5-3.神箸彼方
そうやって愛奈の部屋までたどり着き、両手が塞がった状態で苦労しながらドアを開け、ベッドの上に愛奈を降ろす。
「落ち着いたら、着替えて風呂入れよ」
「スーツ脱がせてー」
「断る」
「えー。でも、このまま寝てたら皺になっちゃう」
「なっちゃうことがわかってるなら、スーツのまま飲んで机に突っ伏すな」
「それとこれとは別問題です! あ! 待って! 置いてかないで!」
「しばらく寝てろ」
酔っ払いに、いつまでも付き合う暇はない。
遅くなる時間の前に、遥を家まで送り届けないといけないし。
そのためにリビングに戻れば。
「ラフィオー。わたしもお姫様抱っこされたい! して!」
「僕には無理だ。腕力がない」
「えー!」
「それに、いつも大きくなってお前を運んでるだろ。あれで我慢しろ」
「確かに! あの方がいいよね! ラフィオモフモフだし! 今からやって!」
「断る! モフモフもするな!」
俺のお姫様抱っこは、しっかりと見られていたらしい。当然、遥にも。
「悠馬ってば、実の姉にあんなことするんだー」
「姉ちゃんの方から頼んできたんだよ」
「へー。そっかー。ねえ。わたしにもやって。家まで運んで!」
「無茶を言うな」
「わたし、片足無い分軽いよ!」
「お前以外の人間が言ったら不謹慎だと大炎上する発言だな」
「ねー。やってやって!」
「無理だろ。お前を抱えながら、車椅子も押して行けってか? しかも雨のなか」
「あー……」
窓の外を見る。梅雨の夜は今日は一段と激しく雨を降らしていた。
「仕方ない! 玄関まではそれで運んで! それならいいよね!?」
車椅子は玄関に置いてある。そこまでなら何の問題もないと遥は言い切った。椅子に座って松葉杖を折りたたみ、不退転の意志を見せた。
さっき、もうお姫様抱っこなんかするもんかと心に誓ったのに。三分で覆された。
「ああ。わかったよ。持ち上げるぞ」
「やったー!」
「つむぎも。そろそろ家に戻れ」
「えー。もうちょっとラフィオと一緒にいたいです!」
「お前はさっさと帰るんだ。ほら。行け!」
「そうだ。まだ宿題やってない! ねえラフィオ宿題教えて!」
「異世界人の僕に勉強を教わるな!」
「あんまり遅くまでいるなよ」
「はーい」
「こら! 悠馬! 薄情者!」
つむぎに抱きかかえられて、彼女の腕をバシバシ叩いて抗議するラフィオの主張は聞き入れられなかった。
確かに遥は愛奈より、ほんの少し軽い気がした。これなら俺でも楽に運べる。
玄関まで難なく連れていき、車椅子に降ろしてやった。
「えへへー。悠馬のお姫様抱っこ」
「そんなに嬉しいものか?」
「そりゃもちろん! 彼氏の男らしい所はいくら見てもいいものだからね!」
「そっか」
男らしいと言われて悪い気はしない。それが面倒ごとを引き起こすのを厭っているだけだ。
「雨降ってるねー。撮影大丈夫かな?」
「ありのままの遥を見せるってドキュメンタリーなんだろ? 雨の日の普通を見せればいい」
「だよねー」
俺は両手で車椅子を押し、遥は帰りの俺の傘を持ちながら、片手で開いた傘を高く掲げて自分と俺を覆っている。車椅子と押す人間を覆える、大きめサイズの傘だ。
車椅子で傘をさすと、こういう形になってしまうものらしい。ひとりで車椅子を動かす際は、傘というよりは幌と呼ぶべき覆いが商品化されているらしい。それを車椅子に取り付ければいい。
「車椅子で傘さすことなんて、この足になるまで考えたこともなかったよ。自分の身に降り掛かって初めてわかることだよねー」
そしてテレビでそういう姿を放送すれば、障害者の苦労も大勢の人に伝わるというわけだ。
俺と遥の家はそう離れてはいない。十分弱歩けば到着する。
「じゃあ、ここで。また明日」
「うん。じゃあな」
「あれ? お姉ちゃん?」
「……?」
知らない声がこちらに向けてかけられた。遥へのものだろう。
見れば、セーラー服姿の少女が傘をさしながらこっちに歩いてきているところだった。
見覚えある制服だ。この近くの公立中学校のもの。というか、俺もかつては通っていた中学だ。胸元のリボンの色は、俺が通ってた頃のクネクタイと同じ。
つまり俺や遥が卒業した直後に入学した学年だ。今は中学二年生。
「彼方じゃん。こんな時間までどうしたの?」
「生徒会の仕事で遅くなって。あとお母さんが醤油切らしてたって連絡が来て、そこのスーパーまで。今日はお刺身らしいよ」
言いながら、彼女は提げている買い物袋を見せる。
「そっかー。悠馬食べていく? お魚好きだよね?」
「夕食食べた直後だぞ。それよりこの子は」
「妹の彼方だよー。かわいいでしょ?」
「なるほど」
これまであまり話題にはなってこなかったけど、遥にも妹がいることは聞いている。
遥に似て美人だと思う。背はまだまだ成長途中かな。ポニーテールにしている遥と対比するようにツインテールにしている髪は、長めだった。
「まあ、わたしの方がかわいいけどね! 彼方もかわいいけど、わたしの方がちょっと上だから」
遥が答えにくい問いかけをした直後に、自分で結論を言った。それはいいんだけど、なんというか自意識が。
「変なお姉ちゃんでごめんなさい、悠馬さん」
彼方が俺の方にやってきて、ペコリと頭を下げた。
「ちょっと彼方!? 変ってどういうことかな!?」
「初めまして。神箸彼方です。姉がいつもお世話になってます」
遥の抗議を無視して、彼方は俺に挨拶。礼儀正しい。




