
「そうだな」
休日のここは、忙しい親の託児施設だ。
仕事なのかは知らないけど。
「いつも派手な服装で、娘の気も知らないような上機嫌で出掛けてる」
「そうなのか」
さっきの母親の姿を思い浮かべる。服装については一切、印象がない。けど上機嫌なのは確かだな。
彼方とは顔見知りで、ここで出会ったことを幸いとして娘を押し付けて行ってしまった。
「なるほどな。いつもあんなのか。彼方じゃなくて、先生方に押し付けて逃げる」
「そうだね。ここにいる時間は短い。迎えに来るのも、夕方とかだ」
「平日の放課後は?」
「見たことないなあ。学校から家に帰ってるんじゃないか? 両親から送り迎えさせられて」
そんなところだろうな。
更紗という女の素性はわかった。次は。




