二十四話 『 』
『れいの人格は――もう、ないのかもしれない』
たった、一言。数秒前に呟いた僕、華道のあのその言葉は、数十年越しの言葉くらいに重く響いた。
「今の玲明の状態がいくらおかしいといえ、流石にそういう訳じゃ――」
「――れいは、記憶を失っている」
ミアは、はっと目を見開く。
そこにある感情は、恐怖と、悲しみと、納得。
「……本来、人格というものはその人の育ってきた環境、思い出、体験から作られる。でも、玲明はその全てを失っている……」
ミアは、確かめるように呟いた。
「そう。だから……人格と呼べる確固たるものが、なくなってしまったのかもしれない」
ミアの言葉に繋げるようにして僕も言葉を紡いだ。
「今のれいは、体に残った残滓だけで動いているに過ぎない存在で――」
残りの言葉を紡ぐことがままならない痛みを心の底で感じた。
治り切らない古傷に爪をたてて、引き裂くかのような、懐かしい喪失。痛くて痛くてたまらないのに、その痛みを自分の罪で、罰であると受け入れている自分もいる。
あぁ、もう、どうしよう。
僕は、何をしてしまったのだろう。
天才肌なれいなら、出来るかもしれないと、人格を作り操り、自分として振る舞うやり方を提案してしまった。
それは、れいの傷を……空白を突きつけるようなやり方だったというのに。
こんなこと、提案しなければ、僕自身も、この仮説に気づくことはなかったというのに。
「――もう、れいは空っぽなのかもしれない」
先ほど言葉にできなかった最後の言葉を、独白のように、諦めのように紡ぐと同時に、ばちんと皮と皮がぶつかり合う衝撃が、頬に走る。
「のあ!!」
目の前には、後悔の沼に沈んでいくだけだった僕の名前を呼び、引き摺り出してくれた友人が、菫色の綺麗な瞳に明確な炎を宿して立っていた。
「ミ、ア……」
「正気に戻りなさい、のあ」
「ミア……?」
「今の、空っぽという言葉、撤回して。
それは、何があっても、言ってはいけない言葉だわ」
頬を叩かれたのだという衝撃と、見たこともないミアの様子に、戸惑いながら必死でミアを見る。
「私は、これでも玲明の友人よ。
編入して、自分のことで一杯一杯だったはずなのに、私のなんてことない落とし物のために、何時間も一緒に探し回ってくれるような、あのお人好しな玲明が大好きなの。そんな玲明のお人好しなところは、記憶を失った今でも、なんら変わりない」
肩で息をしながら、ミアは炎の宿る……しかし、何より悲しそうに、波打つ瞳をこちらに向けていた。
「何も、変わらなくて、ただ、記憶を失っただけで、一生懸命足掻いている、今のあの子を空っぽだなんて。そんなこと私は、許さない」
ミアは、ぽとりと、演劇の衣装に染みを作った。
その染みは、滲んでは消えて、滲んでは消えて、と繰り返す。
「さっきまで、私の「おかしい」という言葉に、反応するくらい過保護だったのに、空っぽと見切りをつけるなり、何も言わないの?」
「そういう訳じゃ……!!」
「のあは!」
ミアは、これ以上ないほどに言葉を強めて言い放った。
「――玲明に、何を見ているの?」
その言葉は、意味がわからないと言えばわからない。
わかるといえば、思い当たる節が多かった。
「今の玲明の状態は、異常よ。でも、玲明そのものがなくなったとは、思わない。
もし仮に、空っぽだとしても、玲明は玲明。……のあ、貴方が一番にそれを認めて、探してあげるべきでしょう……?」
ミアは、染みを床にも広げながら、静かに呟いた。
そして、ジーと、第二部の開始を告げる音が鳴り、この場を去った。
(れいに、何を見ているか……)
そんなの、自分が一番知りたいのに。
そんなに強く打たれた訳でもないのに、やけに強く残る頬の熱さと、床に残ってしまった染みは、当分消えないままだった。
* * *
『ある日偶然見た日記で、王子は姫の秘密を知ってしまいました。その秘密というのは――』
第二部の最初のナレーションが紡がれ、私、月乃玲明はまぶしいくらいの明かりに照らされた。
『日記を見たということは、知られてしまったの……?――私の命が、残りわずかであることを』
絶望を、恐怖を、私の言葉で表に出して、その感情のままに私は崩れ落ちる。王子だろうと、誰だろうと外部の人に伝われば、いずれあちらの国の王、王妃にも伝わる。
王や、王妃に知られてしまったのなら、王子の意思にかかわらず、婚約は破棄されるだろう。
私たちがいくら思いあっていようが結局この婚約は、国と国同士の約束であり、契約だ。
私を嫁がせたときに、「繋がり」という利益の出る自国と、私が嫁いでから公務などで利益を出す、ルト王子の国。今はお互い利益を見出しているからこそ、この婚約が成り立っている。けれど、この状況に私の余命の情報が加えられたら――
――天秤は、大きく傾く。
私の嫁いだ未来に利益を見出す、ルト王子の国が、圧倒的に損になる。だって、私の未来はないのだ。未来のためにかけるお金も、人も、時間も、全てが無駄になる。
そんな私にいろんなものをかけるより、私との婚約を破棄して、今からでも新しい婚約者を立てた方がルト王子の国には、圧倒的な得なのだ。
余命を隠すことは、あちらの国に対して誠実さに欠ける行為である。だが、私の国は誠実に接することよりも利益を優先させた。
当然、隠されたことを知ったあちらの国はいい印象を抱かない。それは、今後の国の交流態度にも、現れてしまうことだろう。
私が頭の中で巡らせていたその事々を、ナレーションが言葉で語った。
『――……国同士の関係のためにも、姫は余命を隠し通さなければならなかった。けれど、姫はそれ以上に――』
その言葉をつなげるかのように私は呟いた。
『――できることならば私が死ぬ、その時まで王子の婚約者でありたかったな』
ただ、愛の照明としての、婚約者の立場に、私は座っていたかった。
* * *
わからない。
国同士の契約といったそちらの事情で婚約者の座に座っていなくてはいけない、余命がばれてはいけない、という話は十分に理解できる話だった。
でも、愛ゆえに、婚約者の座にいたかった。というのはわからなかった。
少し前に、愛を知れたつもりだったのに。……やっぱり、私の本質は……。言われたではないか。
『――月乃さんには、「自分」というものが、ない気がしたんです』
なにもない、なにかを知れたと感じてもその実、こぼれ落ちていっている――底の抜けた空っぽの空洞のような存在なのではないか。
…………大嫌い。
本日12時に、年越し番外編をのせようと思っておりますが、こちらでは、今年のお礼を述べさせていただきます。
皆様、今年一年ありがとうございました。
こうやって私が書き続けていられるのは関わってくださる皆様あってのことです。
まだ、半年にも満たない若輩者ですが来年も頑張っていきたいと思います。
玲明、のあ、その他個性的なうちの子たちを、来年もどうぞよろしくお願いします。
来年も、皆様が幸せな年でありますように。




