4-20.柿木パイン
愛奈は母親ではない。けど、娘ではある。樋口も同様なんだろう。
母の愛をしっかり受けて育ってきた。俺だって母親との思い出はたくさんある。もちろん父親にも愛情はあるのは大前提として、母の愛は大きい。娘にとってはなおさらだろう。
故に愛奈は察することがあった。この母は、自分の母が決してしないことをする人間だと。
身近にも、娘へあまり構わない母親もいるし。愛奈はキッチンにちらりと視線を向けて、すぐに樋口に向き直った。
「離婚した時の親権って、お母さんが持つことが多いんでしょ? 本人がいらないって言わない限りは。で、パインちゃんのお母さんは拒否した」
「ええ。おそらくは、そういうことね」
「よっぽど離れたい家庭だったんでしょうね。ひどい話よ」
「父親が亡くなった理由は?」
「お酒とタバコの過剰摂取。あなたも気をつけなさいよ」
「わたし、タバコはやらないからセーフです!」
「お酒を控えろって言ってるの」
「まあまあ。それより、パインちゃんの話の続きを」
「まったく」
柿木歯院は二十五歳。これが享年でもある。ひとつ年上の兄と二人暮で、こいつが俺の偽物である窃盗団の男の方の可能性が高い。
兄の名前は、柿木亜降。
「アップルくん。わたしと同い年とは思えないセンスね」
「まあね。アップルとパイン、共にアルバイトで収入を得ているらしいわ。説明を続けるわね」
両親の離婚は、パインが高校生一年生の頃だった。その時のショックなのか、あるいは元々そうだったのが悪化したのか、父親はアルコールとニコチンの過剰摂取で一年後には死んだ。
残された兄妹は生きるために、高校を中退して働き出した。
もちろん中卒に大した働き口などなく、元々の人間性の問題もあったらしく長続きはせず、バイトを転々としていた。
「人間性の問題?」
「真面目じゃなかったとか、そういう意味よ。遅刻に欠勤。仕事のミス。詳しくは調査中だけど、兄妹揃って短期間で仕事を辞めるのを繰り返してるわ」
「へー。そんな人間でも、なんとか生きていられる世の中ってすごいわねー。わたしより駄目な人間がいるなんて」
「見習おうとするなよ、姉ちゃん」
「しないしない。そんなことやらない。ちょっと憧れるけど」
「おい」
「なんでもないです悠馬大好き落ち着いて! きょうだいは仲良く!」
これくらいいつものことだし、今更愛奈を嫌いにはならないけど、当の愛奈は俺から嫌われるのを怯えているようだ。
だったら真人間になればいいのに、そうしないのが愛奈だ。
「ええっと! 樋口さん!」
「なに? 弟から怒られるのから逃げるのに、わたしに話題を振らないでほしいのだけど」
「ち、違います! えっとですね。パインちゃんにお兄さんがいるなら、そこに話しを聞きに行けばいいんじゃないかなって。さっきから、わからないって情報が多いけど」
「ああ。それね。あなたの言うことも正しいわ。わたしもここに来る前、柿木家のアパートを訪れたわ」
「いたの? アップルくんは」
「ええ。柿木亜降の遺体が見つかった」
――――
パインに、両親から愛された記憶などなかった。
赤ん坊の頃から住処を与えられ、死なない程度の食事を与えられて育てられたことを愛と言うのかもしれないけど、パインにはそうは思えなかった。
父は粗暴な人間だった。さらにその両親も、ろくでもない人間だったのだと思う。
両親の駄目なところだけ引き継いだ男は、大した稼ぎも無いのに酒とタバコに浪費を重ね、どちらかが切れると妻に買いに行かせるのを常としていた。
もし妻、パインの母が拒めば拳が飛んでくる。母親に振るわれるか、幼いパインか兄に振るわれるか。
こんな家庭に愛などあったのだろうか。
母は、九州の生まれ。模布市の大学に進学して、そっちで就職したらしい。
それなりに将来を期待された才女だったそうけど、つまらない男に捕まってパインの兄を孕んで、人生が狂った。
アップルとパインという名前は、父が付けたようだ。望まない結婚と妊娠をして悲しむ嫁を慰めるために、馬鹿なりに考えたらしい。
女はこういう可愛い名前が好きという、信じられない理由だ。漢字もあまり考えないでつけたという。
止めなかった母親もどうかと思う。
母は子供たちを死なない程度には育てたけれど、共に高校に入る頃になると図ったように離婚を突きつけ、勝手に実家に帰ってしまった。
産んだ責任で、手が掛からない頃になるまでは育てて、捨てた。小さな子供の頃に捨てなかったことを考えると、これはせめてもの愛情なのだろう。
こんな愛情、いらなかった。
せっかく入った高校も中退する羽目になったし、妻がいなくなった父の暴力はこちらに向くようになった。
まあ、父の方はすぐに死んだけど。離婚のショックで飲酒も喫煙も量が増えて、パインもそれを止めなかったから体は悪くなる一方だったから。
これで人生を悪くする敵が消えて、あとは邪悪な両親の仕打ちに共に耐えてきた兄と共に、手を取り合って生きていくだけ。そう考えたのだけど。
血は争えなかった。今度は兄が、パインを暴力で支配することとなった。
かつての父と同じように、定職につかず酒とタバコに溺れる日々。妹に諌められれば殴る。
挙げ句、稼ぎの少ないバイト暮らしでは良い暮らしはできないと考えた彼は、犯罪に手を染めることになる。
巷を騒がす魔法少女たちと、妹のコスプレ趣味を合わせれば、深夜のコンビニから楽に金を盗めると考えた。




