5-23.無礼な女
車椅子の音がする。あまりメンテナンスができていないのか、キイキイと軋む音が少し。
彼方の視線の先には、車椅子に乗った少女と、それを押す女。
少女は、中学生くらいだと思う。彼方とちょうど同じ程度。押している女は母親とみていい年齢だと思う。
彼方の視線は、その少女に向いているようだった。手から、拾ったばかりのシャトルが落ちた。
こちらからは表情は見えない。けど、微かに震えているのがわかった。
「あらー、彼方ちゃんー。どうしたのーこんな所で。あー、お姉さんの付き添いとかー?」
「え、あ。はい。そ、そんな、ところ、です]
気怠げな口調の母親の方に話しかけられた彼方は、かなり口ごもりながらも返事した。
知り合いなのか。彼方は、この親子と。
たしかに母親の方は、彼方のことをよく知っているという口調だった。あまり快くはない猫なで声で話しかけている。
彼方が戸惑い気味なのは、気づいていないのかな。
「ねえ悠馬」
「遥。あの人を」
「ううん。知らない」
遠目でも妹の異変を察せられたのだろう。遥がこっちにやってきた。けど、彼女も事態をよくわかっていない。
「そうなのねー。ねー彼方ちゃん、更紗のお世話もお願いしていいかしらー。お願いねー。更紗、いい子にしてなさいねー。じゃあ、後で迎えに行くからー」
「あ、待って」
言い聞かせるように、けれど一方的で、彼方の返事も聞かないままに車椅子から手を離して行ってしまった。彼方が引き止めようとしたのも、気づいていない。
徒歩でここまで来たのだろうか。走って去っていく。
「ねえ」
代わりに、更紗という名前らしい、車椅子の少女が彼方に声をかけた。
「いつまで突っ立ってるの? 早く中に入れてよ。雨降りそうじゃない」
随分と上から目線の言い方だ。
「あ、うん……」
「ほんっと。いつも遅いんだから。早くしてよね」
「こんにちは!」
「おい、遥」
あまり話しかけたくない雰囲気だけど、遥はそんな相手にも遠慮なく突っ込んでいく。
「お姉ちゃん、今は」
「初めまして。わたし、神箸遥といいます。彼方の知り合い? わたし、お姉さんです」
彼方も話しかけて欲しくなさそうだけど、遥は遠慮なく行く。
わかっている。遥は、この更紗という少女があまり好人物ではないことを把握した上で、突撃している。
妹のために。
「ふうん。あなたが」
「彼方のお友達なの?」
「別に。そんなんじゃない」
「そっか。あなたも車椅子なんだね。どう? 車椅子に慣れてる? わたし、まだ半年ちょっとしか乗ってなくて。今でもあんまりうまく動かせなくて」
「うるさい。どうでもいいでしょ」
「でも」
「しつこい。自分で動かせてるんだからいいでしょ」
「あ……」
「邪魔しないで。あたし、ひとりが好きなの。ほっといて」
「うん……」
トーンダウンしてしまった遥は、その場で止まってしまう。彼方に押されたまま、更紗は建物の中に。
「早く押してよ。ほんっと。いつも遅いんだから! どんだけやらせてると思ってるのよ」
そんな、苛立ちの籠もった声が中から聞こえてきた。
遥にもそれが聞こえてるんだろうけれど。
「わたし、無神経なこと言っちゃったかも」
口にしたのは怒りではなく、反省だった。
「無神経なのは向こうの方だろ」
「かもね。でも、わたしも……」
遥は自分の手で車椅子を操作して、方向転換した。
「世の中には、自分の力では車椅子の操作ができない人もいるってこと、ついつい忘れちゃって。その人の前で、当たり前みたいに動いたら傷つくこともあるかなって」
更紗は、自分で車椅子を動かせないらしい。それだけの腕力がない。
「かもしれないな。けど、あの子の態度はそれ以前の問題だ」
彼方と知り合いなのはわかった。たぶん学校が同じとかだろう。
詳しい関係性は知らない。彼方があの、態度の悪い少女に従ってる理由もわからない。
遥もわからないだろう。彼方本人が言おうとしていないのだから。
けど、彼方がここに来ることを躊躇っていたこと等、どこか様子がおかしかった理由が、あの少女なのは察せられた。
見てしまった以上は、関わらないといけないな。
施設の窓から中を覗き見る。さっき子供たちが歓迎してくれたスペースの片隅まで、彼方は更紗を押していく。そして大した会話もなく、彼方はこっちに戻ってきた。
更紗が彼方にお礼を言った様子はない。ポケットからスマホを取り出した。そして車椅子の背もたれに体重を預けて、視線だけ膝に向けて画面を見ていた。
「スマホを持って操作するだけの腕力はあるんだな」
「スマホは軽いからね。操作も楽。けど、見て」
そこから先、更紗は微動だにしなかった。だらんと両腕を垂らして、ただスマホの画面だけを見つめている。
何かの動画でも見ているのかな。自動再生で、サイトのAIが関連していると判断した動画が延々流れる。
スマホを操作するのも楽な仕事ではないのかもしれない。イヤホンを耳に入れることもできないのか、無音の動画をただ見ているだけ。
「お姉ちゃん、あのね。あの子、クラスメイトの坂本さん」
戻ってきた彼方が気まずそうに言う。事情を伝えなきゃいけないのは、この子もわかってるか。
とはいえ。
「遥、話しを聞いておいてくれ。俺は園の方に」
「うん」
ドキュメンタリーの撮影中なのは変わらない。主役が、家庭の事情とかで勝手にいなくなってしまうのは、澁谷たちが困る。
もちろん、欲しい絵は大体撮れてるだろうけど、それでも勝手は許されない。
それに、子供たちや先生もまた、気まずそうにしていた。




