二十三話 もう、いない
「ねぇ、のあ。ちょっといいかしら?」
第一部と、第二部の間の小休憩時間。たった十五分しかないその時間に、僕、華道のあを訪ねてくる友人がいた。
「……ミア。どうしたの?」
「大体何話すかについて、予想はついてるんじゃないかしら」
れいの、ことだろう。
いつもなら、ちゃんと笑って返せるはずの自分が今日はこんなにも狼狽えてしまうのは、あの笑顔一つのせいなのだろうか。
「何について、言いたいのかはわかるけど……」
「けど?」
「ミアは、そういうところにあんまり介入しないと思っていた」
ミアは、世渡り上手な人だ。自分の意思はしっかりあるし、周りの固定観念に囚われないという、貴族の中では革新的なところも持ち合わせながら、人の踏み込まれたくないゾーンはちゃんと把握して、少しだけ引いて人と接するという、貴族らしい一面も持つ。
「まぁ、あまり人の事情に介入したくないのは、巻き込まれるのが嫌というより、本人たちが踏み込んで来ないでほしいと思ってる場合が多いからかしらね。
でも他者の介入が必要な時もあるだろうから、時と場合によってよ」
「今回はそれに当てはまると?」
「えぇ、まぁ。のあが気づいているのか気づいていないのかもわからなかったから。……当の本人は全くもって気づいてないみたいだし」
気づく?
何の、話なのだろう。
わからない、と首を傾げていることにミアが気づき、その事柄を述べた。
「玲明の演技のことなのだけれど」
「うん。それはなんとなくわかる。ただ、気づくってなんのこと?」
「……少し驚いたわ。のあのことだから、ここまで言えばちゃんと気づいてると思ったのに」
「だから、なんのことで――」
「――玲明の演技、明らかおかしいわよ」
ミアのその言葉に、僕の動きはぴたっと止まった。
れいの……演技?
「メリア」に、成り切る玲明のどこが――
「「メリア」に成り切って、完璧になれる。ということそのものが、異常事態よ」
「異常事態?」
「……さっきね、着替え部屋で玲明が係の子たちと談笑していたのだけれど、不意に静かになったから、何かと思って聞いていたのだけれど……」
そう前置きして、ミアは静かに語り出した。
「のあ、今の玲明は、メリアとしての意識で、演じるという概念すらなく、普通に振る舞っているだけなのでしょう?玲明本人が言っていたの」
「うん。そうだけど……?」
「完璧に意識が離れているわけではないから、似て非なるものではあるのだけれど、自分を「メリア」だと思い、メリアの考え方をすることをメリアの人格、とでも呼びましょうか。その名前でいうのなら、今はメリアの人格で、動いている状態」
「……?別にれいがメリアを分析して、分析した結果、考え方をまとめて人格として動かせるに至っただけじゃ」
「違う。それがおかしいの」
はっきりと、僕に反論の余地を与えないまま、ミアは言い切った。
「だからさっきから、おかしいおかしいって……!」
「ごめんなさい、言葉選びについては謝罪するわ。
でも、ちゃんとのあに伝えられないと、玲明はこのままだから。のあが、ちゃんとこちらを向いて、話を聞くように、無理矢理強い言葉ででも、引き留めておかないと……」
……ミアには、ちゃんとミアの考えがあって、れいを思っていてくれたのだ。
「ごめん。少し取り乱した。今までの言葉でいいから、続きをお願い」
「えぇ。……自由に人格を作れることを、私はおかしいといったでしょう」
「うん」
「のあ、試しにやってみて……と言ったらできる?」
少しだけ、思案する。
答えは決まりきっているはずなのだけれど、どこかにできる余地はないか、と思考の隅から隅まで疑って、考える。
「僕には、無理だと思う。……いくら分析したところで結局その人の思考そのものは作れない、固められない」
「それが、普通のはずなのよ。だって、置かれてきた環境が違うのだもの、その人の思考回路なんてたどり着くはずがない。それに、作れたとてその人格を、自分に定着させて、動かすなんてことできない」
「そういうもの……?」
ミアの、考えを聞いていたが、どうにも理解しきれない。出来ないものなのだろうか、という思考がまだ残っている。
「えぇ。人格の統率が取れなくなって、バラバラになってしまう心の病なんかはあるけれど、そうでもない限り、人格なんてそうそう入れ替えられるものじゃない。玲明、係の子たちに聞かれてたわ――」
一息ついて、ミアは言い放った。
「「メリア」の人格が、今定着しているとしたら、「玲明」の人格は何処にいるの?」
「え?」
その言葉で、僕は今までの話を完全に理解した……理解、してしまった。
「れい、れいの人格は……――」
その時、僕の頭には恐ろしい考えが、浮かんだ。
「あ――」
「のあ?……のあ!!」
ふらり、とよろける。
なんとか、倒れる寸前のところで持ち堪え、自分の考えを、今一度精査するように疑ったが、やはり、その仮説が消えることはない。
「のあ!何が――」
ミアが、尋ねたのと、ほぼ同時に言葉は溢れ落ちた。
「れいの……。月乃玲明に、人格と呼べるものは――もう、ないのかもしれない」
その言葉は、きっとミアの心にも、ぼとりと重く、暗い感情を齎した。




